五)
時計を見やると、七時を回っている。
「おっと、こりゃいかん。寝坊してしまった。」
慌てて飛び起きると、
「おぉい、小夜子ぉ!」と、呼んだ。
「まずい、まずいぞ。
社長の俺が遅刻なんて、示しがつかん。小夜子ぉ!」
何の返事もないまま、どかどかと階段を下りた。
「どうしたんだ、小夜子。」
快活にしていた小夜子が、椅子に座ったまま無言でいる。
“どうしょう、どうしょう、起きてきちゃった。
あ、あ、何にも出してない。”
恥ずかしさから、まともに顔を見られない。
不機嫌そうな顔でなければ、体裁が悪い。
「小夜子、すまん。遅刻しそうだ
。飯は、今朝はいい。」
武蔵は、小夜子の不機嫌さにまるで気付かない。
「そう。あたしのご飯は食べられないの、いいですよ。
どこかで、おいしいものをお食べください。」
“良かった、助かったわ。一緒にご飯は、今朝はちょっと。”
「分かった、分かった。帰ってから聞くよ。」
バタバタと出かけた武蔵だったが、玄関先で小夜子を呼ぶ。
何ごとかと慌てて駆け付けると、
「小夜子、お出かけのおまじないをくれ。」と、言いだした。
キョトンとする小夜子に、
「ほら、この間観た映画でやってたろうが。
ほっぺに、チュッだよ。」と、ほほを向ける。
ためらう小夜子に、
「ホラホラ!」と小夜子の口元に頬を突き出して、急かす。
勢いに押され、
「チュッ!」と、軽く触れた。
“武蔵ったら、何をさせるのよ。”と、顔を赤くする小夜子だ。
しかしこの些細なことで、小夜子の気持ちがいっきに明るくなった
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