昭和33年でした。わたし、9歳です。小学3年生です。
ミスターこと長嶋茂雄さんがプロデビューされた年です。
母を講師とした「お化粧教室」なる企画で、あちこち田舎をまわりました。
夏休みに女子中学生をあつめての、お化粧の仕方を教えるといったものです。
九州の片田舎のことですから、ほっぺの赤い純朴ないなか娘ばかりです。
もうねえ、大騒ぎのはずです。うれし恥ずかし、そうじゃないですかね。
そこにわたしも連れられていったんです。と、記憶しています。
まあねえ、9歳の子どもです。じっとしていろというのが無理な話でしょ?
そこでとんでもないことを、しでかしたんです。
教室ですから、教壇があります。本来は中央には教卓があるのですが、確か横にずらしていたとおもいます。
お化粧をする女子生徒を、中央にすえた椅子に座らせてのことだったはずですから。
当然みんなの注目をあつめています。
まず化粧水で肌を整えることからはじまり、乳液での保湿のために水分とじ込めですね。
それからいよいよ、本番のお化粧にはいります。
このころには、みんな目を大きく見ひらいて、ランランと輝かせているんじゃないでしょうか。
なにしろ、プロと呼べる母のお化粧術ですから。
ただ単に口紅を塗るだけのものとはちがいますからね。
次に、白粉(いまはファンデーションと称しているんですかね)です。
名称を知りませんが、クリームじゃなくてどう言ったらいいでしようかね、うすくうすく塗っていたはずです。
でそのあと「パフ、パフ」とやわらかく叩くからパフという名前がついた?
そのパフで白粉をなじませていました。
そして最後に、目ですね。
ここが一番のキモだったようで、饒舌だった母が口をとざして真剣モードにはいります。
ここです、このときです。女子生徒たちが、とつぜんに大笑いです。
なにごとかと手を止めた母の目に飛びこんだのが、……わたしのいたずらです。
大河内伝次郎張りの、丹下左膳の登場なんです。
ご存じない? 「シェイはタンゲ、ナはシャゼン」(姓は丹下、名は左膳)
覚えてみえるでしょ? 右目だったか左目だったかに傷をもつ隻眼の剣士ですがね。
あれをね、やっちゃったんですよ。
口紅でななめの線を描いて、突然に教卓から飛びでしてさっきのセリフを大声で叫んだんです。
拍手大喝采でしたよ。もっとも、母にはこっぴどくしかられましたが。
でも、それが評判をよんだらしく、そのあと何ヶ所かにつれられました。
ただ、なんせ幼児みたいなもんです。飽きちゃいましてね、2、3回でやめた気がします。
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