昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

ボク、みつけたよ! (四十五)

2022-03-05 08:00:01 | 物語り

 昭和33年でした。わたし、9歳です。小学3年生です。
 ミスターこと長嶋茂雄さんがプロデビューされた年です。
母を講師とした「お化粧教室」なる企画で、あちこち田舎をまわりました。
 夏休みに女子中学生をあつめての、お化粧の仕方を教えるといったものです。
九州の片田舎のことですから、ほっぺの赤い純朴ないなか娘ばかりです。
もうねえ、大騒ぎのはずです。うれし恥ずかし、そうじゃないですかね。
そこにわたしも連れられていったんです。と、記憶しています。
まあねえ、9歳の子どもです。じっとしていろというのが無理な話でしょ?
そこでとんでもないことを、しでかしたんです。

 教室ですから、教壇があります。本来は中央には教卓があるのですが、確か横にずらしていたとおもいます。
お化粧をする女子生徒を、中央にすえた椅子に座らせてのことだったはずですから。
当然みんなの注目をあつめています。
まず化粧水で肌を整えることからはじまり、乳液での保湿のために水分とじ込めですね。
それからいよいよ、本番のお化粧にはいります。
このころには、みんな目を大きく見ひらいて、ランランと輝かせているんじゃないでしょうか。
なにしろ、プロと呼べる母のお化粧術ですから。
ただ単に口紅を塗るだけのものとはちがいますからね。

 次に、白粉(いまはファンデーションと称しているんですかね)です。
名称を知りませんが、クリームじゃなくてどう言ったらいいでしようかね、うすくうすく塗っていたはずです。
でそのあと「パフ、パフ」とやわらかく叩くからパフという名前がついた?
そのパフで白粉をなじませていました。
 そして最後に、目ですね。
ここが一番のキモだったようで、饒舌だった母が口をとざして真剣モードにはいります。
ここです、このときです。女子生徒たちが、とつぜんに大笑いです。
なにごとかと手を止めた母の目に飛びこんだのが、……わたしのいたずらです。
大河内伝次郎張りの、丹下左膳の登場なんです。

 ご存じない? 「シェイはタンゲ、ナはシャゼン」(姓は丹下、名は左膳)
覚えてみえるでしょ? 右目だったか左目だったかに傷をもつ隻眼の剣士ですがね。
あれをね、やっちゃったんですよ。
口紅でななめの線を描いて、突然に教卓から飛びでしてさっきのセリフを大声で叫んだんです。
拍手大喝采でしたよ。もっとも、母にはこっぴどくしかられましたが。
でも、それが評判をよんだらしく、そのあと何ヶ所かにつれられました。
ただ、なんせ幼児みたいなもんです。飽きちゃいましてね、2、3回でやめた気がします。 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿