「あんた、だれ?」
呆然と立ちつくすあなたでした。
快感でしたよ、それは。じつに、愉快だ。おおごえで笑いたい……。
でも、引きつった表情のあなたを見たとたん、背筋になにか冷たいものが流れた気がしました。
ぞみぞみと背中が波打ち、お腹がゴロゴロとゆるくなり、のどが干からびていく。
「いまさら……」。そう言ったつもりが、「なんだよ、いまごろ」とことばが変わっていました。
がっくりとひざを落としたあなたは、「としちゃん、としちゃん」と、嗚咽のなかにわたしの名前を呼びました。
初めてじゃないですか、わたしを名前で呼んだのは。
いつも「ボクちゃん、ボクちゃん」としか呼ばなかったあなたが、初めて名前で呼んだ、呼んでくれた。
ボタボタと大粒の涙をこぼしながら、なんどもなんども「ごめんね、ごめんね」と。
そうなんだ、そうだったんだ。
あなたがわたしを捨てたんじゃない、わたしが、あなたを捨てたんだった。あの警察署の大きな部屋の一角で、だるまストーブの前に座っていたあなた。
ちいさく身体をふるわせていたあなた。わたしに会ったらなんて声をかけようかと悩みつづけていたあなた。
許してくれるだろうか、激しくののしられるんじゃないか、いろいろのことを考えながら、それでも、ただただあやまりつづけるしかないと、おそらくは思ったであろう、あなた。
わたしは、どうしてもあなたとしか言えない。
母さんと呼びかけることができなかった。
会いたかったんです、ほんとうは。
歯の痛みに耐えかねて、ゴシゴシと虫歯をいためつけたあの夜、母さんの胸のなかにいるときだけは痛みを忘れられたんです。
いまも母さんの胸に飛びこみたい、いだかれて眠りたい。
でもできない。したくない。してはだめなんだ。許しちゃだめなんだ。
でも、「かあちゃん」と声に出したい。
でもやっぱり、あんたとしか呼ばなかった。
でもそうしなければ、そう思わなければ、自分をごまかさなければ、わたしは壊れていたんです。
ごめんなさい、母さん。
もう泣かないで、母さん。
そうだった、そうでした。
あのときも、そうでした。
わたしを抱きかかえて商店街をかけ抜けてくれたあのときも、ボタボタと大粒の涙をながしていた。
最後にひと言、言わせてください。
「ボク、みつけたよ!」
「かあちゃんのなみだを、みつけたよ!」
*奇しくも、今日(4月16日)は、母の97回目の誕生日です。
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