そういえば、わたくしの先々に女将がおられたように思います。
たとえばわたくしがお客さまのお迎えをする時に限りまして、女将が傍に立たれたような気がします。
門を入られたお客さまが飛び石伝いに玄関へとおいでになりますが、その際に何枚目の飛び石付近でお待ちすれば良いのか。
晴れた日ですとその石にわたくしの影がかかってはいけませんし、雨の日ならば雨水の流れがありますし。
わたくしが美しく気品ある姿になる立ち位置はどこなのか。
飛び石の縁を踏んではならぬということは分かっておりますが、果たして何寸ほど離れた位置なのか、気になりだしますとどうにも。
教えを乞うても、おそらくは答えてはいただけませんでしょう。
「どこでもよろしいですよ、あなたの好きなところでお迎えなさい。心です、お迎えの心が大事なのですから」。
そう、女将の目が答えているように思えるのです。
ですが気になり始めますと、いくらわたくしの好きなようにと申されましても、身体が縮こまってしまい思うように動きません。
お客さまの荷物をお預かり致しますときも、
「お預かり致します」。ただそれだけを言えば良いと思うのですが、
いつどの場所で受け取れば良いのか、差し出す手の角度は?
背の高いお客さまもいらっしゃれば低いお客さまもみえます。
男性、女性、ご高齢者、等々、気になりだしますと際限がございません。
いえ、他の仲居さんたちにはいつも通りの穏やかなお顔に見えていることでございましょう。
「それがあなたのおもてなしの心ですか」。
物言わぬ口の代わりに、女将の目がそう仰っているように感じられてなりません。
先ほどの足下の粗相にしても、他にもございます。
お客さまの歩幅をしっかりと確認して、速からず遅からずでご案内せねばなりません。
気をつけねばならぬことは他にも多々ございます。
廊下の中央を歩いて頂くのは当たり前として、他のお客さまとすれ違う際の誘導にも気をつけねばなりません。
お客さまに余計な気遣いを頂かぬように、こちらも速からず遅からずでございます。
お子さま連れの場合には、特に気を遣わねばなりません。
いつなんどき突拍子な動きをされるか、予測が付きません。
ですのでわたくしは、お子さまの手と取ってご案内することもございますが。
そのことでご不快な思いをされてもなりませんので、
「坊ちゃん、お嬢ちゃん、手をつなぎましょうか」という声かけを忘れぬようにしておりますが。
こんなこともございました。
お部屋にお膳を運びましたときに、お客さまと女将が談笑されていました。
なんでも長年のご贔屓さまのようでございまして、お客さまの肩を軽く叩かれる仕種をお見受けしました。
お客さまの身体に触れるなど、仲居には決してしてはならぬことでございます。
ですがその折の女将は、長年のいえ、幼なじみとの再会といったご様子に見えました。
お客さまに注がれる目の色など、本当に少女のように輝いて見えました。
ですが、一通りのご挨拶がお済みになると、いつものようにわたくしの所作一つ一つに注意を払われます。
お茶を卓に置く折の指の動きやら、背が傾倒し過ぎないかなど、ピシャリピシャリと容赦ない視線が注がれます。
着物の袖口から前腕が出過ぎますと、お叱りの光がまたピシャリと届くのでございます。
そういえば、一度だけお話をいただけました。
「あなたには艶気があります、これは天性のものです。
女将にとって、いえ女性にとって必須のものです。
ですが、望んでも得られるものではありません。大事になさい」。
そう仰ってくださいました。
「でもね、それは出してはいけません。醸し出すものです。
品がなくてはいけませんから、お気を付けなさい。
そしておもてなしの心というものは、押しつけるものではなく感じ取っていただくものです。
媚びるものではありませんよ」。
どうやら、三水閣での経験が災いをしているようです。
わたくしを戒めることばだと、ありがたく頂戴いたしました。
ですが、そのおことばを頂いてからというもの、女将の視線を感じることはなくなりました。
たとえばわたくしがお客さまのお迎えをする時に限りまして、女将が傍に立たれたような気がします。
門を入られたお客さまが飛び石伝いに玄関へとおいでになりますが、その際に何枚目の飛び石付近でお待ちすれば良いのか。
晴れた日ですとその石にわたくしの影がかかってはいけませんし、雨の日ならば雨水の流れがありますし。
わたくしが美しく気品ある姿になる立ち位置はどこなのか。
飛び石の縁を踏んではならぬということは分かっておりますが、果たして何寸ほど離れた位置なのか、気になりだしますとどうにも。
教えを乞うても、おそらくは答えてはいただけませんでしょう。
「どこでもよろしいですよ、あなたの好きなところでお迎えなさい。心です、お迎えの心が大事なのですから」。
そう、女将の目が答えているように思えるのです。
ですが気になり始めますと、いくらわたくしの好きなようにと申されましても、身体が縮こまってしまい思うように動きません。
お客さまの荷物をお預かり致しますときも、
「お預かり致します」。ただそれだけを言えば良いと思うのですが、
いつどの場所で受け取れば良いのか、差し出す手の角度は?
背の高いお客さまもいらっしゃれば低いお客さまもみえます。
男性、女性、ご高齢者、等々、気になりだしますと際限がございません。
いえ、他の仲居さんたちにはいつも通りの穏やかなお顔に見えていることでございましょう。
「それがあなたのおもてなしの心ですか」。
物言わぬ口の代わりに、女将の目がそう仰っているように感じられてなりません。
先ほどの足下の粗相にしても、他にもございます。
お客さまの歩幅をしっかりと確認して、速からず遅からずでご案内せねばなりません。
気をつけねばならぬことは他にも多々ございます。
廊下の中央を歩いて頂くのは当たり前として、他のお客さまとすれ違う際の誘導にも気をつけねばなりません。
お客さまに余計な気遣いを頂かぬように、こちらも速からず遅からずでございます。
お子さま連れの場合には、特に気を遣わねばなりません。
いつなんどき突拍子な動きをされるか、予測が付きません。
ですのでわたくしは、お子さまの手と取ってご案内することもございますが。
そのことでご不快な思いをされてもなりませんので、
「坊ちゃん、お嬢ちゃん、手をつなぎましょうか」という声かけを忘れぬようにしておりますが。
こんなこともございました。
お部屋にお膳を運びましたときに、お客さまと女将が談笑されていました。
なんでも長年のご贔屓さまのようでございまして、お客さまの肩を軽く叩かれる仕種をお見受けしました。
お客さまの身体に触れるなど、仲居には決してしてはならぬことでございます。
ですがその折の女将は、長年のいえ、幼なじみとの再会といったご様子に見えました。
お客さまに注がれる目の色など、本当に少女のように輝いて見えました。
ですが、一通りのご挨拶がお済みになると、いつものようにわたくしの所作一つ一つに注意を払われます。
お茶を卓に置く折の指の動きやら、背が傾倒し過ぎないかなど、ピシャリピシャリと容赦ない視線が注がれます。
着物の袖口から前腕が出過ぎますと、お叱りの光がまたピシャリと届くのでございます。
そういえば、一度だけお話をいただけました。
「あなたには艶気があります、これは天性のものです。
女将にとって、いえ女性にとって必須のものです。
ですが、望んでも得られるものではありません。大事になさい」。
そう仰ってくださいました。
「でもね、それは出してはいけません。醸し出すものです。
品がなくてはいけませんから、お気を付けなさい。
そしておもてなしの心というものは、押しつけるものではなく感じ取っていただくものです。
媚びるものではありませんよ」。
どうやら、三水閣での経験が災いをしているようです。
わたくしを戒めることばだと、ありがたく頂戴いたしました。
ですが、そのおことばを頂いてからというもの、女将の視線を感じることはなくなりました。
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