あけましておめでとうございます。
本年(令和7年)が、みなさまにとって、実り多き年となりますよう、ねがってやみません。
わたしにとっても、慶びの年となりますよう、精進するしだいです。
本年も変わらぬご支援を、よろしくおねがいします。
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二日ほど経ったのちでしょうか。
空腹感をおぼえまして、意を決して一歩を踏みだすことにしました。
ご近所の方からすこしの雑炊とお芋をわけていただき、歩きだしました。
開店祝いのおりに、父に連れられた正夫の店に行くことにしたのです。
いえいえ、正夫の店が残っていると確信があったわけではございません。
なぜかしらそこに、わたくしの両親が待っていてくれる、そんな気持ちがあったのです。
確信に満ちたような、そんな強い気持ちでした。
そしてそこで、また両親とともに暮らすのだと思っていたのです。
早朝に歩きはじめまして、なんとかお昼前にはたどりつきました。
奇跡とでもいうのでしょうか、この辺りは大空襲の被害が少なく、それぞれのお家の板塀やら生け垣がほとんど無傷で残っております。
見覚えのある、電柱にたてつけてある[ナショナル]の看板を見つけたとき、やっと着いたと安堵したものです。
電柱の上の部分が多少焦げているように見えますが、電気は大丈夫のようです。
戸口一枚があいている雑貨店らしき店の中に煌々と灯りが点いていました。
そしてその角から五、六軒さきに、ガラス戸に[おまんじゅう]の文字があるお店を見つけました。
もう小躍りせんばかりでした。
雨など降るはずもない快晴の下で、濡れたそのガラス戸が今にもあいて、
「小夜子や、おかえり」と、母に迎え入れられるような気がしました。
ですが戸は閉められたままで、中はうす暗く人の気配を感じません。
すぐにも「ただいま!」と駆け込みたかったのですが、気持ちとは裏腹にかってに足が後ずさりしていくのです。
店の前を行き交う人のなかに、だれぞ知り合いはいないかと見渡しますが、両親の店ではありません。
離れた場所のお店です。
知り合いなどいるはずもなく、ただただ途方にくれてしまいました。
しかしひょっとして、正夫が店の前からここまでホウキで掃いてくるのではないかと、ドキドキしながら待っています。
ときおり角から顔を出してみますが、正夫はいません。
その日の夕方でした。
影がながく道ばたに落ちています。
春先とは言え、少しずつ地面に体の熱が奪われてまいります。
いちど戻ろうか、あす朝にまた出てこようか、そんなことも考えましたが、「あてがありますから」と大見得を切って出てきた手前、立ち返ることに躊躇する気持ちもありました。
その夜は大きなゴミ箱の影に隠れるようにしてすごしました。
ずいぶんとわたくしもたくましくなったものですわ。
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