昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[淫(あふれる想い)] 舟のない港 (十二)当時としては新しい

2025-02-07 09:00:48 | 物語り

 当時としては新しい間取りのワンルームマンションで、20畳ほどの広さがある。
やや縦なになっていて、玄関のドアを開けるとすぐにシンクがある。
その向かい側にトイレとバスルームが一体となっている。
自炊をするだけの時間とその意欲もない男には、十分なキッチン――と呼べるかははなはなだ疑問だけれども十分なスペースだ。

 間仕切り用のカーテンがあるにはあるが、ほとんどが使われていない。
なのでドアを開けるとすぐにベッドとハンガーラックが目に飛込んでくる。
申し訳程度の小さなテーブルがありはするが、壁に立てかけられたままで、いままでいちども使われた形跡はない。
ここに入居したおりにポータブルテレビを、他の洗濯機やらエアコンとともに注文したはずなのだが、店の手違いかそれともかれの注文ミスかで届かなかった。
結局はそのままになってしまい、学生時代からのコンポステレオが男のなぐさめになっている。
 
 その夜、へやの灯りのしたで平井とミドリとの名刺を交互にみながら、「ミドリ、ミドリ」とつぶやてみた。
社会人になって別れた、いや捨てられた元恋人とはまるでちがう雰囲気――ちょっとしたことにもキャッキャッとさわぐ天鳳無為さが男のこころをウキウキさせる。
学生時代にもどったような気持ちだった。
 とけいは十時半をさしている。
ベッドに寝ころがりながら、窓に目をやった。
まったくの闇夜だった。
アパートの外壁に防犯ライトが設置してあるのだが、「たまが切れているみたい」と、住人の不満げな声を聞いた気がする。
そろそろ小降りになったらしく、雨音が小さくなっている。
明日には晴れそうな気配だった。

 かたわらのナイトテーブルから、読みかけの推理小説を手にした。
灯りをスタンドに切り替え、文字をひとつひとつ追いながらその情景を思い浮かべた。
犯人とヒロインとの微妙な綾のくだりになると、その女性がミドリとダブりはじめ、とどのつまりがメロドラマのように思える始末だった。

 なんとか打ち消そうとするが、どうにもならない。
しかたなくタバコに火をつけ、天井を見つめながら明日のことを考えた。
これといった仕事のない毎日だった。
いろいろの部署からはいる連絡にしたがい、資料をそろえるだけの仕事だった。

届けたさきでは、入社して間もない女性社員のさげすむような目を避けるように、資料をつくえに乗せておく。
連絡がなければ仕事はない。日がないち日、無為に過ごすだけだ。
フーッとため息をつくと、
「明日は、なにもないか……」とまた、ため息をついた。 いっそのこと、会社を辞めるか。会社にしても、それを望んでいるだろう。
かつての上司である部長の、「おお、顔色がいいな。結構、けっこう!」のイヤミも辛い。
同僚からの「我慢、ガマン!」ということばにも、しだいに険を感じはじめてきた。
それにしても、あの資料を置き忘れてくるとは。
悔やんでもくやみきれない。

 男はベッドから立ち上がると、ミドリの名刺をもういちど見直した。
M貿易とある。
漫然と見ていたせいか、その住所が男の会社から百メートルと離れていないことに、いま気がついた。
「そうか、あいつの転職を考えたときの会社のひとつだ」
 時期がわるく諦めた会社だった。
「まさか、俺のことをミドリは知っていたのか?」
「昼休みにでもすれ違っていたのかも……」。
 さまざまに思いを巡らせた。



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