昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[淫(あふれる想い)] 舟のない港 (十一)軽いスィング調の音がながれるなか、

2025-01-31 08:00:41 | 物語り

 軽いスィング調の音がながれるなか、オーダーをメモったウェイトレスが意味深な表情を平井に投げかけながらオーナーのもとに戻った。
「いつもとちがう雰囲気の楽曲だね。ここのオーナー、マイナーな奏者が好きでさ。
フランシスコ・キコのピアノとか、レイモンド・コンデのサックス、ドラマーだとジーン・クルーパあたりかな。
日本人のさ、ナベサダとかシャープ&フラッツの原信夫なんかも、たまにだけど聞かせてくれるんだよ」
 軽口をたたく平井にたいし、
「この雨だしね。軽い曲のほうが、お客さんたちにはいいだろう」と、オーナー自らが運んできて、平井に対しこたえた。

 男は、平井のたいくつな世間話など耳にはいらず、「ああ、そう」とことばをかえしていた。
兄のとなりから見つめている痛いほどの彼女の視線が気になり――内装やら壁にかけてある写真類、そしてカウンター上で、レコードジャケットが幅をきかせている――キョロキョロと目玉を動かす形になってしまった。
そしてそのおかげで、先ほどまでの落ち込んだ気持ちが癒されてきた。

なかなか雨のやむ気配はない。
平井と男の会話がとぎれたところで、となりに座る女性が、平井の肘をつつきながら時計を見せていた。
どうやらロードショーの時間が気になっているようだ。
平井は、予定があるからと席を立った。

男も、「それじゃ」と、席を立ち上がりかけたが、ミドリの目が男をとらえ〝まだいいんでしょ?〟と訴えかけてくる。
「あたし、ミタライさんともう少しお話ししていくから」
 面食らう表情を見せる平井にたいし、 男はかるく会釈をすると、
「それじゃ。まちがいなく送っていくよ」と、ことばを変えた。

 ふたりだけになると、とたんにミドリの口が軽くなった。
男もまた、快活にわらい興じた。
兄道夫の監視が学生時代からきびしく、いまだに異性の友だちができないとこぼす。
「おれが見つけてやる」のいってん張りで、しかしいまだにだれひとりとして紹介してくれないとこぼした。

「兄さんは君が、よっぽどかわいいんだなあ。大事にしてるのさ」。そんな男のことばに
「兄さんには、このあいだ恋人ができたんですよ。
あたしだって、はやく欲しいわ」と、返した。
「いまだってミタライさんにお会いしなかったら、いっしょに連れて行くつもりだったんだから。
でね、相手の女性からつめたい視線を受けて、ものの五分もたたないうちに『おまえ、もう帰れ』なんですよ。いやになっちゃう」

 いっきに紅茶を飲みほすと、「お代わり、お願いします」と手を上げた。
ほそい手首が薄赤いブラウスの下からあらわれ、思わず目でその動きを追ってしまった。
「こんど、彼に言っておくよ。ぼくが立候補したってね」
 男の冗談めかしたことばに「えっ、」と、声を発しながらミドリはうつむいた。
「恋人がいらっしゃるんでしょう、もう」という問いに、男は笑ってごまかした。



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