人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ジョナサン・ノット+東響でブルックナー「交響曲第7番ホ長調」を聴く

2015年06月08日 07時01分47秒 | 日記

8日(月).昨日は娘が友人の結婚披露パーティーに出かけ,今日は私が伯母の葬儀(102歳!)のため休暇を取って出かけます.人生いろいろです ということで,わが家に来てから242日目を迎え,ターン王子を挑発するモコタロです 

 

          

           君 偉そうに ターン王子って名乗っているけど 頭ないじゃん

 

  閑話休題  

 

一昨日,午後3時から東京オペラシティコンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)の定期公演を,午後6時からサントリーホールで東京交響楽団の第631回定期演奏会を聴きました 昨日B.C.Jの公演について書いたので,今日は東京交響楽団のコンサートの模様を書きます

東京オペラシティでのBCJのコンサートが終わったのが午後4時56分,カーテンコールに1度だけつきあって拍手を送り,すぐに地下鉄・初台駅に駈け付け都営新宿線の新宿三丁目で丸ノ内線に乗り換え四谷へ,半蔵門線で六本木1丁目へ,そして5時33分にはサントリーホール正面玄関に立っていました 所要時間40分弱です

ロビーに入ると,隣の”ブルーローズ”(小ホール)では「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン」のオープニング公演が大ホールと同じ6時から始まるということで,ホワイエは人で溢れていました 東響のコンサートがなければ”ブルーローズ”での公演を聴いていたはずで,どっちにしてもコンサートのハシゴには違いありませんでした

この日のプログラムは①リヒャルト・シュトラウス「メタモルフォーゼン(変容)~23の独奏弦楽器のための習作」,②ブルックナー「交響曲第7番ホ長調」(ノヴァーク版)の2曲.指揮は東響音楽監督ジョナサン・ノットです

 

          

 

コンマスの大谷康子はじめ23人の弦楽奏者が登場します.ステージには指揮台はありません.また,この曲のタイトルが「~23の独奏弦楽器のための~」とあるように,通常は2人で1台の譜面台を使用するところを1人が1台を使用します

ノットが登場しタクトなしで1曲目の「メタモルフォーゼン」に入ります プログラムの解説によると,タイトルについてはゲーテの「植物の変容」「動物の変容」からの啓示も大きいとのことです

冒頭のチェロとコントラバスによる主題から,ヴィオラが次の主題に引き継いでいきますが,よどみなく流れる音楽は,まさに「変容」と言うに相応しい曲想です こんこんとわき出る泉のようです.ノットの指揮は流麗そのもの.低弦,高弦を織り交ぜて絹の織物を織っていくような感触です 東響の弦楽奏者たちはノットの指揮によく応えていました

前にも書きましたが,ノットの風貌は中年期のカラヤンに似ています 目を閉じて指揮をしていた”静”のカラヤンと比べ,”動”のノットは指揮ぶりがまったく違いますが,音楽作りは良く似ているのではないか,と思います 一言で言えば「流れるような音楽作り」です カラヤンはリヒャルト・シュトラウスを得意としていましたが,その意味ではノットも得意にしているのかも知れません

 

          

 

休憩後はブルックナー「交響曲第7番ホ長調」です.管打楽器が入りフル・オーケストラになりますが,弦楽器は左後方にコントラバス,前に左から第1ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,第2ヴァイオリンという対向配置をとります もちろん指揮台が置かれ,ノットはタクトを持って登場します

第1楽章冒頭,弦の微かなトレモロの中からチェロを主体に,ホルン,ヴィオラ,クラリネットが重なりながら主題を奏でます いわゆる「ブルックナー開始」です.ノットはスケール大きく東響から求める音を引き出します.この曲を聴いていても,ノットの「流れるような音楽作り」が認められます

第2楽章「アダージョ」の冒頭は,ワーグナーチューバ,コントラバスチューバ,ヴィオラを中心に厳かな音楽が展開しますが,この楽章全体を覆うのは,尊敬するワーグナーの死の予感です 作曲途中で,ワーグナーの死は現実となります.ブルックナーはこの曲のクライマックスの部分を「巨匠のための葬送音楽」として位置付けています

第3楽章「スケルツォ」はいかにもブルックナーらしい音楽です.この楽章は速いテンポで快活に演奏されます そして,ほとんど間を空けずに最後の第4楽章に移ります.第1楽章冒頭のテーマを変形した音楽が躍動感豊かに演奏されます この楽章でも,ノットの「流麗な音楽作り」が展開します.フィナーレは壮大なコーダで曲を閉じます

今回東響の演奏を聴いて,あらためて思ったのは管楽器が非常に安定しているということで,安心して聴いていられるということです そして弦楽器には底力があります 

最後に,ノットの指揮で感じたことを付け加えると,あまりにも「流れるような流麗な音楽作り」であるがために,人を心の底から感動させる音楽作りが出来ているかどうか,ということです これは多くの聴衆から言わせれば「無いものねだり」ということなのでしょう.しかし,経験から言えば,心の底から感動するコンサートは1年のうち1度か2度くらいしかないのではないか,とさえ思います それでも,いつかはそういうコンサートに巡り合えるはずだ,と確信してコンサートに通い続ける今日この頃です

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