13日(水)。わが家に来てから472日目を迎え、食べるものなら何でも興味津々なモコタロです
1枚でも千べいとはこれいかに・・・1人でも仙人と言うがごとし ってか
閑話休題
昨日は寒かったので、夕食にクリームシチューを作りました。あとはいつもの生野菜サラダです
も一度、閑話休題
昨日、池袋の新文芸坐で「ナバロンの要塞」と「戦場にかける橋」の2本立てを観ました 「ナバロンの要塞」は1961年、リー・トンプソン監督による2時間37分の映画です
第二次世界大戦下の1943年、エーゲ海はドイツ軍の制圧下にあり、ケーロス島のイギリス軍2,000名の兵士は全滅の危機にあった ナバロン島の断崖の洞窟に据えられたドイツ軍の2門の大砲を破壊しない限り兵士たちを救う道はないとして、フランクリン少佐(アンソニー・クェイル)はナバロン島の絶壁400フィートをよじ登り潜入する計画を立て、必要な人材を集めることとした
登山家のキース・マロリイ大尉(グレゴリー・ペック)、元ギリシア軍大佐スタヴロウ(アンソニー・クイン)、化学者のミラー伍長(デヴィッド・ニーヴン)、ナイフの名人ブラウン無線兵(スタンリー・ベイカー)、ナバロン島生まれのパパディモス1等兵(ジェームズ・ダーレン)の5人が招集された。フランクリン少佐を含めた6人の少数精鋭部隊は、無事に難攻不落の要塞を破壊することが出来るのか
まず、ナバロン島に近づくのが大変です。漁船で近づくのですが、途中ドイツ軍の艦船に呼び止められ疑われますが、彼らを射殺します すると今度は大嵐に遭い島に着いた途端に大波で漁船は大破します
やっとナバロン島に着くや否や、今度は難攻不落の断崖絶壁の岩山登山が待っています
このシーンは思わず手に汗を握ります。山頂の古城でレジスタンスの女性2人と出逢い、仲間に引き入れます
そして、それぞれの役割分担によって、”要塞”に接近していきます
「ローマの休日」で新聞記者を演じたグレゴリー・ペックが実質的なリーダーとしてメンバーを引っ張りますが、最初は違和感がありました。あまりにも「ローマの休日」のイメージが強すぎたからです しかし、時に冷血な判断を下さざるを得ない大尉を演じる姿を見て、次第に慣れてきました
アンソニー・クインはいつもニヒルで、カッコいいですね
デヴィッド・ニーヴンは、昔から、何故かピーター・オトゥールと間違えてしまい困っています。顔が似ているわけではないのに、ニーヴンの顔を見ると「あっ、ピーター・オトゥールだ
」と思ってしまうのです。どこでどう取り違えたのかさっぱり思い出せません。困ったものです
2本目は「戦場にかける橋」です。これは1957年、デイヴィッド・リーン監督による2時間42分の映画です
第二次世界大戦下、タイとビルマ国境の日本軍捕虜収容所を舞台に、日英両軍兵士の交流を描いた作品です
捕虜収容所に二コルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とするイギリス軍捕虜の一隊が送られてきた。彼らはバンコックとラングーン間を結ぶ鉄道を貫通させるためにクワイ河に橋を建設する労働力として期待された 収容所の斎藤所長(早川雪洲)は橋の完成まで時間的な余裕がないため、将校を含めた捕虜全員を労役に服すよう命令するが、二コルスン大尉は”ジュネーブ協定”に反するとして断固として拒否する
そのため、彼は狭い営倉に隔離されるが、齊藤所長はついに彼の頑固さに負け彼を開放する。意外にも二コルスン大佐は橋の建設工事をやらせてくれと言い出す。彼の考えは、橋を建設することによって捕虜たちに生きる意義を見出させることだった
橋が完成し、汽車が来ることになる その頃、収容所から脱走していた海軍少佐シアーズ(ウィリアム・ホールデン)らが橋に接近し、密かに橋の爆破に向けて着々と準備を進めていた
そうした中、二コルスン大佐は、橋の下に線が延びているのを発見する。斎藤所長とともに橋の下に下りてそれを確かめると、それは橋を爆破するための発火装置まで続いていた
二コルスン大佐が銃で撃たれ、発火装置の上に倒れ込んだためスイッチが入り、橋は大爆発して汽車もろともクワイ河に雪崩落ちる。二コルスン大佐は「私は何のために・・・・」と言う言葉を残して息を引き取る
イギリス人が作った橋をイギリス人が爆破したというわけです 「戦争とはそんなもの」というデイヴィッド・リーン監督の声が聞こえてきそうです
この映画では、兵士たちが口笛で奏でる「クワイ河マーチ」が印象的です
映画の中で何度か流れますが、自分たちの手で完成した橋の上を口笛で「クワイ河マーチ」を吹きながら行進するイギリス人捕虜たちの誇らしさが忘れられません
映画の内容は知らなくとも、この音楽なら知っている人はいくらでもいるでしょう