22日(金)。昨日は、午前中に娘の部屋の新しいエアコンが届いたので古いのと交換工事をしてもらいました リビングなど他の部屋はすでに新しいエアコンに変えてありますが、娘の部屋だけが20年以上放置されていて、先日、娘から「エアコンが動かない」と言われて早速 池袋のBカメラに行って手配してきたのです
一方、ここ数か月、メガネの度が合わなくなってきたので新しいのを買おうと考えていて、やっと決心して一昨日 行きつけの眼鏡屋さんに行って新しいメガネを注文してきました 検眼してもらったら左目は視力が落ちていないが、右目が低下しているとのことでした。能力と同じか・・・・と しばし感慨にふけりました
さて、私が驚いたのは6畳用のエアコンと新しいメガネの値段が同じだったことです。ともに約65,000円でした これをどう解釈すべきか悩みました。エアコンが安いと言うべきか、メガネが高いと言うべきか、はたまた両方とも高いと言うべきか・・・・・結局、両方とも耐用年数を考えればそれほど高い買い物ではない かな、と自分を納得させることにしました
「それにつけても・・・・」と思うのは、ここ5年くらいの間に相当の設備投資をやったなということです。大きな工事ではガスレンジの全面交換、お風呂とトイレの全面リフォーム、家電では、エアコン全4台の新調と照明器具全5器のLED化、洗濯機と冷蔵庫の新調、と相当な設備投資をしてきました 築20年も経てばあちこちガタが来るし、家電製品も寿命がきます。そういう時期だったのだと思います
ということで、わが家に来てから481日目を迎え、焙じ茶を飲みたいけれどキャップが開けられず諦めたモコタロです
キャップが開けられない 脱帽だ! (分かるかな?)
閑話休題
昨日は、夕食に「モヤシ巻き豚肉しょうが焼き」、「生野菜とワカメと白すのサラダ」、「ワンタンとエノキダケのスープ」を作りました。経済的かつ健康的なメニューです
昨夕、池袋の東京芸術劇場大ホールで「読売日響特別演奏会」を聴きました 読響桂冠名誉指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが読売日本交響楽団を振ってブルックナーの「交響曲第8番ハ短調」を演奏します
いつも通り、会場アナウンスが入ります 今回のプログラムはブルックナーの大曲「交響曲第8番」1曲のため、約90分の間に途中休憩がない旨を知らせています。トイレに行くと、女性トイレは並んでいないのに男性トイレは長蛇の列 これは『ブルックナー現象』とでも言うべきもので、ブルックナーの交響曲のコンサートの時は、男性の聴衆が圧倒的に多いという実態を現しています この日も、2階席から満席の会場をざっと見渡した限り、7対3位の割合で男性が多いようでした。何故なんでしょうね?誰か音大の卒論で取り上げる学生はいませんかね
自席は2階M列22番、2階センターブロック左通路側席です。ステージの左サイド、右の奧、指揮台の正面後方、2階の左右にはテレビカメラがスタンバイしています おそらく後日NTV系列で放映するのでしょう
オケのメンバーが登場します。弦楽器は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成をとります。コンマスは長原幸太、その隣には小森谷巧が控えます。反対側のヴィオラ席には、首席の鈴木康治と柳瀬省太が並びます。これだけ取ってみても このコンサートに賭ける読響の意気込みが感じられます また、左サイドにはハープが3台スタンバイし、ホルン・セクションの席にはワーグナーチューバが見えます
大きな拍手の中、巨匠スタ二スラフ・スクロヴァチェフスキが ゆったりとした足取りで登場します。やや猫背の姿勢で一歩一歩慎重に足を進めます。明らかに典型的な老人の歩き方です 「これから90分、立ったままで指揮し続けられるのだろうか」と ほとんどの聴衆が心配する中、指揮台に上がり一礼してオケの方に向き直ります。譜面台の上には薄緑色のブルックナーのスコアブックが載せられています
スクロヴァチェフスキは1923年にポーランドのリヴォフ(現在はウクライナ領)で生まれました。したがって現在92歳です 彼は1960年から20年にわたりミネソタ管弦楽団の音楽監督を務め、その後、ワルシャワ・フィル首席指揮者、英国ハレ管弦楽団の首席指揮者を歴任、現在はミネソタ管弦楽団の桂冠指揮者とザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルの桂冠指揮者を務めています
オケに向き直ってタクトを振るマエストロは、老人から盛年に一変したように矍鑠たる姿勢でオケと対峙します 第1楽章「アレグロ・モデラート」は弱音のトレモロに乗ってテーマが次第に現れてきます いわゆる”ブルックナー開始”です。オケの面々はいつもより真剣度が増しているように感じられます
ブルックナーは第2楽章に「スケルツォ」を置きました。これはベートーヴェンの第9交響曲と同じです。このため 次にくる第3楽章「アダージョ」が生きてきます マエストロは、第1楽章と第2楽章との間をあまり空けずに演奏しました。このスケルツォを演奏する弦楽器群、特に第1ヴァイオリンの二人の首席、ヴィオラの二人の首席、そして第2ヴァイオリンの首席・瀧村依里、首席代行・山田友子の演奏姿を見ていると、「マエストロと演奏するのも、今回が最後になるかも知れない」という切羽詰まった意識で演奏しているのではないか、と思えるような極度の集中力を持って演奏していることが伝わってきます その姿勢は、明らかにそれぞれのセクションのメンバーに伝わっています。もちろん、このことは弦楽器に限ったことではなく、金管楽器、木管楽器、打楽器、ハープ、すべてに言えることです
第3楽章「アダージョ」の深さを何と表現すれば良いのでしょうか。マエストロの指揮で聴いていると、まさに神が降りたのではないか、と思えるほど深い感動を覚えます 同じ”マラソン交響曲”を書いたマーラーの「アダージョ」も心動かされるものがありますが、”神”に通じるアダージョはブルックナーの独壇場でしょう ある音楽評論家は「クラシック音楽はブルックナーをもって終焉を告げた。なぜなら、ブルックナーの音楽は神の域まで達してしまったからだ」と語っていますが、その意味では、この「アダージョ」はクラシック音楽の終焉を現す音楽なのでしょう
最後の第4楽章「フィナーレ」は、勇ましい行進曲から開始されます。冒頭から管弦楽が咆哮します。そして、オケの総力を持って圧倒的なフィナーレを飾ります
最後の音が鳴り終わったところで、一部の聴衆が拍手をしましたが、まだ指揮者の手が止まったままだったため、追随する者がなく、マエストロが手を下してリラックスしたのを見て、大きな拍手とブラボーが沸き起こりました フライングでしたが、気持ちは分かります
マエストロは、まずホルン・セクション(ワーグナーチューバ持ち替え)を立たせ、次いで他の金管楽器群を、木管楽器群を、打楽器とハープを、そして弦楽器群を立たせました 拍手が鳴り止まないので、とうとう彼はコンマスの長原幸太の手を取って舞台袖に引き上げていきました
ブルックナーの交響曲は、あまりの長さに、また同じメロディーの繰り返しに、途中で眠くなってしまうこともあるのですが、この日の演奏は最初から最後まで集中力に満ちた渾身の演奏で、まったく隙がありませんでした
ここで演奏の途中ラップを振り返ってみます。演奏開始は7時8分。第2楽章終了は7時40分、第3楽章終了は8時10分、最後の第4楽章終了は8時31分、トータル演奏時間は83分でした なぜ演奏時間が気になったかというと、プログラムノートに書かれていたこの曲の解説に「演奏時間:約82分」という記述があったからです この「82分」が誰のどういう演奏を基準としているのか明確ではないのですが、おそらくマエストロのCDをもとに推測したのではないか、と思います つまりCDのスタートから終了までの再生時間の合計が82分ということです。それに比べて、今回の演奏は楽章間の”間”を含めてトータルで83分です。両者の間には1分の違いしかありません もし私の推測通り、解説にある82分がマエストロのCDの演奏時間であるならば、いかに彼のテンポが常に変わらないか、ということです
さて、指揮台に載せられていた薄緑色のブルックナーのスコアブックは、演奏中 一度も開かれることがありませんでした それでは何故 マエストロは一度も見ない楽譜を指揮台に置いていたのでしょうか? それはマエストロの作曲者ブルックナーに対する敬意の表明だったのだと思います
素晴らしいブルックナーでした。こういう演奏は1年に何度もあるものではないでしょう