9日(水).アメリカ大統領選挙は8日朝(日本時間同日夜)から各州で順次投票が始まり,同日夜(日本時間9日午後)にも大勢が判明する見通しとのことです 民主党のクリントン候補と共和党のトランプ候補の「どちらを選びたいか」ではなく「どっちも気が乗らないけど,どっちがマシか」という前代未聞の洗濯を余儀なくされているアメリカ国民には同情を禁じ得ません おっと,4年に一度の大統領選挙という潜在一隅のチャンスに選択を間違えました.洗剤意識の為せるワザです.水に流してください
ということで,わが家に来てから今日で772日目を迎え,,博多駅前の道路が 地下鉄延伸工事のため 大きく陥没した事故のニュースを見て感想を述べるモコタロです
大穴を当てるのは競馬だけでいいのに 福岡市の名誉は陥没してしまうたい
閑話休題
昨日,夕食に「牛肉と大根の煮物」と「生野菜とワカメのサラダ」を作りました 「牛肉~」は煮た後,20分くらい放置しておいたら味が染み込んで美味しくなりました
も一度,閑話休題
昨日の朝日朝刊に「ピアニスト コチシュさん死去」という死亡記事が載っていました.超訳すると
「ハンガリーを代表するピアニストで指揮者,作曲家のゾルタン・コチシュさんが6日 死去した.64歳だった.同世代のピアニスト,アンドラ―シュ・シフ,デジュー・ラーンキとともに『ハンガリーの三羽がらす』と呼ばれた.10月に音楽監督を務めるハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団と来日する予定だったが,体調不良で降板していた」
コチシュは確かモーツアルトのCDを持っていたな,と思い出し,CD棚のモーツアルト・コーナーの約700枚の中から「モーツアルト 4手のためのピアノ・ソナタ全集」(2枚組)を探し出しました 演奏はデジュー・ラーンキとゾルタン・コチシュで,収録作品は①ソナタ ハ長調K.19d,②ソナタ ニ長調K.381,③ソナタ 変ロ長調K.358,④ソナタ ト長調 K.357,⑤ソナタ ヘ長調K.497,⑥ソナタ ハ長調K.521の6曲です
2枚目の1曲目に収録されたソナタ ヘ長調K.497を聴いてみました 第1楽章「アダージョーアレグロ・ディ・モルト」,第2楽章「アンダンテ」,第3楽章「アレグロ」から成りますが,第1楽章でアダージョを経てアレグロに入ると,歌劇「魔笛」の「パパゲーノのアリア」によく似た旋律が現れ,思わずニンマリしてしまいました このソナタが作曲されたのは1786年で,歌劇「フィガロの結婚」,「ピアノ協奏曲第23番」,「同第24番」,「交響曲第38番”プラハ”」など充実した作品が次々と作曲された時期です その頃にすでに最晩年の傑作「魔笛」(1791年10月初演)の中のアリアが構想されていたのか と再発見したような気持ちになりました
二人の演奏はテンポ感が良く 軽快そのものです 昨日の記事を見なければ,普段なかなか聴く機会のないモーツアルトの「4手のためのピアノ・ソナタ」に耳を傾けることはなかったでしょう 亡くなられたコチシュさんにお礼を言うとともに ご冥福をお祈りします
最後の,閑話休題
村上春樹著「女のいない男たち」(文春文庫)を読み終りました 村上春樹は1949年 京都生まれ.早稲田大学文学部演劇科卒.79年「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞したのを皮切りに,これまで数々の文学賞を受賞してきましたが,ノーベル文学賞はまだです
この本には「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェラザード」「木野」「女のいない男たち」の6つの短編小説が収録されています
著者は「長編小説にせよ短編小説にせよ,自分の小説に まえがき や あとがき をつけるがあまり好きではなく」と「まえがき」に書いていますが,村上春樹らしいな,と思います
最初の「ドライブ・マイ・カー」は,死後も舞台俳優の心をかき乱す妻の話です この中にクラシック音楽の話が出てきます
「帰り道ではよくベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた.彼がベートーヴェンの弦楽四重奏曲を好むのは,それが基本的に聴き飽きしない音楽であり,しかも聴きながら考え事をするのに,あるいはまったく何も考えないことに,適しているからだった」
村上春樹がここで書いているベートーヴェンの「弦楽四重奏曲」が具体的にどの曲を指すのかは本人でないと分かりません 「ラズモフスキー」かも知れないし,「ハープ」や「セリオーソ」かも知れないし,後期の傑作群のどれかかも知れないし,あるいは初期の作品かも知れません 想像するに,何となく「大フーガ」ではないような気がします
「イエスタデイ」は,東京生まれなのに完璧な関西弁を話すことにこだわる男から,付き合っている彼女を貸すと言われる話です
「独立器官」は,52歳の美容整形外科医の恋煩いの話です 話の中で,主人公が女性全般について次のように述べています
「すべての女性には,嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている どんな嘘をどこでどのようにつくか,それは人によって少しずつ違う.しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし,それも大事なことで嘘をつく 大事でないことでももちろん嘘はつくけれど,それはそれとして,いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない そしてそのとき ほとんどの女性は顔色ひとつ,声音ひとつ変えない.なぜならそれは彼女ではなく,彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ」
私には思い当たる節がありますが,皆さんはいかがでしょうか