11月1日(金)。油断していたわけではないのですが、今日から11月です 今年も残り2か月となりましたが、60日なんてアッと言う間です 心身ともに健康で生き残りましょう
ところで、昨日の朝、整骨院からの帰り道で、保育園児らしき小集団に遭遇しました みな頭にカラフルな三角帽子を被っています。なんで?と考えたらハロウィンの仮装だと気が付きました 「ハロウィンの意味も解ってないんだろうな」と思いながらも、意味も解らず仮装しているのは保育園児に限らないんじゃないか、とも思いました。私もですが ハッピーハロウィン
ということで、わが家に来てから今日で3580日目を迎え、米起業家のイーロン・マスク氏が、自身が2年前に買収したX(旧ツイッター)上で共和党のトランプ前大統領に関する発信を急激に増やしているが、偽情報や陰謀論も発信・拡散しているとして米メディアでは批判されている というニュースを見て感想を述べるモコタロです
これでXを買収した目的がはっきりした トランプを当選させて自分を有利にするんだ
昨日、夕食に「鮭のムニエル」「鮪の山掛け」「生野菜とモッツアレラチーズのサラダ」「豚汁」を作りました 魚がメインの時には豚汁でバランスをとっています
昨日の朝日新聞夕刊に吉田純子編集委員によるソプラノ歌手・中村恵理のインタビュー記事が載っていました 最後に語った中村の言葉が印象に残りました
「ソロのCDは作らないと決めている 『私の声が残る必要はない。時代とともに消えていい。一瞬で生まれて消えていくからこそ音楽は尊くて素晴らしくて、だから大好きなんです』」
ちょっと名前が売れるとすぐにCDを出したがる歌手や演奏家に聞かせてやりたい台詞です
井上ひさし著「ふかいことをおもしろく」(PHP文庫)を読み終わりました 井上ひさしは1934年 山形県生まれ。作家、劇作家。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。1964年からNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(共作)の台本を執筆 72年に「手鎖心中」で直木賞を、同年「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞と芸術選奨新人賞の受賞を筆頭に受賞多数 84年に劇団「こまつ座」を旗揚げする。2010年4月9日死去
本書は、NHK-BSハイビジョンで2007年9月20日に放送された番組「100年インタビュー/作家・劇作家 井上ひさし」をもとに原稿を作成し、2011年4月にPHP研究所から刊行された作品を文庫化したものです
本書はインタビューをまとめたものなので、文章は井上ひさしによるものではありませんが、簡潔にまとまった文章からニュアンスは伝わってきます
地主でありながら農地解放運動を行った父親のこと、肝っ玉母さんのような逞しい母親のこと、児童養護施設での青春時代、国立療養所に勤めた時の所長の思い出、浅草フランス座でコントの台本を書きまくって多額の報酬を得たこと、懸賞応募からプロの作家へ転身したことなど、井上の波乱万丈の人生が語られています それに加えて、本との付き合い方、笑いとは何か、文学が持つ力、変化する言葉、などについて持論を語っています
面白いエピソードがいくつか紹介されています その一つは「本との付き合い方」です ちょっと長くなりますが、その一部を引用します
「母は本を買うことについて、一切文句を言いませんでした ここではじめて告白します。あの頃、母は財布を枕の下に入れて寝ていたのですが、僕は、母が寝入って寝がえりを打つのを待っていました。そして、寝返りを打ったときに、母の財布を枕の下からスッと出して、そこから十円なり二十円なりをくすねるのです それで、今度はまた寝返りを打つのを待って、財布を元の場所にスッと戻しておく・・・そんなことをやっていました 大ざっぱな性格の母なので、あまりきっちりと財布の中身を勘定していなかったから、少しくすねてもわからないだろうと、子ども心に思ったのでしょう しかし、きっと母は気づいていたと思います。ただ、これは僕が何か変なことに使っているのではなく、映画か本以外に使い道はないだろうと見当がついていたのでしょう。だから何も言わなかった、そう思っています」
井上少年の思った通り、母親は息子の行動に気が付いていたのだと思います 「黙ったお金をくすねることは良くないけれど、使い道は分かっているから大目に見ておこう」ということだったのでしょう お金をくすねるのも「阿吽の呼吸」が必要だということが良く分かりました
児童養護施設ラ・サール・ホームを出て、東仙台中学校を卒業するまでは「神童」「秀才」と呼ばれてきた井上でしたが、高等学校(仙台一高)に入学してからは真ん中から上に行けなくなります そこで井上は「自分は神童でも秀才でもない、ただの凡才である」と自覚します 非凡な彼はここで考え方を切り替えます 担任の先生に「僕は将来、物書きになりたいし、新聞記者とか映画監督とかいろいろなりたいものがあるので、仙台に来る映画を全部見たいと思います それから、高校の図書館の本を全部読みたいと思います ついては、午後から授業には出られません」と相談します。そういうことが言える雰囲気の学校だったといいます すると先生は、「わかった。その代わり、感想とか半券とか、映画を見たという証拠をノートに貼って出しなさい🎫 そうしたら認めてやろう」とあっさり言ってくれたそうです。何とおおらかな時代でしょうか 今では考えられませんね
それから井上はありとあらゆる映画を見倒すことになります 朝から6本くらいの興行を立て続けに見て(腰痛になるぞ!)、映画館の暗がりで作品の良いところをメモしたり、自分なりのシナリオを作ったりします そこ頃、寮に入っていた井上に母親が仕送りをしていましたが、井上は母親に次のような手紙を書いています
「僕は昨日、仙台のアオキホテルで賞を受けました 賞金の中から、貧乏している母さんに千円を送ります。『レベッカ』の映画評で僕が第1位になったのです ホテルのごちそうは、胃袋をたまげさせるほどおいしく、母さんと兄ちゃんとシュウスケに食べさせたいと思った時、涙の一滴をスープに落としましたが、僕は飲んでしまいました スープの味はちょっと塩がきいているような気がしたのも、僕の涙のせいでしょう 涙の一滴も無駄にしない僕は、将来、成金になるかもしれないと想像すると楽しくなります。さようなら」
ユーモアのセンス全開ですね
井上は「笑いとは何か」について次のように語っています
「僕の芝居には必ずといっていいほどユーモアや笑いが入っています それは、笑いは人間が作るしかないものだからです。苦しみや悲しみ、恐怖や不安というのは、人間がそもそも生まれ持っているものです。人間は、生まれてから死へ向かって進んでいきます。それが生きるということです この「生きていく」そのものの中に、苦しみや悲しみなどが全部詰まっているのですが、『笑い』は入っていないのです なぜなら、笑いとは,人間が作るしかないものだからです。それは、一人ではできません。そして、人と関わってお互いに共有しないと意味がないものでもあります 笑いは、人間の関係性の中で作っていくもので、僕はそこに重きを置きたいのです。人間の出来る最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗できるようないい笑いをみんなで作り合っていくことだと思います 人間が言葉を持っている限り、その言葉で笑いを作っていくのが、一番人間らしい仕事だと僕は思うのです」
たしかに井上ひさしの小説・戯曲のエッセンスは「ユーモア・笑い」であると思います
本文の最後に「100年後の皆さんへ、僕からのメッセージ」が収録されています その中で、井上は「この100年の間に、戦争はあったでしょうか?」と問いかけています 私は「今のところはありません。でも、これからは分かりません」としか答えることができません
本書は文字が大きく、トータルで127ページと分量も少ないので、あっという間に読み終わってしまいます しかし、内容は濃いものがあります。広くお薦めします