26日(土)夕方、東京交響楽団第587回定期演奏会を聴きにサントリーホールに出かけた。当初スダーンの指揮でベルリオーズの「テ・デウム」他を演奏する予定だったが、指揮者とピアニストが渡航自粛により来日できなくなったため、急きょプログラムと出演者を変えて実施することになったものだ。プログラムはモーツアルトの「レクイエム(死者のためのミサ曲)」とベートーベンの第3交響曲「英雄」。指揮は小林研一郎(”炎のコバケン”)。
コンサートは今回の大震災で亡くなられた方々への黙祷から始まった。プログラム前半はモーツアルトの「レクイエム ニ短調k626」。ソリスト陣はソプラノ:森麻季、メゾ・ソプラノ:竹本節子、テノール:福井敬、バリトン:三原剛。混声合唱は東響コーラス(約230名)。スダーンのキャンセルからさほど日程的な余裕がなかったと思われるが、よくぞプログラムを変更した上、これだけ一流の歌手陣を揃えたものだ。なかなか出来ることではない。楽団に敬意を表したい。
急ごしらえのプログラムに大野順二楽団長の言葉がある。「私たち音楽家がこのたびの震災に立ち向かう手段は、やはり演奏することなのだと思います。このような状況だからこそ、音楽の持つ力を強く信じ、本日の公演を迎えました」。われわれ音楽好きは、この言葉を待っていたのだ。われわれは前を向いて歩かなければならない。
数日前に楽団から今回のプログラム変更の通知が届いたときに思ったことがある。それはモーツアルトの「レクイエム」は全曲演奏するのでなく「ラクリモサ(涙にくれる、その日)」までとし、ベートーベンの「英雄」につなげるべきだ、ということだ。その理由は、今回のコンサートが大震災で亡くなられた方々を慰霊し、残された者が前に向かって前進できるよう勇気付けることを趣旨としているからだ。演奏はその通りの方法を採った。
指揮者も演奏家たちもソリストもコーラスも全員黒服に身をつつんでの演奏である。黒一色もこういう時だからやむを得ないだろう。厳粛そのものだ。
「レクイエム」では、ソリストはもちろんコーラス陣が素晴らしかった。最後の「ラクリモサ」では指揮者が「みなの想いを天に昇った犠牲者の魂に届けよ!」とばかりに左人さし指を天に向けて突き立てた。演奏が終わり、指揮者が「震災で被害に会い亡くなられた方々を哀悼するためにラクリモサをもう1度演奏したい。観客席のみなさんも心の中で哀悼してほしい。演奏後は拍手は遠慮してほしい」と挨拶し、再度演奏した。最後の「アーメン」の余韻がいつまでもホールに響いて感動的だった。演奏の価値は演奏直後の余韻で決まる。
休憩時間にはソリストがロビーに立ち、義援金の箱を抱えて募金を呼びかけた。ソプラノがなかなかロビーに現れないのでメゾ・ソプラノの箱に募金した。「どうもありがとうございます」とメゾ・ソプラノでお礼を言われた。ちょっと照れてしまった。
後半のベートーベンを演奏するにあたって、指揮者が「くしくも今日はベートーベンの命日に当たる。彼はハイリゲンシュタットで遺書まで書いたが、その後生き延びて人々を勇気づける多くの曲を作った。この第3交響曲も第2楽章が「葬送行進曲」だが、第3から第4楽章では苦しみを乗り越えて歓喜に至る。これからの演奏がきっと皆さんを勇気付けると思う」と挨拶し、2つの力強い和音で曲を始めた。全曲を通して”炎のコバケン”面目躍如といった指揮ぶりだった。とくに第2楽章「葬送行進曲」は、こんなに長かっただろうか?と思うくらい葬送のメロディーが延々と続く印象があった。
結果的に言って、今日はプログラムが変更になってよかったと思う。戦後最大の大震災を受けて世の中暗くなる一方の状況下で、緊急事態により急きょプログラムを変え、演奏家も変えなければならなかったが、出演者全員が日本人によって今回のコンサートを成功に導いたのだ。東京交響楽団の底力を見せられた想いだ。
コンサートは今回の大震災で亡くなられた方々への黙祷から始まった。プログラム前半はモーツアルトの「レクイエム ニ短調k626」。ソリスト陣はソプラノ:森麻季、メゾ・ソプラノ:竹本節子、テノール:福井敬、バリトン:三原剛。混声合唱は東響コーラス(約230名)。スダーンのキャンセルからさほど日程的な余裕がなかったと思われるが、よくぞプログラムを変更した上、これだけ一流の歌手陣を揃えたものだ。なかなか出来ることではない。楽団に敬意を表したい。
急ごしらえのプログラムに大野順二楽団長の言葉がある。「私たち音楽家がこのたびの震災に立ち向かう手段は、やはり演奏することなのだと思います。このような状況だからこそ、音楽の持つ力を強く信じ、本日の公演を迎えました」。われわれ音楽好きは、この言葉を待っていたのだ。われわれは前を向いて歩かなければならない。
数日前に楽団から今回のプログラム変更の通知が届いたときに思ったことがある。それはモーツアルトの「レクイエム」は全曲演奏するのでなく「ラクリモサ(涙にくれる、その日)」までとし、ベートーベンの「英雄」につなげるべきだ、ということだ。その理由は、今回のコンサートが大震災で亡くなられた方々を慰霊し、残された者が前に向かって前進できるよう勇気付けることを趣旨としているからだ。演奏はその通りの方法を採った。
指揮者も演奏家たちもソリストもコーラスも全員黒服に身をつつんでの演奏である。黒一色もこういう時だからやむを得ないだろう。厳粛そのものだ。
「レクイエム」では、ソリストはもちろんコーラス陣が素晴らしかった。最後の「ラクリモサ」では指揮者が「みなの想いを天に昇った犠牲者の魂に届けよ!」とばかりに左人さし指を天に向けて突き立てた。演奏が終わり、指揮者が「震災で被害に会い亡くなられた方々を哀悼するためにラクリモサをもう1度演奏したい。観客席のみなさんも心の中で哀悼してほしい。演奏後は拍手は遠慮してほしい」と挨拶し、再度演奏した。最後の「アーメン」の余韻がいつまでもホールに響いて感動的だった。演奏の価値は演奏直後の余韻で決まる。
休憩時間にはソリストがロビーに立ち、義援金の箱を抱えて募金を呼びかけた。ソプラノがなかなかロビーに現れないのでメゾ・ソプラノの箱に募金した。「どうもありがとうございます」とメゾ・ソプラノでお礼を言われた。ちょっと照れてしまった。
後半のベートーベンを演奏するにあたって、指揮者が「くしくも今日はベートーベンの命日に当たる。彼はハイリゲンシュタットで遺書まで書いたが、その後生き延びて人々を勇気づける多くの曲を作った。この第3交響曲も第2楽章が「葬送行進曲」だが、第3から第4楽章では苦しみを乗り越えて歓喜に至る。これからの演奏がきっと皆さんを勇気付けると思う」と挨拶し、2つの力強い和音で曲を始めた。全曲を通して”炎のコバケン”面目躍如といった指揮ぶりだった。とくに第2楽章「葬送行進曲」は、こんなに長かっただろうか?と思うくらい葬送のメロディーが延々と続く印象があった。
結果的に言って、今日はプログラムが変更になってよかったと思う。戦後最大の大震災を受けて世の中暗くなる一方の状況下で、緊急事態により急きょプログラムを変え、演奏家も変えなければならなかったが、出演者全員が日本人によって今回のコンサートを成功に導いたのだ。東京交響楽団の底力を見せられた想いだ。
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