8日(火)。わが家に来てから今日で1835日目を迎え、トランプ米大統領がウクライナのゼレンスキー大統領に対し、バイデン前米副大統領に絡む疑惑について調べるよう圧力をかけたとされる「ウクライナ疑惑」を巡って、米メディアは6日、2人目の米政府当局者が内部告発に向けて監察官の聴取を受けていると報じたが、トランプ氏は「(野党)民主党の弁護士は両方の内部告発者とも同じか?魔女狩りだ!」などとツイートした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
「魔女狩り」って トランプはいつから女性になったんだ? ミスター・フェイク!
昨日、夕食に「トマトと豚肉の重ね蒸し」と「キャベツとエリンギとハムのスープ」を作りました 娘は「トマト~」をパスタに乗せて食べるのが好みのようです
昨日、池袋HUMAXシネマズで「蜜蜂と遠雷」を観ました これは直木賞と本屋大賞をダブル受賞して話題となった恩田陸の同名小説を、ポーランドで映画を学んだという石川慶監督が実写映画化した作品です
ピアノの天才たちが結集する芳ケ江国際ピアノコンクールの中に4人の若き挑戦者がいた 母親の死をきっかけにピアノが弾けなくなった かつての天才少女・栄伝亜夜 20歳(松岡菜優)は、7年の時を経て再びコンクールへの出場を決意する
音大出身で楽器店で働くコンクール年齢制限ギリギリの高島明石 28歳(松坂桃季)は、妻子の応援を受けて最後の挑戦に挑む
名門ジュリアード音楽院在籍中で完璧な演奏技術と感性を持ったマサル・カルロス・レヴィ=アナトール 19歳(森崎ウィン)は優勝候補と目されている
そして、パリで行われたオーディションに突然現れた謎の少年・風間塵 16歳(鈴鹿央士)は、最近亡くなった世界最高峰のピアニストからの「推薦状」を持っており、すさまじい演奏で聴く者を圧倒していく
予選から決勝へと戦いが続けられる中、4人はお互いに刺激し合いながら成長していく
「蜜蜂と遠雷」の出版を担当した幻冬舎の志儀保博氏によると、恩田陸さんから「ピアノコンクールの話を最初から最後まで書いてみたい それで、今年の浜松国際ピアノコンクール(浜コン)を取材したい
」と言われたのは2006年の夏だったそうです
前年2005年のショパン国際ピアノコンクールで優勝したポーランドのラファウ・ブレハッチが初めて出場した国際コンクールが2003年の「浜コン」で、その時彼は最高位(1位なしの2位)になったが、その時の出場が”書類選考”を経たオーディションから勝ち上がってのもので、しかも彼の自宅にはグランドピアノがなかったとのことです
これは、小説の主人公の一人・風間塵の経歴に重なります
このことからも分かるように、この小説は浜松国際ピアノコンクールをモデルにして書かれています 恩田さんは3年ごとに開かれる「浜コン」を 取材のため毎回聴きに出かけたようです
その間「浜コン」は、2006年=アレクセイ・ゴルラッチ(ウクライナ)、2009年=チョ・ソンジン(韓国)、2012年=イリヤ・ラシュコフスキー(ロシア)、2015年=アレクサンデル・ガジェヴ(イタリア/スロベニア)と優勝者を輩出しましたが、このうち韓国のチョ・ソンジン(1994年生まれ)は2015年第17回ショパン国際ピアノコンクールで優勝を果たしています
恩田さんはこれらすべてのコンクールを予選から決勝まで聴いて、何らかの形で小説に盛り込んでいったことになります
恩田さんはこの小説を書くために、構想から完成まで10年も費やしたことになります。小説家って根気がいる職業ですね
この本を読んでから、原作が映像化されるという話を耳にして、「あの長編大作をいったいどうやって2時間の映画として仕上げるんだろう」と疑問に思っていました。しかし、実際に映画を観て、石川慶監督の手腕に感服しました
全体的に原作に忠実に描かれていて好感が持てます
この映画が成功している第一の理由は出演者の人選です
栄伝亜夜を演じた松岡菜優、高島明石を演じた松坂桃季、マサル・カルロス・レヴィ=アナトールを演じた森崎ウィン、風間塵を演じた鈴鹿央士、それぞれが小説に書かれた登場人物のイメージにピッタリの俳優です
まさに「適材適所」の配役と言って良いでしょう
もちろん、彼らは本当のピアニストではないので、プロのピアニストが演奏して映像に被せています。栄伝亜夜(松岡菜優)の演奏は河村尚子が、高島明石(松坂桃季)は福間洸太朗が、マサル(森崎ウィン)は金子三勇士が、風間塵(鈴鹿央士)は藤田真央がそれぞれ弾いていますが、こちらの人選もイメージがピッタリで流石と言わざるを得ません
ピアノコンクールが主題の映画なので、ピアノを弾くシーンが多く出てきますが、いくら演技だとはいえ、4人の俳優のピアノを弾く姿はまるで本物のピアニストが演奏しているような迫力があります とくに、本選で栄伝亜夜役の松岡菜優が弾くプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番ハ長調」は迫真の演技で、感動を覚えました
映画を観終わったらすぐにでもこの曲を聴きたくなりました
※家に帰ってすぐに聴いたのはアルゲリッチ ✕ アバド ✕ ベルリン・フィルの名演です
コンクールの第二次予選では、このコンクールのために作曲された新作「春の修羅」が課題曲として演奏されますが、実際の作曲者は今や世界的な活躍をみせる藤倉大です 藤倉氏はカデンツァの部分を4人のキャラクターに応じて書き分けたそうです
映画の中で、一番美しいと思ったのは、栄伝亜夜と風間塵が、天窓を通して見える月を見ながら連弾するドビュッシー「月の光」です 途中でジャズっぽい即興演奏になりますが、次に出てきたメロディーは、ベートーヴェンの「月光ソナタ」でした
そしてまたドビュッシーに戻ります
この映画ではプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、同第3番、バルトークのピアノ協奏曲第2番をはじめ、ショパンやバッハの音楽も流れます クラシック音楽ファンはもちろんのこと、そうでない方にも十分楽しめる映画です。お薦めします
6日にN響公演で演奏されたグラスの「2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲」の第2楽章終盤におけるカデンツァについてのお尋ねですね。
私は音楽の専門家ではないので、ブログを書く時にはプログラム・ノート等の解説を参考にして書くようにしています。とくにグラスのような現代曲で一度も聴いたことのない曲はなおさらです。
N響のプログラム冊子に掲載の札幌大谷大学芸術学部音楽学科教授・千葉潤さんの解説では、「音楽が落ち着いた後、2人のティンパニストと打楽器群によるカデンツァがつづき、そのまま次の楽章へとつづく」と書かれています。
私も、カデンツァとは「独奏者がオーケストラの伴奏を伴わないで自由に即興的に演奏すること」だと思っていましたが、音楽の専門家が書かれているので、グラスの現代音楽だったらカデンツァの意味の解釈としてアリなのかなと思って引用した次第です。ただ適当に書いているのではないことをご理解いただければ幸いです。
むしろ、このブログをご覧になっている方で、カデンツァについて正確な情報をお持ちの方にコメントを頂けると嬉しいです
可愛いウサギの写真、楽しみにブログを読ませていただいています。くだらない質問ですみませんでした。
こんばんは!参考になればいいけど。
cadenza(カデンツァ)についてですが、簡単に言えば「装飾、飾り」です。
協奏曲の最後に、アカペラ(オケの音がない状態)で技巧的なメロディーをつけて華やかに終わりますよね?
昔は即興でつけていたこともあったらしいですけど、作曲家の音楽にふさわしくないカデンツァをつけられるのを嫌がり、作曲家がカデンツァを作るようになったとか。
声楽ではカデンツァ集もありますよ。
カデンツァをつけて派手に終わる方がいいですよね?演奏家もテクニックの見せどころですから。
曲の途中にカデンツァをつけることもあります。ロッシーニとかが多いです。いかに音楽を派手にするかを好んだようです。カデンツァがつくと、コロラトゥーラ(音を転がす)技術も必要になります。
あと古典、ヘンデルとかは再現部A→B→Aと戻ってきた時に、カデンツァをいっぱい入れて、メロディーを1回目と2回目で感じを変えます。
バッハとかチェンバロの時代ですから、ピアノのように音が伸びません。カデンツァをいっぱいつけて弾いたりしたようです。
文章が下手で説明悪くて、ごめんなさい。
映画は拝見していないので、カデンツァを4つ作曲したという意味が分かりません。すみません。
私が勘違いして別の公演のカデンツァについて書いてしまいました。ごめんなさい。
地元 熊本でリサイタルを開いたりして頑張っているsoprano-motokoさんが、プロの立場からカデンツァについて解説してくださいました。ご覧ください。
これに懲りず、気軽にコメントをいただけると嬉しいです
それから、「カデンツァを4つ作曲した」というのは、課題曲「春の修羅」の終曲のカデンツァは4人の演奏者が各自自由に作曲して演奏するはずなので、4人の個性に合わせて別の曲を用意したという意味です。藤倉大さんも大変でしたね
カデンツァは、協奏曲の一部と解釈していましたが、曲を盛り上げる装飾と理解して良いのですね。
きょうの朝日新聞に、恩田陸さんと藤倉大さんの対談が掲載されていました。原作では、新しく課題曲として作曲し途中にカデンツァを指示して演奏者に弾かせた。そのカデンツァを藤倉大さんが四人四様に作曲した。ということのようです。
原作も映画も見ないで勝手に疑問に思っていたようで恥ずかしいかぎりです。たいへん失礼しました。