レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

お茶目になってきたポケちゃん

2025-03-22 21:28:27 | 日記
こんにちは/こんばんは。

三月半ばですが、まずは嬉しいお知らせ。前回、油圧式のケーブルマシンを使ったベンチプレスで、現在95キロ。100キロ上げたい!というようなことを書きましたが、先週の月曜日に100キロ上がりました!万歳!

その後一日休んで、水曜日、木曜日にも上がりましたので、もう100キロは完璧にクリアです。次は110... とかではなくて、今度は懸垂ですかね。恥ずかしながら、順手での懸垂は三回くらいがマックス。しかも、二年くらい前の調子の良かった時の話しで、今はゼロ回に落ち込んでます。

夏が終わるまでに五回くらいはできればいいな、と思います。達成できればまた自慢します。できない場合はそれきりです、へへ。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Nicolas_J_Leclercq@unsplash_com


さて、今回はAIについて少々。ご存知でいてくださる方もあると思いますが、私はキリスト教会の牧師で、毎日曜日にレイキャビクにある教会で英語をメインにした集会(礼拝)を持っています。

ああ、そうそう大切なことをひとつ。四年間ほど一緒に仕事をしていたアニー牧師が出産を機会に他の教会のポジションへ移動し、今年の一月からアーニーさんという新しい男性牧師が相棒となりました。

アーニー牧師はまだ二十九歳で、現段階では国民教会の最年少牧師です。なんせ私のふたりの子供より若い。という「親子ペア」になりました。相撲取り並みに大きな若者で、のんびりした雰囲気を醸し出しています。

そのイメージの延長で「細かいことにいいかげんなんだろう」と偏見を持っていたのですが、意外や細かいことに几帳面。しかも学業「超」優秀。性格も良い。ということで、私はアーニー牧師は将来一角の牧師になるだろうと考えています。




世代的には完璧に親子的 
Pic by Me


それはともかくとして、私たちの礼拝では英語を使いますが、集会には英語が得意でないイラン人の人が相当数います。これまでいろいろと通訳で苦労をしてきたのですが、昨年の夏から日本誕生のPocketalkポケトークなるAI仕様の同時翻訳プログラムを使い始めました。このことは以前書いたことがあります。

This is revolutional カクメイだ!


まだ発展途上にあるプログラムとはいえ、非常に役に立っています。先日ポケトークから送られてきた宣伝によると、現在は日本の学校でもこのプログラムを使い始めているところがあるそうです。なんでも日本に在籍する外国人児童・生徒のうち、日本語指導が必要な学童が7万人近くいるのだそうです。しかも、そのうち15%ほどは日本語指導を受けられない状況にあるとか。

そういう状況で、このポケトーク・プログラムが導入され始めているようです。宣伝から直引用すると「導入後のアンケートでは、教職員からは87%が『今後も利用したい』と回答し、児童生徒からは86%が『利用に満足している』と回答するなど、高い評価を得ています。翻訳精度や速度に関する課題も一部見受けられましたが、今後も改善を続け、より質の高いサービスを提供してまいります。」

別にポケトークの宣伝をして、見返りをもらっているわけではありませんので、念のため。ただ私も含めて「同時通訳が必要」という状況に遭遇する者にとっては、ポケトークが頼りになる助っ人であることは実感していますし、もっと発展してもらいたいので進んで紹介したいです。

さてここからが本題。

AIの発展というのは周囲の研究者たちが発展させるのはもちろんでしょうが、AI自体が自分で発展する部分もあるのだそうです。知識がないので詳しいことは分かりませんが、AIについて学んでいたときに何かの記事で「実はAIがどのように自己進化しているかについて、そのプロセスは解明されていない」とか読んだのを覚えています。




チョイ、ポケトークの宣伝
Myndin er ur Pocketalk.co.jp


まあ、そういう部分があるから「AIはいつか人間を超える」「AIが人類を支配するようになる」というような警告、不安、妄想、夢、御託が生まれてくるのと思います。私自身は専門家でもないので「そんなことは... 」くらいのノー天気で構えていました。それがですねえ...

ポケトークを使っていていくつか気がついたことがあります。ここからがコワい話です... よ。

ポケトークの同時通訳プログラム。私は礼拝が始まる五分前くらいからスタートさせます。礼拝前というのは、まあ何事もそうでしょうが「これから始まります」というタイミングなので、おしゃべりが収まり静かになります。

そうすると、何も翻訳する言葉がなくて退屈するのか、ポケトークの勝手な言葉がスクリーン上に出てくるのです。大体の場合は単純な言葉でHello, Bye, Thank youとかです。

それが使っているうちに、もう少し語彙が増えてきて、はっきり覚えてはいないのですが、他の文言をつぶやくようになってきました。覚えているのは“I have to say about this”とかなんとか、変な文章まで混ざることがあります。もっともその時はイラン人の人たちが私語をしている時だったので、ペルシャ語を聞いたポケトークが勝手に英語での類推をして翻訳してしまったのかもしれません。

ああ、ちなみにポケトークは入力言語は英語、日本語、フランス語等のメジャーな言語に限られていて、英語をペルシャ語に翻訳はしてくれますが、その逆は今の時点では不可です。




ポケちゃんを使うワタシ
Pic by Me


先日、アーニー牧師が礼拝で説教をしている時、私は会衆席の一列目に座って、ポケトークの翻訳するスクリーンのテキストを見ながら話を聞いていました。スクリーン上にはアーニー牧師の話す英語と、そのペルシャ語訳の双方が出てきます。

そしてアーニー牧師の話しの中で“... and God gave up ...”という一節があったのですが、その部分をポケトークは“and God’s Gay Pride...”と宣いました。“God’s Gay Pride”? なんじゃ、そりゃ?(^-^;

その時思ったのです。これはポケトークの聞き取り間違いなのか?それとも承知の上でのジョークなのか?うーん、怪しい。

その時、続けてこう思いました。ポケトークもAIだし進化してるんだろうが、一体どういう進化をしてるのかなあ?と。教会のお説教中に“God’s Gay Pride”をジョークとして入れてくるとしたら、なんというか、それなりに面白いキャラクターだなあ、と。

もしかして、飼い主に似る?それは犬か?だいたいワタシは生真面目でそんなにお茶目キャラではないし。

皆さんはどう思われますか?ご自身で使われているAIに、そのようなお茶目な成長をしている子はいるでしょうか?

まあポケちゃんも、あまりお茶目になりすぎないで成長して欲しいものですが、ポケトークの会社さん、よろしくお願いしますよ。役に立つのは間違いなし。ペルシャ語から英語への翻訳、早く可能になることを願っています。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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いつの間にかの春の夢... 霞か?

2025-03-15 22:39:53 | 日記
こんにちは/こんばんは。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Ludovic_Charlet@unsplash_com


三月になりましたね。アイスランドでは三月というのは、真冬が終わったかなあ?ということを感じさせてくれる時期です。まず、日が長くなってきたことに最初に気が付かされます。

仕事が少し長引いて七時近くに帰路についても「まだ明るいじゃん」毎日少しずつ日が伸びているのですが、それ故気がつきにくいものですね。何かの機会でいつもと違うパターンの行動をした時にやっと気がつくようなとこがあります。

さらに今年の場合嬉しいのは、気温がすでにかなり上がってきていて、「真冬は過ぎた」どころか「春」になっちゃってます。まだ「寒の戻り」はあるでしょうが、私の心の暦では「春」に移りました。

三月というのは、その他には特になんということはない月です。もちろん復活祭が三月中に入り込んでくる年もあり、その際には復活祭に先立つ「受難週」という教会にとっては大切な一週間がありますので、多少事情は変わってきますが。

ここに毎年日本とのギャップを感じてしまうものがあります。日本では四月の新年度を控えて、三月は結構いろいろありますよね。卒業式とか、あるいはその後での休みの期間に海外旅行へ出るとか。テレビ番組の一新の予告とか。

その辺の感覚が私の中からはすでにごそっと消えてしまっていることに、毎年気がつかされます。なぜ気がつくかというと、大抵の場合日本のニュースですね。卒業式関連のニュースを見て「ああ、そうか」と知らされるわけです。




夢溢れる春キャンプの一コマ
Myndin er ur DodgerBlue.com


これも「今年の場合は」という限定付きのことかもしれませんが、日本が羨ましい。だって今日やってるじゃないですか、ドジャースと巨人のエキシビションゲーム。これは残念ながらMLBのネットでは視聴できません。ネットでダイジェストのシーンを後追いで観るだけです。

ああ、そうそう。三月は野球のオープン戦の時期でもありますね。これもアイスランドでは外国で起こっていることにすぎないんで、うっかりすると「えっ?もうやってんだ」みたいなことになりかねません。

またまた「今年の場合は」ですが、昨年ドジャースが優勝したこともあり、かなりMLBのニュースにはひっついてきましたので、ちゃんと頭の中に入っていました。

以前書いたのを覚えていますが、野球のスプリングキャンプとかオープン戦の時期は好きです。みんな期待感と希望だけを持っていて、すべてがポジティブ?みたいな。

開幕して一ヶ月もすると、だいたい「いける」「ダメだ」って明らかになってしまいますが、開幕前はまだまだ夢いっぱいです。ありがたい時期かも。

ここまで読んでくださった方はもうお気づきでしょうが、今日は特に「これ」というトピックがないのです。まだかなりの繁忙期が続いており、あまり頭脳の融通が効きません。ゴメンナサイ。m(_ _)m

くだらないけど夢続きでいいますと、今現在私にも夢があります。夢というよりは具体的な目標かな?




お気に入りのケーブルマシン
Pic by Me


ワタシ、それなりの筋トレ好きで、もう五年間くらいは筋トレを続けたり、怠けたりを繰り返しています。ジムに行くのは嫌なので、自宅にまあまあエクササイズができる程度の器具を集めました。

ダンベルとベンチがあれば。かなりのエクササイズはできるものなのですが、私のお気に入りは三年前の夏に買った油圧式のケーブルマシンです。これの組み立ての様子はブログでご紹介したことがあります。

Summer is back! の月曜日の過ごし方


このマシンでベンチプレスもできます。ベンチプレスというのは仰向けに横たわった姿勢で、胸の上にバーベルを持ってそのまま胸の上に持ち上げる運動で、まあ、一番単純でみんながやる種目です。

Youtubeとか観ていると「ベンチプレスで100キロ上げるのが、フツーの男子の目標」みたいなことをよく耳にします。100キロというのは、初心者には相当な重さですが、中上級者仲間では別にそんなに大した重さではありません。

で、私今、95,0キロまできました。あと5キロ。去年の八月にもここまで来たのですが、そこで気管支炎を患ってしまい、五ヶ月ほど筋トレリタイア。今年になって再開したら、なんと70キロすらギブアップのていたらく。

コツコツとリハビリを続け、やっと昨夏の水準まで戻ってきました。なんとか四月中には100キロ、達成したいですね。

正直に申告しておきますが、この「100キロ」油圧式マシンの目盛りの100キロなので、本当にジムのバーベルの100キロほどはないかもしれません。これは実際にジムに行って、自分がどのくらい上げられるかをテストするしか確かめようがないです。

六十六歳で筋トレなんて「無駄ムダ」とお思いなる方もあるかもしれませんが、そんなことはないですよ。やれば必ず結果はついてきます。若い人よりは時間がかかりますが。

ちょうど、昨年の今頃かなあ、かなり難しい「立ちコロ」という種目ができるようになりました。これはアブローラーという車輪状の器具を使って腹筋を鍛える運動です。両手で持った車輪を床につけ、身体を伸ばしてからまた元へ戻るのですが、かなり難しい運動で「みんなができる」というものでもありません。

私も一年以上かかりましたが、ともかく今はできます、そんなに苦労しないで。さすがにこれができた時は、嬉しくてFacebookで自慢しました。(^-^; まあ、あれも「夢」のひとつでしたね。




立ちコロ 身体を伸ばし切ってから元へ戻る
Pic by Me


以前、よく考えました。「なんで、もっと若い時に筋トレしなかったのだろうか?」と。ある時答えがわかりました。

もっと若かった時にはですねえ、子供のための時間とかは除いた自由になる時間というものは、すべてこの社会で生き残り、社会から認められることに費やしていたと思います。

アジア系の移民で、言葉も完璧ではないバツイチ男ですからね、それなりに浮いた存在ではありましたが、それなりにオレオレのギラギラもあったと思います。だから、その期間は筋トレとか、趣味のことは考えられなかったなあ、と。別の夢があったわけです。

だから、逆に今筋トレができているということはありがたいことです。夢としてまだここにあってくれるから。でも今を逃したら、もうする機会はないでしょうね。

まとまりのない回で申し訳ありませんが、夢にもピンからキリまであります。野球観戦も夢となりましょうし、筋トレとかでの目標達成も夢。仕事での満足できる成果も夢でしょう。

夢は大切。春の夢を追っかけましょうね。たとえ霞を喰うことになっても... 


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ジャネの法則

2025-03-08 21:49:54 | 日記
こんにちは/こんばんは。

どうもここのところ、落ち着いてブログを書く時間が取れず相変わらずの二週間ぶりくらいの更新になってしまいました。空き時間というものは、そこここで生じるのですが、昭和なワタシはオフィスではブログを書く気分にはなれません。やはり自宅でないと。

その間に早くもアイスランドは受難節に入ってしまいました。受難節というのは、キリスト教の宗教的な暦の一部でキリストが十字架にかかるまでの途往きを偲ぶ期間です。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Jonatan_Pie@unsplash_com


今「早くも」と書きました。何度も何度も書き過ぎているのは承知していますが、時が経つのが「早い」のです。私の同年代の皆さんなら同じように感じられている方は多いことでしょう。

この間、日本のバラエティを観ていて知ったのですが(何か雑学を披露しあう番組)、この「時が経つ早さ」についてきちんとした心理学的説明があるのだそうです。「ジャネの法則」というのだそうな。知らんかった。

19世紀のフランスの哲学者ポール・ジャネさんが考えつき、その甥の心理学者のピエール・ジャネさんが「記憶の進化と時間観念」という本で紹介したものだそうです。1929年のこと。そんなに前からあるんか?無知無学でした...(恥)

この辺Wikipediaの受け売りになりますが、この法則は「簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例すると主張したもの」だそうです。

どういうことかというと「例えば、60歳の人間にとって1年の長さは人生の60分の1であるが、6歳の人間にとっては6分の1であり、主観的に感じる年月の長さは歳をとるほど短くなる(時間が早く過ぎると感じる)」

ジャネの法則 Wikipedia




自宅近所 遥かにスナイフェトゥルネスの氷河を臨む
Pic by Me


つまり、六歳児にとっては一年間という月日は自分のそれまでの人生の六分の一を占めやます。時間的な比率にして約17%に達します。かたや今現在六十六歳の私にとっては一年間は六十六分の一に過ぎず、比率も2%に過ぎません。

そういうことから、年齢がかさむほど例えば「一年間」という単位の時間の経過が「早く」感じられるのだそうです。あくまでも「感じられる」という心理的な現象です。

専門的には、いろいろと補足・訂正や異論もあるらしいのですが、でもなんとなく納得してしまいますよね。おいら、単純だからかな?

小学校の3、4年生くらいの時って、本当に一年が果てしない長さに思えましたよね。だいたい「一日」が長かったよな。だから「二十歳になる」ことなんて、遥か未来のことと考えていたことは覚えています。

でも二十歳から四十歳までの二十年間は、そこまで果てしない長さではなかったですし、そこから先の二十年、いや現在までの二十六年なんて小学生時代の「一学期」くらいのものでしかない気がします。

ようやくそのように感じてしまう原因というか理由がわかった気がします。ジャネさん、ありがとうございます。

ですが、この法則によればひとつ歳を取る度に「早さ」は増していくわけですから、来年のワタシの「一年」は今年の「一年」よりも早くなり、さらに翌々年はますます「早く」なるわけですね。ちょっとヤバい気がするんですけど。(^-^;

脱線しますが、「朝早く起きた」は当然「早く」と書きますよね。「時が経つのがハヤい」は「早い」なのか「速い」なのか迷い調べました。

時間の経過そのものが「ハヤい」か遅いかは、基本的に心理的な事象にすぎず、実際に時間の流れが「速く」なったり遅くなったりするわけではないので、「早い」とすべきだそうです。なるほど。日本語、奥が深いです。




教会の天窓越しの十字架
Pic ny Me


ところで「時の流れの早さ」について、ちょっと思いついたことがあります。ジャネさんの法則によって、例えば年末に「今年は早く過ぎたなあ」と思えることの理由は説明できる気はします。

ですが、私がこの二、三週間で感じているような「時の経過の早さ」というものは、ちょっと別種のものであるような気もします。それは「ある一定の期間が早く過ぎるかそうでもないか」というよりは、「その期間が経過していることを意識していない」というものではないかと。

私、毎朝毎夕、結構な数のカプセル・錠剤を飲みます。飲まねばならぬお薬は痛風予防の一粒だけで、あとは筋トレ関係のサプリばっか。一週間分の仕分け用の「薬箱」?がふたつ、朝用と夕・晩用にキッチンに置いてあります。当然、週に一回はその薬箱にサプリを補充してやるわけですが、時折「えっ?もう空?」っていうことがあります。補充したばかりのはずだけど...? 

これは人生の長さというよりは、何かに集中、没頭しているから起きることですよね。コンピューターゲームに夢中な時は時間を忘れるし(ワタシはそれはないです)、仕事が忙しい時はやはり一週間も知らぬうちに経っています。

だから仕事でも趣味でも、何か「集中・没頭」してしまうと時間は結果として「早く」過ぎてしまうことになりますよね。これは経験則として納得。

一方で、歳を重ねることにより大局的に「一年」というようなまとまった「時間」は早く流れていく。その一方で物事の集中したり没頭したりすると、その間の時間も早く流れていく。




精神鎮静用ピック
Myndin er eftir Kamil_Kalbarczyk@unsplash_com

これは「ヤバい」の二乗です。ヤバいよ、ヤバいよ。昨年の日本人男性の平均寿命は81歳。ワタシが平均寿命まで生きられるとして、あと十五年。...! たった十五年?

誕生から中学三年までの十五年だったらいいけど、六十六からの十五年とは「一年=人生の2%」よりもさらに低くなっていく比率x15ですよ。しかも、仕事を楽しんで没頭していたら、時の経過はさらに加速。

十五年なんて、おそらく四年分くらいの実感でしかないんじゃないかな?これは焦ります。歳の進行は止められません。だとしたら何かに集中したり、没頭したりすることを避けて、加速を防ぐか?

う〜ん、集中も没頭もしなければ人生そのものがつまらなくなる。いやいや、四面楚歌というか、前門の虎後門の狼というか... あ、それはチョと違うか?とにかく「明日、何をして時間を潰そうか?」と考えあぐねていた小三の頃に戻りたくなる。

ご同輩の皆さんはどのように感じられていますか?

そして若い皆さん、時の経過は加速していきます。一年は、そして一日一日も年毎日毎に短くなっていっていることをお忘れなく。

明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 
これもチョと違うか?(^-^;


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ディープだった「袖振り合うも他生の縁」

2025-02-22 21:47:22 | 日記
こんにちは/こんばんは。

お元気ですか?前回の更新から二週間以上経ってしまいました。ちょっと繁忙期?に入っていまして、この間(かん)休みをとれたのは8日の土曜日だけ。この日はこちらに在住の邦人の皆さんの新年会があったため、無理に休みにしたのでした。

幸いなことに、ここのところ天候が安定しており、気温も暖かくなっています。雪もなし。マイナス気温にはほとんどならず、時折6-7度にもなることがあります。「今季最長の寒波」真っ最中の日本の皆様には申し訳ないのですが「春〜!」感が出てきて、私も毎日半袖を着るようになっています。




ホクホク感アップ用ピック
Myndin er eftir Yves_alarie@unsplash_com


さて、今日は「私が出会う人」ということについて考えてみたいと思います。最近、ブログを通じて何人かの新しい人と知り合いになりました。その方たちとは直接にお目にかかれているわけではないのですが、SNSやメイルを通じてやり取りをさせていただいています。

例えば、三月に「ジェンダー問題」のリサーチのためにアイスランドへの小旅行を計画している高校生の方のアポ取りのお手伝いや、都内でキャンドル作りをされている方のアイスランド語での「屋号」探しをお手伝いさせていただいたりしています。

私のブログはマイナーなものですので、数は非常に限られたものなのですが、ブログをきっかけとして連絡をしてくださる方というのは以前よりあります。幾人かの方とは実際にお目にかかったこともあります。

新婚旅行の方、写真家の方、学生さん、お仕事の方。実際にはお目にかかれないSNSのお付き合いの方々も含めて、総じてこうした出会いは楽しいものが多く、感謝しています。まあ、中には人を利用する目的が見え見えの不愉快なものもありますが、そういうのは稀なケースですね、幸いにも。

「袖振り合うも他生の縁」と言いますが、このように新しい方々と知り合えると得をしたような気になりますし、人生が豊かになったような気さえします。ちなみにワタシはこれまで「他生の縁」を「多少の縁」と思い込んでいました。

「他生」とは前世のことらしく「袖が振り合うような些細な出会いも、偶然ではなく『宿縁』なのだ」ということだそうな。勘違いしてました。恥。(^-^;

そこでチラッと考えました。人とはいったい一生の間にどれくらいの人と知り合いになれるのだろうか?と。




本文とは無関係 アヒルをパンでからかう最近の娯楽
Pic by Me


もちろん、これは個人差があるでしょう。メッシや大谷さ〜んのような世界が違うような方々は別としても、学校の先生や八百屋さん、営業担当の皆さんのように基本的に新しい人たちと知り合う機会が多い環境の人もあれば、深い山の中で林業に携わる人のように真逆の環境にある人もあると思います。

「平均」を取るのが難しいのですが、別に正確なシミュレーションをする必要もありません。仮に、ある人が四歳児になってから八十五歳になるまで、毎日3人の新しい知り合いを得ることとしましょう。多分、実際よりは多めの設定です。

これは「知り合う」だけのことで、仲が良い悪いは無関係とします。またただ「知られている」は勘定せずに「お互いに名乗りあった関係」とします。

そうしますと、この人は一年間で3人x365日で1095人の知り合いを得ることとなります。これを82年間繰り返すと1095人x82年で89790人の人々とお知り合いになることになります。まあ、おまけで9万人としましょう。

これって多いのか少ないのか?凡人にとって「基準」となるものがはっきりしないので難しいのですが、例えば年賀状(というものを持ち出すと、また高齢者だなあ)を9万枚書く人はいないと思いますし、「知り合いの名前を挙げて」と言われて9万人の顔を思い浮かべる人もないでしょう。

とすると、それなりの数なんだろうと考えて良いと思います。




清涼感アップ用のピック
Myndin er eftir Andre_filipe@unsplash_com


ところがです。その「それなりの数」っていったい日本全国や世界の中ではどれくらいの「分量」なのかいな?という観点から見てみると...

まず日本。2024年の全国の総人口は1億2488万5175人だそうです。9万人を1億2489万人(5177人を繰上げ)で割ると、0,00072%に相当します。1%の千分の一以下。

続いて世界。昨年の世界の総人口は大体82億人ということです。ですから9万人を82億人で割って見ると、0,00001%という数が出てきます。1%の十万分の一。

ですから、私たちが一生の間で9万人の人と知り合いになっていたとしても、それは日本の人口の1%の千分の一以下、世界の人口の1%の十万分の一程度となるわけです。

まあ、これを知り合える人の数が大したものではないと取るか、世間様にはかくも大勢の人がいるのかと受け取るかも人によるのではないかと思います。ですが、9万人の知り合いというものが、日本や世界の中で暮らす人々のほんの一握りにも達しないくらいのものであることは確かでしょう。




本文とは無関係 最近ハマってるチャーハン作り
Pic by Me


ということはですねえ、世界人口の多さという側から見るならば、私たちの周囲にいる知り合いの方々、あるいはSNS等でお付き合いしてる方々というのは、「知り合ったことの方が普通じゃない」くらいの圧倒的少数者であることになります。

「私のために超・選ばれし者」ともいえますし、ひとりひとりが「運命的な出合い」の「宿縁」を携えているともいえるでしょう。う〜ん、「袖振り合うも他生の縁」とはなかなか奥が深い文言だったんだ...

いやあ、そう考えると周囲の知り合いの皆様、並びにオンラインでやり取りをさせていただいている皆様に対しての態度を改めないといけないですね。皆様、おひとりおひとりは私にとっての「特別な」皆様です、という態度を学ばないと...

六十六歳になっても、新たに気が付かされることというのはあるものですね。というか、この歳になるまで気が付かないっていうのが情けないのか?

というわけで、ブログの縁で連絡してくださる皆様。あなた方ももちろん「特別な」方々です。コメントしてみるか?FB申請してみよっか?と迷われている方が「もし」ありましたら、ぜひぜひそうなさってください。1%の十万分の一の特別な関係を大切にしましょう。(*FBの場合は「ブログつながりです」と添えてくださいね。 (*^^*))



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読書ホテルの挑戦

2025-02-05 02:00:23 | 日記
こんにちは/こんばんは。




ちょっといいムード用ピック
Myndin er eftir Nicolas_J_Leclercq@unsplash_com


前回、読書に関するトピック - というかお正月にワタシがハマっていた警察小説のことをご紹介しました。

すると、以前からこのマイナーブログをよく覗いてくださっている、非常に奇特なつきみさんというご婦人からメイルをいただき、その中で最近日本で現れ始めている「読書ホテル」なるものについて教えていただきました。ありがとうございます。

「読書するためにホテル泊まんの?」と、なんとなく納得のいかないワタシはメイルの中に添えていただいた「読書ホテル」のホームページのリンクをクリックしてみました。

このリンクはつきみさんがサンプルとして添えてくださったものなので、ふたつだけ。もちろん私の実体験からの紹介とかではありません。

ひとつは箱根にある「箱根本箱」ホームページも結構手が込んでいるというか、正直ちょっとわかりにくい。(^-^;  ただ、さすが箱根だけあってちゃんとしたホテルです。

「全室に温泉露天風呂と「あの人の本箱」が付き、それぞれ異なるインテリア。1つとして同じ客室はありません。
大浴場では乳白色の硫黄泉と無⾊透明の美肌の湯、2つの泉質が楽しめます。読書に疲れたらのんびりと温泉へどうぞ。」(HPより)




前回紹介しきれなかった、最近読んだ面白本1 「名探偵の顔が良い」森晶麿
Pic by me


結構豪華な観光地ホテルじゃん! ちなみにレストランやカフェもこの水準のものが備わっているようです。

「『箱根本箱』は、本をテーマにしたインタラクティブ・メディアホテル。けっして本好きな人だけに向けたホテルではありません。
むしろ『あまり本は買わない』『最近は本はご無沙汰だなあ』という人にこそ、ぜひいらしていただきたい、“本と人との出会いの場”です」(HP より)

あまり書きすぎるとホテルの過剰宣伝になってしまいますので控えますが、要は「ホテル業」の中の定番のサービス  -食事、温泉、散歩、観光、マッサージ?等々- の中に「読書」という項目をフォーカスして加えたもののようです。

箱根本箱はこちら

もうひとつは「Lamp Light Books Hotel」 というホテルで、こちらは札幌、名古屋、福岡とみっつのホテルのチェーンのようです。

「『本を読むことは、旅をすることに似ている』なんて言いますよね。だったら、『本の世界を旅するためのホテルがあってもいいのでは』
そう、私たちは考えました。
こだわりの本をとり揃えた1階の本屋さんで、その日の一冊を選び、
読書をするためにつくられたお客様の部屋で夜通し本の世界に没頭してもらう」(HPより)




前回紹介しきれなかった、最近読んだ面白本2 「探偵は教室にいない」「探偵は友人ではない」 川澄浩平
Pic by me


こちらの方が、はじめに私がイメージしたものに近い感じで、二十四時間オープンの書店を備えており、なんというか、宿泊つきの図書館?みたいな感じかな?行ったことないので単なる想像ですが。

Lamp Light Books Hotelはこちら

はじめは奇妙に思えたのですが、よく考えてみると良い着眼点かも。今の私たちの生活って、なかなか読書をしにくいスタイルじゃないですか?PC、スマホ、ネット等々デジタルな情報がまさしく波どころか渦を巻いていますし、そういうのを遮断して読書っていうのは、それこそ決断を要する「行い」になってしまっている気がします。

そうですよね、だからワタシなんぞも「お正月休み」という機会に読書三昧したわけですし... 確かに、振り返ってみると、日々の生活の中で読書する時間は「ない」です。

若い頃は(というのが老人の枕詞だなあ)、自宅が八王子だったので都内への通学・通勤のための電車内での時間が定まった読書時間になっていました(居眠りしない限りは)。片道一時間は十分にあるのでした。今はそういうような時間はないなあ。

基本的に読書好きとそうでもない人っていうのは確かにありますよね。私は読書は好きな方だったと思います、子供の頃から。ポプラ社の「シャーロック・ホームズ・シリーズ」や出版元は忘れましたが、ルパン(ルパン三世ではない)、明智小五郎は小学生時代のお気に入り。何度も繰り返して読みました。

中学になると、岩波新書とかでの「血液型の話し」とか「心理学」「カウンセリング」とかそういう「探偵ものの」の延長にあるようなトピックにハマりました。例外は「赤毛のアン」で、これも結構な巻数を読んだ記憶があります。




前回紹介しきれなかった、最近読んだ面白本3 「本屋さんの名探偵 レジまでの推理」似鳥鶏
Pic by me


まあ、それは私の読書歴みたいなもんですが、今でも読むのは好きですね。ただし日本語でオンリー。仕事では別ですが、余暇の読書は日本語専門です。自慢しなくてもいいか。(^-^;

読書ホテルの話しに戻って、本を読むためにホテルで隔絶された時間を持とう! というのは面白い試みだと思います。でもここでクエスチョン。思いついちゃった。

だったら好きな本何冊か抱えてフツーのホテルに行けばいいじゃん?

( ... ... )      沈黙

確かにそうだけどー ... 周りの雰囲気っていうものも大事かも。自分だけだったら、きっと誘惑に負けて近隣の居酒屋とかに引っ張られるかも。スマホのゲームを開けちゃうかも。

やはり、ここは「読書に来たんだ」という意識付けとその意識をガードしてくれる環境も必要なのではないでしょうか?あとは仲間意識か?まあそれも環境の一部かもしれませんが、「ここには本好きが集まっているんだ」というような特別の繋がり感はあるかもしれませんね。

読書ホテル:まだその将来の発展は雲の中かもしれませんが、新しい試みと開拓精神は応援する価値あると思います。皆さんはどう思われますか?


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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