レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

トウキョウ港街ひとり日誌(18-1)– ハチオウジの復活

2018-04-29 05:00:00 | 日記
名古屋へのセンチメンタルジャーニーを終えて、日本帰省の締めくくりは東京になります。「必ず」とはいかないのですが、予約が取れる時はいつも新橋のホテルに滞在します。

新橋を「港町」と呼ぶのはちょっと正確さを書くかもしれませんが、東京全体から見れば海に近いのは確かだし、まあ良し、としてください。

新橋に泊まるのは、神学校に入る前、三年間ほどここでサラリーマンをしていて見知ったところだから、というのが主な理由ですが、どこへ行くにもわりと行きやすいというか、東京駅に近いのが便利、と思っています。

時々予約が取れないこともある定宿は、札幌の定宿と同じチェーンのホテルサンルート新橋。サンルートは都市によって、随分格というか、雰囲気が違うのですが、新橋のはきれいで、わりと控えめな感じのホテルです。女性受けする感じかな?

Jさんという、かわいい中国系の受付けの女性にいただいたお部屋は15階で、これは結構ラッキー。やはり上に行った方が景色がいいですから。以前、地震があった時は怖かったですけどね。

エレベーターを降りると、正面に東京タワー。部屋からは汐留のビル。「あ〜、トーキョーだ〜!」と叫びはしませんが、胸中「ムフッ」としたところはあります。水トちゃん、いないかな...? とか。




新橋のホテルの部屋から 目の前は汐留のビル群


すっかりお上りさんと化したワタシが、翌朝向かったのは八王子です。文字通りの生まれ故郷です。母方の家のお墓があるので、たまの御墓参りに行くことにしたのです。

私はまったく「お墓」に執着する人ではないのですが、母が札幌からは来れるものでもないし、なんというか名代というか、親孝行のつもりでした。

東京駅から中央線一本。きちんと座っていけます。私が若かった頃は、中央線というのは基本的に八王子から高尾へ行くのが「当然」で、まれに情けで立川から青梅方面に曲がっていく電車ある、という感じでした。

それ以降、八王子がどうしようもない大学の誘致にうつつを抜かしているうちに、周辺の立川、町田、その他奥多摩方面に先を越されてしまい、今では中央線の半分くらいしか高尾まで行かないのでは?という気がしています。

そんなこんなですっかり「負け組」の感があった八王子ですが、最近、盛り返してきている面もあるようですね。

ひとつは「タカオザン」高尾山の人気上昇です。これは、私は三年くらい前までまったく知らなかったのですが、アイスランドから日本へ交換留学へ行く学生さんたちの間でも、高尾山は「MUST」スポットになっていたのです。なんで?

で、その後聞き知ったところでは、交換留学生のみならず、トウキョウ人一般の間でも高尾山は静かなブームになっているとか。八王子市立第七小学校に在籍した私ら学童としては「え〜! またタカオザンかよ?」が合言葉でしたが。

そして、もうひとつの八王子盛り返しの旗頭は、いうまでもなくヒロミさんとタッキーの「八王子リフォーム」ですよね。「有吉ゼミ」を始めとするバラエティであれだけ、八王子印の入ったTシャツで活躍していただいて、周囲の八王子を見る目も変わってきたのでしょう。

ついでですが、買いました。「八王子印」のTシャツ。駅前の「ドンキホーテ」で。一枚千円ですからね、安かった。娘に二枚、その彼氏に一枚。息子に一枚。ワタシは...要らない。NYヤンキース印の方がかっこいいから。

まったくの偶然なのですが、名古屋にいた土曜日の晩、テレビで八王子の特集をやっていたのです。ホテルで観ました。「アド街ック天国」です。なんと「BG」でもお会いしたばかりの上川隆也さんもゲスト出演。八王子出身だったですね、上川さん。知りませんでした。




お土産に買った「八王子Tシャツ」


さて、八王子に着きました。駅ビルはもう「Sogo」ではなく「セレオ」とかいう名前が付いています。スミマセン、存在感のない名前で覚えられず、ネットで調べて書いています。(^-^;

ここにあったんですよね、成人の日の際の、あの「晴れ着騒動」の会社。

そして「ドンキホーテ」でお買い物した後は、昔の目抜き通りを歩き、「晴れ着騒動」でお助けのサポートをしたとニュースにもなっていた「荒井呉服店」前を通過。言わずもがなですが、ユーミンの実家です。ほら見ろ! 八王子、結構すごいではないか。ちなみに、ワタシの兄貴はユーミンの幼稚園の同級生です。

しばらく歩いたところにあるお寺でお墓参りをすませ、かつて自宅があった町の方へぶらぶら歩いて行きました。実は結構足が痛かったんですけどね。

かつて自宅があったところには、別のワンルームアパートのような新築物件が建っていました。まあ、その点では感傷的にはなりません。時は移りますからね。

その後、お世話になっていた知人の方を訪ねてから帰りましたが、翌日もまた八王子へ。

前日会い損ねてしまった、素敵なご婦人とお会いするためです。私が洗礼を受けた八王子の教会の知り合いで、私より九才年上なのですが、全然昔と変わらない、という不思議な方です。そういう人って、時々いますよね。

名古屋でも教会の方々と旧交を温めたばかりでしたが、名古屋と八王子では違いがあります。名古屋では私は「牧師」あるいは「神学生」というタイトルだったのですが、八王子では「青年」なのです。「青年会」にいた「青年」です。実際には「Used to be」ですが。この違いはかなり決定的で、なかなか覆りませんよ、へへ。

だから、そういうのが「故郷」なんでしょうね。「結果」ではなくて、その前の段階がそのまま残っているのが。良いにしても、悪いにしても。

キリストも聖書の中で言っていますよ、「預言者は故郷では受け入れられない」と。要するにガキ(失礼!)の頃を知っている人たちのいるところでは、そのイメージのために人々の目が曇らされてしまう、ということです。

キリストの場合はそれは悪い方に傾いてしまいましたが、一般的には必ずしも負ではないのでしょう。ワタシの場合は、「牧師」ではなく「青年(used to be)」であることに、異議を唱えるどころか、一抹の嬉しさすら感じます。「諸手を挙げて嬉しい」というのではなく、「いやー、少しは成長したんだけどね...」という部分が残るのが「故郷」なところです。

で、感じたことですが、「では、その、ちょっとは成長したワタシが、何か、今、故郷でできることはあるのかしら?」ロナルドのように、故郷の町にドカンと大きなお金を落とすようなことは、もちろん別世界のことですが、お金ではなくとも何かしら。

これまで、そんなこと考えたことなかったのですが、そういうことが頭をよぎるといいうことが、初老の証しなのでしょうか?





前より手入れが行き届いているように思われた富士森公園


その後、さらに懐かしい、私が小学校六年の途中まで住んでいた「富士森公園」という公園のある地域へドライブ。非常に久しぶりでしたが、昔よりも立派な公園になった感がありました。写メを撮って、なんか得をした気分になりました。

郷愁を帯びて、京王八王子から都内に戻りました。銀座を歩いて、中国からのお客さんで膨れ上がったようなユニクロでお買い物をすると、なぜか現実に引き戻されたような。

トウキョウ最後の夕食は、新橋の横丁にある「宇奈とと」で特上うな重弁当を、ごはん大盛りにしてもらいお持ち帰り。1600円。ここのうなぎ弁当は旨いです。

新橋で働いていた頃は、そういう環境は「日常」真っ只中で、そこから少しでも「非日常」の世界へ行きたい!と思っていたように覚えています。今は、その新橋に来るのが、あるいは日本へ来るのが「非日常」になっている自分です。

だから、「日本がいい」とか「海外がいい」ということではないんでしょうね。「隣の芝生は青く見える」というのは、思っていたよりもふかぁ〜い真実なのかもしれませんね。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

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