ここアイスランドでは、八月の第一の週末はVerslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギ「商人の週末」と呼ばれる月曜までの祝日。そしてその週末の後は「夏休み終わり」の感がやってきて、生活が日常に戻り始める、ということはこれまでにも何回か書いてきました。
今年はヴェルスルマンナヘルギの間は夏らしい好天に恵まれ、気温もそれなりに(13―16度)「夏らしい」ものになりました。野外どんちゃん騒ぎパーティーの愛好者の方々はさぞかし楽しんだことでしょう。羨ましくもなんともありませんが。
そのお祭り週末が明けた火曜日は、風が強くなり半袖シャツに革ジャケットで外を歩いた私は、すっかり冷えてしまいました。寒かったですよ、マジで。翌水曜日も強風。典型的な八月の天気で「大気が不安定」という言葉がいつも頭に浮かんできます。
その翌日の木曜日の晩は、レイキャビクのダウンタウンにあるTjanidチャルトゥニズ「池」のほとりで、恒例の「ヒロシマ・ナガサキを偲ぶキャンドル流し」が行われました。この日は風もおさまり、多くの人が参加しました。今年で三十四回目ということです。
昨年は雨で、私はくじけて参加しなかったのですが、今年は心改めて参加してきました。このイベントについては以前にもブログで書きましたので、よろしければご一覧を。
レイキャビク式灯籠流し
「キャンドル流し」会場の池 午後十時半からですが、十時にはまだ誰もいない
この集まりに参加すると、いつもアイスランド人の良い部分を感じる思いがします。「他人のことでも親身になる」というのか、素朴な田舎っぽい人の情愛を感じてしまうのです。
特に大掛かりな宣伝がされるわけではありませんし、凝った趣向もありません。人たちはただ来て、短いスピーチを聞き、キャンドルを灯して、静かな池の面に祈りと共に浮かべるのです。
仰々しいイベントではないが故に、むしろ心にじんわりと伝わってくるものがあります。
直接には、広島にも長崎にも、あるいは日本にも特別な関係がないであろう人たちが、この日のことを毎年覚えて、哀悼と平和への願いとお祈りを運んで来てくれる、ということは当たり前のことではないし、大切に受け取りたいと思います。
時々そこここで、そのようなアイスランド人の「田舎っぽい情愛」を感じる機会があります。家族的な情愛という言い方もできるかもしれません。「たとえ表面的に先進国の衣装を纏(まと)ったつもりでいても、衣装のほころびをつつけば、田舎社会が顔を出す」というのが、私のアイスランドに対する基本的な意見です。
この、そこここに顔を出す「田舎臭さ」が気にならないか、あるいは私のようにむしろ気に入ってしまう向きは、アイスランドとうまく折り合いをつけることができるでしょう。
そういう田舎臭さに我慢がならず、どうしてもトーキョーやニューヨークでのようなセンスで物事を運んで欲しい向きには、おそらくアイスランドは正しい場所ではないのではないか、と思います。
これはレストランやホテルでのサービスのような、表面的な事象についてだけではなく、何と言うか、社会の成り立ちから行政一般の運び方等、かなり社会生活の根本にあるもの全般に関して言えることだと考えます。
先日の水曜日に面白い話しを聞きました。いろいろな教会の有志が集まる、お昼の祈りの会に参加しました。その集まりに定期的に出席しているベンニさんというおじさんが、前日に電話してきて「どうしても会ってもらいたいシリア難民の女性がいるから」ということでした。
ベンニさんは特に親しい友だちではないのですが、いろいろと難民の手助けをしている優しいおじさんで、時々一緒に活動をすることがあるような関係の人です。
十時半にはかなりの人だかり
会の後、ベンニさんとその難民の女性の方と、三人でカフェで話しをする時間を持ちました。この女性アイラさんは、シリアにいた時から聖書に関心を持ったそうで、難民となって滞在していたギリシャでクリスチャンになりました。
で、ベンニさんは、アイラさんが孤独にならないようにと、教会の中で親しい友だちを見出しやすいような環境を探してあげていたのです。
教会の集会というものは、いろいろな仕方で無数に持たれているのですが、それらの中で、アイラさんが最も居心地がよくなるのはどこか?とベンニさんなりに、助力したかったようです。
私は、アイラさんは市の真ん中にある、ある教会の英語礼拝に参加している、と聞いていたので、そこでいいじゃないか?と思ったのですが、ベンニさんは気に入らないらしく、「あそこの英語の礼拝に来る人は、来ては去る、という性格が強く、あまり継続した親交が持てない」と言うのです。これは初耳。
さらに同じその教会のアイスランド語での礼拝については「そこは私自身の教会だし、いいんですけどね。ただ、あそこはみっつかよっつの『家族』によって形成された集会なので、外から来た者は入りにくいというか、入れない部分があるんです」へー、なるほど。これも初耳。
「でも他の国民教会のあちこちの集会を見ても同じだと思う。昔からいる『家族』が中心に座っていて、それ以上の『コミュニティ』が成長しないところが多いように思うんだ」そう。これは初耳ではなく、私も実体験してきました。
で、私が口をはさみました。「教会というよりは、アイスランドの社会そのものがそういう感じしますよ」
つまり、これは私がいうところの「田舎臭さ」の一面でしょうし、ネガティブな方向の局面だと思います。「内側」に入ってしまえば、居心地は良くなるのですが、「外側」にいるうちは、「内側」にいる連中の気の利かなさにイライラしたり、閉め出されたような疎外感を感じたりしてしまうのです。
まあ、新来者が疎外感を持たされたり、イライラさせられてしまうことはよくないことですし、これはいくら言い訳を連ねても正当化されません。アイスランド社会の改めていくべき点だと思います。
ですが、その一方で、今あるこの「田舎臭さ」そのものが損なわれないように、ということも私は願っています。何というか、均一のマニュアル的な「洗練さ」や「スマートさ」が入ってくることによって、これまでのアイスランド社会が「地」で持っていた温か味や人間味が損なわれて欲しくはない、と思うのです。
午後十一時には懐かしい闇が訪れます
要するにうわべは丁寧で、礼儀正しく感じ良いのだけど、実際にはそう振舞っているだけで、なんの実際の心もそこに付いて行っていない、というようなことです。
まあ、「都会」とされるところの大方ではそのようなことが現実になっていると思っていますが。すべてではないでしょう、ということは付け加えておきますが。
私は都会が嫌いなわけではありませんし、むしろ都会好きな方なんですけどね。でも、ここがトーキョーやニューヨークのようになって欲しいとは思いません。そうなったら、そこはアイスランドではないですから。規模の問題というよりは、... 生活の基盤、社会の組み立て方の問題だろうと思いますが。
先述のシリア難民のアイラさんですが、うまく教会に溶け込んでサポートを受けることができるよう願います。アイスランドの「田舎臭さ」が出てくれますよう。相当な辛い出来事をくぐってきたようなので、この地で新しい生活の基を据えてくれることを、おそらく周囲の誰もが望んでくれるでしょう。
アイスランド、「世界の田舎」で居続けて欲しいものです。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
今年はヴェルスルマンナヘルギの間は夏らしい好天に恵まれ、気温もそれなりに(13―16度)「夏らしい」ものになりました。野外どんちゃん騒ぎパーティーの愛好者の方々はさぞかし楽しんだことでしょう。羨ましくもなんともありませんが。
そのお祭り週末が明けた火曜日は、風が強くなり半袖シャツに革ジャケットで外を歩いた私は、すっかり冷えてしまいました。寒かったですよ、マジで。翌水曜日も強風。典型的な八月の天気で「大気が不安定」という言葉がいつも頭に浮かんできます。
その翌日の木曜日の晩は、レイキャビクのダウンタウンにあるTjanidチャルトゥニズ「池」のほとりで、恒例の「ヒロシマ・ナガサキを偲ぶキャンドル流し」が行われました。この日は風もおさまり、多くの人が参加しました。今年で三十四回目ということです。
昨年は雨で、私はくじけて参加しなかったのですが、今年は心改めて参加してきました。このイベントについては以前にもブログで書きましたので、よろしければご一覧を。
レイキャビク式灯籠流し
「キャンドル流し」会場の池 午後十時半からですが、十時にはまだ誰もいない
この集まりに参加すると、いつもアイスランド人の良い部分を感じる思いがします。「他人のことでも親身になる」というのか、素朴な田舎っぽい人の情愛を感じてしまうのです。
特に大掛かりな宣伝がされるわけではありませんし、凝った趣向もありません。人たちはただ来て、短いスピーチを聞き、キャンドルを灯して、静かな池の面に祈りと共に浮かべるのです。
仰々しいイベントではないが故に、むしろ心にじんわりと伝わってくるものがあります。
直接には、広島にも長崎にも、あるいは日本にも特別な関係がないであろう人たちが、この日のことを毎年覚えて、哀悼と平和への願いとお祈りを運んで来てくれる、ということは当たり前のことではないし、大切に受け取りたいと思います。
時々そこここで、そのようなアイスランド人の「田舎っぽい情愛」を感じる機会があります。家族的な情愛という言い方もできるかもしれません。「たとえ表面的に先進国の衣装を纏(まと)ったつもりでいても、衣装のほころびをつつけば、田舎社会が顔を出す」というのが、私のアイスランドに対する基本的な意見です。
この、そこここに顔を出す「田舎臭さ」が気にならないか、あるいは私のようにむしろ気に入ってしまう向きは、アイスランドとうまく折り合いをつけることができるでしょう。
そういう田舎臭さに我慢がならず、どうしてもトーキョーやニューヨークでのようなセンスで物事を運んで欲しい向きには、おそらくアイスランドは正しい場所ではないのではないか、と思います。
これはレストランやホテルでのサービスのような、表面的な事象についてだけではなく、何と言うか、社会の成り立ちから行政一般の運び方等、かなり社会生活の根本にあるもの全般に関して言えることだと考えます。
先日の水曜日に面白い話しを聞きました。いろいろな教会の有志が集まる、お昼の祈りの会に参加しました。その集まりに定期的に出席しているベンニさんというおじさんが、前日に電話してきて「どうしても会ってもらいたいシリア難民の女性がいるから」ということでした。
ベンニさんは特に親しい友だちではないのですが、いろいろと難民の手助けをしている優しいおじさんで、時々一緒に活動をすることがあるような関係の人です。
十時半にはかなりの人だかり
会の後、ベンニさんとその難民の女性の方と、三人でカフェで話しをする時間を持ちました。この女性アイラさんは、シリアにいた時から聖書に関心を持ったそうで、難民となって滞在していたギリシャでクリスチャンになりました。
で、ベンニさんは、アイラさんが孤独にならないようにと、教会の中で親しい友だちを見出しやすいような環境を探してあげていたのです。
教会の集会というものは、いろいろな仕方で無数に持たれているのですが、それらの中で、アイラさんが最も居心地がよくなるのはどこか?とベンニさんなりに、助力したかったようです。
私は、アイラさんは市の真ん中にある、ある教会の英語礼拝に参加している、と聞いていたので、そこでいいじゃないか?と思ったのですが、ベンニさんは気に入らないらしく、「あそこの英語の礼拝に来る人は、来ては去る、という性格が強く、あまり継続した親交が持てない」と言うのです。これは初耳。
さらに同じその教会のアイスランド語での礼拝については「そこは私自身の教会だし、いいんですけどね。ただ、あそこはみっつかよっつの『家族』によって形成された集会なので、外から来た者は入りにくいというか、入れない部分があるんです」へー、なるほど。これも初耳。
「でも他の国民教会のあちこちの集会を見ても同じだと思う。昔からいる『家族』が中心に座っていて、それ以上の『コミュニティ』が成長しないところが多いように思うんだ」そう。これは初耳ではなく、私も実体験してきました。
で、私が口をはさみました。「教会というよりは、アイスランドの社会そのものがそういう感じしますよ」
つまり、これは私がいうところの「田舎臭さ」の一面でしょうし、ネガティブな方向の局面だと思います。「内側」に入ってしまえば、居心地は良くなるのですが、「外側」にいるうちは、「内側」にいる連中の気の利かなさにイライラしたり、閉め出されたような疎外感を感じたりしてしまうのです。
まあ、新来者が疎外感を持たされたり、イライラさせられてしまうことはよくないことですし、これはいくら言い訳を連ねても正当化されません。アイスランド社会の改めていくべき点だと思います。
ですが、その一方で、今あるこの「田舎臭さ」そのものが損なわれないように、ということも私は願っています。何というか、均一のマニュアル的な「洗練さ」や「スマートさ」が入ってくることによって、これまでのアイスランド社会が「地」で持っていた温か味や人間味が損なわれて欲しくはない、と思うのです。
午後十一時には懐かしい闇が訪れます
要するにうわべは丁寧で、礼儀正しく感じ良いのだけど、実際にはそう振舞っているだけで、なんの実際の心もそこに付いて行っていない、というようなことです。
まあ、「都会」とされるところの大方ではそのようなことが現実になっていると思っていますが。すべてではないでしょう、ということは付け加えておきますが。
私は都会が嫌いなわけではありませんし、むしろ都会好きな方なんですけどね。でも、ここがトーキョーやニューヨークのようになって欲しいとは思いません。そうなったら、そこはアイスランドではないですから。規模の問題というよりは、... 生活の基盤、社会の組み立て方の問題だろうと思いますが。
先述のシリア難民のアイラさんですが、うまく教会に溶け込んでサポートを受けることができるよう願います。アイスランドの「田舎臭さ」が出てくれますよう。相当な辛い出来事をくぐってきたようなので、この地で新しい生活の基を据えてくれることを、おそらく周囲の誰もが望んでくれるでしょう。
アイスランド、「世界の田舎」で居続けて欲しいものです。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is