レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Black Firday とマイ Sunshine Thursday

2018-11-25 03:00:00 | 日記
十一月最後の週に入りましたが、レイキャビクでは静かな週末となりました。静かと言っても天候の話しで、気温はゼロ度くらいなのですが、風がなく穏やかな日和です。

天候以外ではそれほど静かだったわけではないようで、おとといの金曜日は「ブラックフライデー」とかの広告が出まくっていました。あちこちのお店でかなりの値引きでのセールとなったようです。

ここ数年間、このBlack Friday -アイスランド語ではSvartur fostudagur となりますが- という言葉が表に出てきていました。今年はこの「セール」に参加するお店の数が過去最高になったそうで、さもありなん、と思わせる宣伝の有様でした。




二大新聞の表紙の「表紙」は「黒キン」の広告


この「黒キン」、もともとは案の定アメリカのものだそうです。株式の大暴落でブラックマンデーとかがあったから、それをもじって作ったのだろう、と思ったのですが、Wikiとかで調べてみると、1952年くらいからあるそうで、アメリカでは意外に長い歴史を持つものであるようです。

感謝祭に続く金曜日、十一月の第四金曜日をセール用のBlack Fidayとしたのですが、これは次にやってくるアドヴェントから本格化する「クリスマス商戦」への橋渡しとして設けられたものらしいです。この辺は受け売りなので、間違っていたらゴメンなさい。

こちらではいくつかのお店は、金曜日だけではなく、週末を通じてセールをしているようで、お店ではきっと騒がしい週末なのでしょう。私には縁がありませんが。私はユニクロのオンラインでお金を使いすぎてしまいオケラです。

と思っていたら、娘が「明日の月曜日も『サイバーマンデー』でセールだから、欲しいものがあったらチェックしたほうがいいよ」何?Cyber Monday?? それは聞いたことがないぞ。

これもWiki仕込みですが、このCyber Mondayもアメリカ生まれで、感謝祭の週末明けの月曜日をセールの日と決めたようです。こちらはずっと新しく2005年から。「黒キン」だけでは宣伝費の元が取れないから、月曜まで「延長」したのでは?と疑います。

でも「サイバー」って何じゃい?と思いますよね。そしたらこれはOnline shoppingと関係があるようです。ネットで買わせようという魂胆か?だったら私はもうユニクロで餌食になっています。

巷ではそういう「マネーウィークエンド」ですが、教会では今日の日曜日は暦上一年の最後の日曜日。「終末 – キリストの再臨」という教会に昔からある考えと引っ掛けて「王なるキリストの日」とも呼ばれる日曜日です。

そして来週からは新年となり、クリスマスへの準備となるアドヴェントに入ります。今年は十二月に入ってからになりますね。

私はおとといの金曜日に休みを取り、家の掃除をしてアドヴェント用の飾り付けを済ませてしまいました。これを済ませておくと、アドヴェントに向かう心も準備された気がして、何となく落ち着いてくるので、毎年早い時期に済ませてしまう癖がついてきました。

庶民に属する私にとって、お金の話しはストレスの元ですが、人の優しさを伝えてくれるような体験に触れることや、他者を傷つけることない良い成功談等は、逆にストレスを軽減してくれる心の柔軟剤のようになってくれます。

この間の木曜日にも、本当に小さいけれども、心が和む体験をしました。思いがけない形で出てきたのですが、その分、嬉しく思える度合いが増した感じがしました。




我が古アパートの居間 アドヴェント準備完了


先の木曜日は、昼からびっちりと教会の「洗礼準備のクラス」が組まれていました。びっちり、といっても三回だけなのですが、それでも結構やりがいがあるのです。参加者は、計八人で、全員壮年の男性で難民申請者。七人がイランからの人。ひとりがトルコ内のクルド領からでした。

英語が十分ではない人がいるので、いずれの会も仲間が通訳するか、通訳用に他の人が来てくれます。といっても、皆「難民=Seekers」仲間です。

クラスは一回目が昼前の十一時半から、一時間半を予定していました。参加者はクルド人の人。言葉の問題があるので、トルコ語ができるイラン人 が通訳で来てくれていました。

ところが、当のクルド人のケスマンさんは遅刻。三十分くらい遅れてやってきました。日本人のような時間厳守は、他の国の人には通用しないのが普通ですので、ここはゆとり。慣れています。

やってきたケスマンさん、「Sorry」を繰り返しながら、「今までアイスランド語のクラスにいて、終わってすぐに駆けつけてきました」なんだ、それなら始めからそう言えばいいのに、と思いながらクラス開始。

まったくの一回目だったので、トルコ語かクルド語で聖書を読んだことがあるかどうか尋ねました。すると、「トルコ語も、クルド語も、話せるけど読み書きはできないよ」

そう言うと、持ってきていたアイスランド語の教科書を見せてくれました。「This is my first time to be at school!」学校というものに、これまでの人生で一度も行ったことがなかったのだそうです。ちなみに彼は今、四十二歳。

読み書きのできない人、学校に行ったことのない人というには、私の仕事で接する人の中には、「よくいる」とは言いませんが、それほど稀でもありません。

それでも「OK、ではそういうものとしてプログラムを考えないと... 」と考え始めていると、ケスマンさん、アイスランド語の教科書の始めを開いて「アー、ベー、セー... 」と指差し、口にしながら私の方をチラリ。「初めて、文字の読み方と書き方を習いました」と言うと、破顔一笑。「いい気分だよ!」




アイスランド語のテキストの中身は?こんな


アイスランド語のクラスの後では、皆が大体同じことを言います。「難しい」「やたらにめんどうくさい」「時間がかかるー」等々。

そういう多数派に対してのケスマンさん。本当に他に何のわだかまりもないところから出てきたような、彼の大きな「にっこり」に、私の方がびっくりさせられ、また嬉しく思いました。

四十二歳で初めて参加した授業を楽しみ、生まれて初めて「読むこと」「書くこと」を習ったことを、照れも当惑もなく、そのまんま喜びとしたものに接するのは、こちらの方も初めてでした。

人間誰しも「当たり前」の状況を持っていますし、「常識」を抱えています。それがなかったら、それはそれで困ったことです。それに誰しも「自分の常識が、どこでも通じるものではない」ことも心得ているものでしょう。

それでも「常識」が、思わぬところで破綻し、オロオロさせられることも、おそらく誰でも経験したことがあると想像します。

今回の私の体験も、そういうことの中の一つだったのですが、普段とちょっと違っていたのは、それがなんとも優しく心に浸みてくる体験だったことです。こういう風に常識が覆されるのなら、文句はないなあ。

そういう嬉しさのお裾分け?をもらった木曜日でした。だったらなんでしょうか?「サンシャインサーズデー」?「ブルースカイサーズデー」?
いや、ケスマンさんにあやかって「ビッグスマイルサーズデー」としましょう! 

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


コメント (5)
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