レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

四十歳の二十周年記念日

2018-11-11 03:00:00 | 日記
やれやれ、ついに六十の歳に達しました。

毎年十二月の初めに、在アイスランド日本大使館の主催で天皇陛下のお誕生日を祝う祝賀会が持たれます。立食形式で、日本酒やお寿司なども振舞われます。ここ数年はずっと失礼していたのを、昨年は久しぶりに顔を出してみました。

その際、日本大使の北川さんが挨拶を述べられました。北川大使は別に景子さんのお父様ではありません。ですが石坂浩二然としたところのある温厚なジェントルマンで、キャリアではないので?官僚臭くなく親しみが持てます。

その挨拶の中で「還暦を迎えましたが、還暦というのは一周回って元へ戻ってくるということだそうで...」というようなことを言っておられました。その時点で私も「還暦候補生」だったので、聞き耳が立ったのでした。




このような風船も歳別に売っています
Myndin er ur Partyvorur.is


還暦といえば「赤いハンカチ」(おお、裕次郎!)、じゃなくて「赤いチャンチャンコ」。やたらのそのイメージだけが強いのですが、何を意味しているのでしょうか?

「暦が一巡したことで『もう一度生まれたときに戻る』と仮想したお祝い事が行われます。古来、日本では赤い色は『魔除けの色』と考えられ、赤ちゃんの産着(うぶぎ)には赤色が使われていました。そのため、還暦になったときもう一度赤いものを身につけるという風習になったわけです」

というのが、高島屋のギフトコーナーにある説明です。便利な世の中ですね。必ずどこかに答えてくれる人がいる! とにかく、爺さん婆さんはチャンチャンコが良く似合う。ということではないようです。

それでも個人的には「還暦」というよりは「四十歳の二十周年記念」という方が気に入っていますが。

日本では、誕生日祝いというのは子どもなどがまだ小さいうちか、あるいは逆に、まあ還暦はそう高齢ではないですが、喜寿(76歳)、米寿(87歳)等、高齢になってからお祝いをするのが普通だろうと思います。

お祝いをする、というのは本人と家族が祝杯を挙げるということではなく、誕生祝いを周囲を巻き込んで持つ、という意味です。

その点、アイスランドでは事情が異なります。実際、誕生日というのは、アイスランドと日本で文化的、社会的な意味が異なるものの代表選手だろうと日頃から考えています。

こちらでは、生まれ落ちた赤ちゃんから、ずーーーーと、人生最後の誕生日まで、人々はせっせとみずからの誕生日祝いを演出します。「みずからの」というのは、アイスランドでは誕生祝いとは「当人が祝いを用意して、日頃からの厚情を周囲に感謝する」という性質のもので、周囲が進んでお祝いするものではないからです。

ですから、職場などでもAfmaelisbarn(afmaeli=誕生日、barn=子供で、誕生日の子供)が、みずから持参したケーキ等を皆に配って食べてもらう、というのが普通です。

誰にでも、毎年必ずやってくる誕生日ですが(2月29日生まれの人はどうするのかは訊いたことありませんが)、特に四十、五十、六十等の区切りになる誕生日はStorafmaeli(大きな誕生日)と呼ばれ、人によってはかなり盛大なパーティーを催したりします。





今から十五年前の誕生日記事 若い?


以前十年の間、居候をしていたネス教会。当時ふたりの六十歳前後の男性牧師さんがいました。主任牧師のOさんは2009年に六十歳になりました。その際Oさんは「六十の誕生日だから、日曜日の礼拝に来てくれ」みたいな感じで呼びかけ、礼拝後のお茶の時間を自分の誕生パーティーみたいな感じにしていました。

私は礼拝の手伝いをボランティアでしていたのですが、「公私混同も甚だしい」と不快に思ったものです。Oさんは、まあそういう感じの見栄っ張りの牧師さんでしたね。今はノルウェーで働いています。

ネス教会にいたもうひとりの牧師さん、Sさんはそれから四年後の2013年に六十歳になりました。こちらは、教会の集会棟を会場とはしましたが、あくまでプライベートな集い。それでも百五十人くらいのゲストを呼び、相当大きな祝いの会にはなってはいました。その時もそこにいたのですが、義務の時間が終わるとさっさと退散いたしました。

で、お分かりと思いますが、私はあまりパーティーが好きではありません。絶対嫌!というわけでみなく、結構楽しく過ごすこともあります。例外なく、話しの合手になってくれる素敵な女性がいる時ですが、それはそうそう毎回巡ってくる幸運ではありません。

私は性格的に、自分が話すよりも話を聞くことの方が好きなタイプで(意外に思われましょうが、牧師にとって必要な第一の条件です)、そういうタイプはあまりパーティー向きではないように思えます。

というわけで、六十の誕生日を迎えても当然パーティーとかはしませんでした。娘と食事に行ったのと、親しくしてくれている邦人の方が後日食事に誘ってくれているのをお受けしているだけです。

もちろん何もなくてはつまらないので、何がしかのことはしようと思ったのですが、それが以前から何度も書いているダイエットと筋トレです。概ねうまくいきました。六十だからといって「年寄り」でくくられるのは嫌ですからね。お腹が平らだと、多少プロテストにも喝が入ります。

付録でついてきた楽しみもあります。新聞です。誕生日祝いが文化の一部になっているアイスランドでは、新聞等も誕生日祝いの人たちを取り上げます。フリェッタブラージズ紙が私の「還暦」に注目してくれ、短いインタビューを記事を写真と共に掲載してくれました。




今回、私の四十歳の二十周年記念を扱ってくれた新聞


実はワタシ、結構この「誕生日のお祝い記事」では人気があり、過去にもフリェッタブバージズ紙で、2003年(45歳)、04年、ちょっと小さ記事で05年、一年飛んで2007年、そして五十歳の2008年と、五年間で四回載せてもらったことがあります。ちょっとしつこいですよね。

よほど11月8日はニュースがなかったのでしょう。それにその頃はまだまだ「ガイコクジン」で目立つ人は少なかったのでしょう。幸いに、今では相当変わってきたと言えると思います。

今回、十年ぶりに誕生日のインタビューを申し込まれて、意外と嬉しかったというか「ああ、まだ完全に忘れられてはいないんだ」という安心感?って、そういうのがまさしく「過ぎてしまった人」の感想ではないか!? やばいです!!

とは言いながら、やはりこれからの十年(すべての条件がうまく整って、という条件で)が、仕事をできる最後の十年であることは確かです。ということはそれなりに、しっかりと目標を立てて、どのようにして仕事を終えるか、ということは絶対に視野に入れておかねばなりません。

それを思うと、「あと十年しかないのか」ということが、非常に具体的に迫ってくるのですよ。何にプライオリティーを与えて、何を「できれば」という副菜に下げておくか。これはこれで、結構考えるのが楽しくなるトピックです。

そういうことですので、とにかくおかげさまで還暦を迎えることができました。それで何かがすぐ変わるということはありません。このしょうもないブログも、まだまだ続けていくつもりです。

内容的に見て「どうしても六十のオトコの書いたものとは思えん」という方もいらっしゃいましょう。でも、それだけのオトコが書いているものなのです。急にその事実が変わろうものでもありませんので、そこはそのままにして、毎日をありがたく、大切にしていきたいと思います。

ブログを通してのお付き合いに感謝いたします。皆様も良い誕生日を迎えられますよう。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

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