こんにちは/こんばんは。
五月の末から六月の初め、こちらでは素晴らしい青空と太陽がきらめく「夏日」と、しとしと雨の降る「梅雨日」?が二、三日おきに繰り返しているような感じです。アイスランドには梅雨はありませんので、念のため。
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清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Mateusz_Klein@unsplash.com
陽が出ると出ないとでは、これほどに気温が違うか?と改めて驚かされます。気象局の記録を見ると、実際の気温はそんなに変わっていないので、多分これは「体感温度」の部類なのでしょう。
それでも気分の問題ではなく、「その場その時」で気温が異なっているのは確かです。
そういえば東京も梅雨入りしたとか。今日(月曜日)は気温も下がり長袖を羽織う人が多かった、とニュースで見ました。
さて、これを書いているのはその月曜日の昼なのですが、なぜそんな時間にのんびりとブログなどを書いていられるか?というと、今日は祝日なのです。
昨日の日曜日がメインの祝日で「聖霊降臨日」あるいはペンテコステと呼ばれるキリスト教の三大祝祭のひとつです。「三大」の他のふたつはもちろん、クリスマスと復活祭です。これらの祝祭では、こちらではその当日に加えて、翌日も祝日となります。
復活祭と聖霊降臨日は必ず日曜日なので、日、月の連休となります。私たち牧師族はお休みではありませんが。
聖霊降臨日は必ず復活祭の五十日後になるのですが、復活祭そのものが「移動祭日」なので、このふたつは毎年ペアで移動します。復活祭はだいたい三月中旬から四月下旬になりますので、聖霊降臨日の方は五月中旬から六月中旬にやってきます。
ところが、五月下旬頃からのアイスランドというのは、気候が安定し始めて、暦の上ではない、実際の夏の到来の時期にあたります。
となると、毎年この聖霊降臨日の二連休というのは、皆がサマーハウスや国内小旅行に出かける絶好の機会なのであり、キリスト教の三大祭日であるにもかかわらず、教会はガラガラ、「みーんなバケーション」というような現実になっているのでした。
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清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Danny_Jongerius@unsplash.com
まあ、もうひとつ加えると、こちらでは六月、七月はバケーションの季節なんですね、もともと。これは長い冬を持つアイスランドの自然環境から生まれてきた文化だと思うのですが、ようするに「夏は楽しめるうちに楽しもう」ということ。
気候は人為では操れませんので、この「夏を楽しむ」ということは、かなりアイスランド人の生活の中では高いプライオリティを持ってきたようです。
当然のことながら、すべての社会活動が夏期にはスローダウンすることになります。夏はオフシーズンなのです。
ただ、これも現在変わりつつある面があり、例えば観光業はオフどころかハイシーズン化しています。アイスランド北部では、ホテル等この夏を通してすでに「満杯」の予約が入っているそうで。
コロナの後ですからね、ここはアイスランド人もさすがに「稼ぐ」ことを考えるでしょう。加えて、このハイシーズン化を支えてくれるのが、別に「夏」にそんなに執着を持たない外国人労働者の存在です。
もともと暖かい国から来ている人も多いですし、夏期は絶好の稼ぎシーズンとなっているのでした。
それでも、やはり社会全体の、なんというか「基本スケジュール」みたいなものは変わっておらず、六月から七月はローシーズンです。これは教会も同じ。
教会の活動は八月から準備期間に入り、九月からが本番。復活祭が終わる頃から、「まとめ」の時期に入り、五月は年次報告だの総会だのの時期になります。そしてそれが終わると、ほとんどすべての活動が「夏休み」化します。
クヴィータスンナの過ごし方
教会の夏休み
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これは先日体験した稀な自然現象 海上一面が黒い霧に...
しばらく前までは、私は教会のこういうあり方にかなり批判的だったのですが、最近では考えが変わってきました。近隣の教会ときちんとローテーションを組んでいれば、その方が合理的でしょうし、ご当地文化というものも確かにありますから。
さて、今回のペンテコステの連休 –というか、昨日の日曜日は礼拝がありましたので、今日の月曜日がメインですが– 私も十分にエンジョイしました。
前回末尾にチョコっと書きました通り、五月末までとてもきついスケジュールだったのです。
五月末日の午前零時までに、こちらのアルシンキ(国会)に、外国人法の改正(実は改悪)に関する意見書を提出しなければならなかったのですが、ウクライナ難民の人たちとの活動とかもあって、十分に準備できていなかったのでした。
それで五月末の三日間くらいで、相棒のアニー牧師と集中的にこの意見書のまとめにかかりました。そして無事に期限内に提出。私たちの意見書、ニュースでも扱ってくれました。詳しい経緯はまたの機会に。
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本文とは無関係 ウクライナの子供たちの遊び様 全部ブチまけ型!
そして、翌日の6月1日は休養日としました。三月からのマル三ヶ月間で二日の休養日しか取っていなかったのですが、六月はなんとお休みから始まるという贅沢さ!
週の後半はいろいろと細々した用事があったのですが、昨日、日曜日の礼拝を終えて帰宅して気が付きました。「向こうしばらくの間は、何も気に掛かることがない!」そして、久々に味わったのです、気楽さというか解放感!
とにかく、三月始めにウクライナからの難民の課題が舞い込んで以来、ずーっと「次はどうなるか?」「これでうまくいくだろうか?」「これで十分だろうか?」などという先行き不安というか、Ovissiオウビッシ「不確かさ」を抱えてきました。
それが、ようやくある程度落ち着いてきたというか、形が見えるようになってくれたのです。形が見えてくると、自分の居場所がわかってきますし、また、自分の役割もはっきりとしてきます。つまり振り回されないで済むようになるのです。
もちろん、ウクライナに平和が来たわけではありませんので、いつまた状況が急変するかはわかりません。あくまでも「暫定的」とか「つかのまの」という条件付きの落ち着きではありますが、それでも「ホッとできる」というのはありがたいことです。
というわけで、今回は(今回も)中身の薄い回になってしまいましたが、そういう背景がありますので、御容赦いただければ幸いと存じます。
でもですねえ、「ホッとできる」って、ホントウに、相当嬉しいことですよ。私にとっては、また新しい発見のようでもあり、忘れていたことを思い出した体験のようでもあり、ということになりました。
皆様も「ホッとすること」「ホッとできる日」を大切になさってくださいますよう。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
五月の末から六月の初め、こちらでは素晴らしい青空と太陽がきらめく「夏日」と、しとしと雨の降る「梅雨日」?が二、三日おきに繰り返しているような感じです。アイスランドには梅雨はありませんので、念のため。
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清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Mateusz_Klein@unsplash.com
陽が出ると出ないとでは、これほどに気温が違うか?と改めて驚かされます。気象局の記録を見ると、実際の気温はそんなに変わっていないので、多分これは「体感温度」の部類なのでしょう。
それでも気分の問題ではなく、「その場その時」で気温が異なっているのは確かです。
そういえば東京も梅雨入りしたとか。今日(月曜日)は気温も下がり長袖を羽織う人が多かった、とニュースで見ました。
さて、これを書いているのはその月曜日の昼なのですが、なぜそんな時間にのんびりとブログなどを書いていられるか?というと、今日は祝日なのです。
昨日の日曜日がメインの祝日で「聖霊降臨日」あるいはペンテコステと呼ばれるキリスト教の三大祝祭のひとつです。「三大」の他のふたつはもちろん、クリスマスと復活祭です。これらの祝祭では、こちらではその当日に加えて、翌日も祝日となります。
復活祭と聖霊降臨日は必ず日曜日なので、日、月の連休となります。私たち牧師族はお休みではありませんが。
聖霊降臨日は必ず復活祭の五十日後になるのですが、復活祭そのものが「移動祭日」なので、このふたつは毎年ペアで移動します。復活祭はだいたい三月中旬から四月下旬になりますので、聖霊降臨日の方は五月中旬から六月中旬にやってきます。
ところが、五月下旬頃からのアイスランドというのは、気候が安定し始めて、暦の上ではない、実際の夏の到来の時期にあたります。
となると、毎年この聖霊降臨日の二連休というのは、皆がサマーハウスや国内小旅行に出かける絶好の機会なのであり、キリスト教の三大祭日であるにもかかわらず、教会はガラガラ、「みーんなバケーション」というような現実になっているのでした。
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清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Danny_Jongerius@unsplash.com
まあ、もうひとつ加えると、こちらでは六月、七月はバケーションの季節なんですね、もともと。これは長い冬を持つアイスランドの自然環境から生まれてきた文化だと思うのですが、ようするに「夏は楽しめるうちに楽しもう」ということ。
気候は人為では操れませんので、この「夏を楽しむ」ということは、かなりアイスランド人の生活の中では高いプライオリティを持ってきたようです。
当然のことながら、すべての社会活動が夏期にはスローダウンすることになります。夏はオフシーズンなのです。
ただ、これも現在変わりつつある面があり、例えば観光業はオフどころかハイシーズン化しています。アイスランド北部では、ホテル等この夏を通してすでに「満杯」の予約が入っているそうで。
コロナの後ですからね、ここはアイスランド人もさすがに「稼ぐ」ことを考えるでしょう。加えて、このハイシーズン化を支えてくれるのが、別に「夏」にそんなに執着を持たない外国人労働者の存在です。
もともと暖かい国から来ている人も多いですし、夏期は絶好の稼ぎシーズンとなっているのでした。
それでも、やはり社会全体の、なんというか「基本スケジュール」みたいなものは変わっておらず、六月から七月はローシーズンです。これは教会も同じ。
教会の活動は八月から準備期間に入り、九月からが本番。復活祭が終わる頃から、「まとめ」の時期に入り、五月は年次報告だの総会だのの時期になります。そしてそれが終わると、ほとんどすべての活動が「夏休み」化します。
クヴィータスンナの過ごし方
教会の夏休み
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これは先日体験した稀な自然現象 海上一面が黒い霧に...
しばらく前までは、私は教会のこういうあり方にかなり批判的だったのですが、最近では考えが変わってきました。近隣の教会ときちんとローテーションを組んでいれば、その方が合理的でしょうし、ご当地文化というものも確かにありますから。
さて、今回のペンテコステの連休 –というか、昨日の日曜日は礼拝がありましたので、今日の月曜日がメインですが– 私も十分にエンジョイしました。
前回末尾にチョコっと書きました通り、五月末までとてもきついスケジュールだったのです。
五月末日の午前零時までに、こちらのアルシンキ(国会)に、外国人法の改正(実は改悪)に関する意見書を提出しなければならなかったのですが、ウクライナ難民の人たちとの活動とかもあって、十分に準備できていなかったのでした。
それで五月末の三日間くらいで、相棒のアニー牧師と集中的にこの意見書のまとめにかかりました。そして無事に期限内に提出。私たちの意見書、ニュースでも扱ってくれました。詳しい経緯はまたの機会に。
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本文とは無関係 ウクライナの子供たちの遊び様 全部ブチまけ型!
そして、翌日の6月1日は休養日としました。三月からのマル三ヶ月間で二日の休養日しか取っていなかったのですが、六月はなんとお休みから始まるという贅沢さ!
週の後半はいろいろと細々した用事があったのですが、昨日、日曜日の礼拝を終えて帰宅して気が付きました。「向こうしばらくの間は、何も気に掛かることがない!」そして、久々に味わったのです、気楽さというか解放感!
とにかく、三月始めにウクライナからの難民の課題が舞い込んで以来、ずーっと「次はどうなるか?」「これでうまくいくだろうか?」「これで十分だろうか?」などという先行き不安というか、Ovissiオウビッシ「不確かさ」を抱えてきました。
それが、ようやくある程度落ち着いてきたというか、形が見えるようになってくれたのです。形が見えてくると、自分の居場所がわかってきますし、また、自分の役割もはっきりとしてきます。つまり振り回されないで済むようになるのです。
もちろん、ウクライナに平和が来たわけではありませんので、いつまた状況が急変するかはわかりません。あくまでも「暫定的」とか「つかのまの」という条件付きの落ち着きではありますが、それでも「ホッとできる」というのはありがたいことです。
というわけで、今回は(今回も)中身の薄い回になってしまいましたが、そういう背景がありますので、御容赦いただければ幸いと存じます。
でもですねえ、「ホッとできる」って、ホントウに、相当嬉しいことですよ。私にとっては、また新しい発見のようでもあり、忘れていたことを思い出した体験のようでもあり、ということになりました。
皆様も「ホッとすること」「ホッとできる日」を大切になさってくださいますよう。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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