こんにちは/こんばんは。
あまりお正月気分に浸れない年明けになってしまいました。アイスランドにいても日本のニュースはほぼリアルタイムで入ってくる時代になり、日本のニュースは毎日見ています。
能登半島を中心とした大地震で亡くなられた方、または被災され非常に困難な状況を強いられている方々に心よりお見舞い申し上げます。また、被災地で懸命な救出活動、復旧作業にあたっている皆さんの安全と労いのあることをお祈りいたします。
その被災地支援に関連して、海上保安庁の飛行機が羽田空港で事故となり五名の方が亡くなり、機長が重傷となったことも心に痛いですね。亡くなられた方々の年齢を見ると、二十代、三十代の方もいらっしゃり、おそらくはまだ幼年期の子供さんたちをお持ちではなかったかと想像します。重いです。
ご遺族の上に癒しと慰めがありますようお祈りいたします。
心落ち着かせ用ピック1
Myndin er eftir Joe_yates@unsplash_com
日航機に乗られていた方々は、人に関しては全員脱出できたのは不幸中の幸いなのでしょう。それでもあれだけの恐怖を体験させられたことにお見舞いを申し上げます。怖かったろうと思いますよ。私だったらトラウマになることでしょう。
この羽田での事故なんですが、結構私にも感じるものがあります。というのは新千歳から羽田のJ A L便は、私が日本へ帰省した際に必ず使う路線だからです。この間、十一月に戻った際も私のフライトはJAL520便。事故機の516便の一時間くらい後の時間設定です。
新千歳ー羽田間は、時間帯によってはかなり密に飛んでいて、夕方には三十分おきに飛んでいるような感じになります。だから、今回の事故が起きたときは、すでに後続の便が飛んでいたはずなのですが、着陸できなくなった飛行機はどうなったんでしょうね?
成田とかに目的地変更で着いたのでしょうか?それともUターンしたのでしょうか?その点はニュースでもあまり伝えられていなかった気がします。出発できないで待っている人たちの様子はよく伝えられていましたが。
とにかく、あのような状況で370人余りの人が全員大きな怪我もなく脱出できたことは、本当に不幸中の幸いというか、大惨事と紙一重の幸いだったと思います。海外のメディアでも多く取り上げられ「奇跡」という言葉が散見したそうです。
ですが、元日航のC Aさんでスーパーバイザーのような立場に就かれていた方が報道で言っていましたが、「あれは訓練の賜物で、奇跡ではありません」まあ「奇跡」という言葉を用いるのは、おそらくもう少し広い意味で、機体が損壊しなかったこととかも含むのでしょうが、与えられた状況の中で乗客を安全に脱出させる、ということに関しては、本当に訓練されたC Aさんたちの優れた働きだったのでしょう。
心落ち着かせようピック2
Myndin er eftir Daiwei_lu@unsplash_com
で、思い出すのは1982年の同じく日航機の羽田沖墜落事故/事件です。私が大学生の頃のことです。これは福岡発のJ A L便が羽田空港へ着陸する直前に失速して羽田沖の浅い海中へ墜落したものです。墜落といっても不時着のような形になり、機体のコックピットを含む頭部分と、それより後方部部分のふたつに分離。機体後方はそれ以上損壊せず海に浮いた状態となりました。亡くなった方は24人。
この事故の原因は、なんと操縦桿を握っていた機長が、実は精神的な病いを持っていて、飛行中に逆噴射の操作を行ったことによることが、事故後に明らかになりました。ニュースで大騒ぎになりました。
当時のコックピットには操縦士、副操縦士、機関士が入るという三人体制だったのですが、機長のこの自殺的行為に気がついた副操縦士、機関士が必死に機体の立て直しを図り、不時着のような形にまで持って行った、ようです。
結果として、機体の大半は海上にあったのですが、浅瀬で大人なら立てる深さ。この時C Aの皆さんが「機体は沈みません」「海はとても冷たく危険です」「このまま落ち着いて救助を待ってください」と乗客たちを落ち着かせ、その後も救助に駆けつけたボートに乗客を誘導するなどしました。
事故の原因が原因でしたので、この時のコックピット内の三人は「ニュースダネ」になってしまいました。実際には副操縦士の方は最悪の形での墜落を避けさせたことに加え、墜落後は窓から海へ出て浅瀬であるとこを確認しC Aさんにそれを伝えるなど、活躍したようなのですが...
その一方でC Aさんたちの落ち着きと働きは非常に高く評価され、賞賛されたのでした。
ですから、日本航空のC Aさんの教育訓練は昔から定評あるものであるわけです。まあ、私は全日空も同様だと信じますけどね。
その当時はJ A Lがダントツで「ザ・日本の航空会社」で、全日空は国内路線をメインとするNo.2でした。ですが私は、「今回の事故はスタッフの管理とか仕事のシステムとかに問題があることの証しだろう」と思い、それ以降A N Aの利用者に転じました。会社の体質を変えるには長い時間がかかるだろう、と。
その後、また長ーい年月が過ぎました。その間色々あり、日本航空は一度破産したりして全日空に業界一の座を明け渡しています。そして「業界No.2なら驕りなくきちんとした会社運営になっているだろう」と思った私は、再びJ A L派になったのです。
心落着かせ用ピック3
Myndin er eftir Davide_cantelli@unsplash_com
というわけで、今回のC Aさんたちの働きを、私は両手を挙げて賞賛したいのですが、この状況の中で不謹慎と受け取られるようなことは避けたいので、慎ましい仕方で賞賛したいと思います。
ああ、それにあの炎に包まれた状態で滑走路を大きく逸脱しないで停止させた機長も大したものなのだそうです。元機長の評論家の方が言っていました。
とにかくC Aの皆さん、お疲れ様でした。皆さんのようなプロが搭乗してくれていると私たち利用者も心強くなります。ただ、このような形で皆さんがプロのスキルを発揮する機会に立ち会うのは、絶対遠慮します。
さて、三日には北九州での大火災もあり、なんとなく重い年明けとなってしまいました。ですが、良いこと悪いことというのは、公平に考えていつも起こっているものです。悪いこと、辛いことだけをピックアップして「全部ダメだ」というような悲観論に陥らないように気をつけたいものです。
自然災害には逆らえない部分もありますが、日々を良いものにしていくか悲惨なものにしていくかについては、私たち自身による部分も多くあります。その意味で、まだまだ今年が良い年に転じますようお祈りいたします。
ちなみに...「祈る」とは実際に頑張ることも含みますよ。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
あまりお正月気分に浸れない年明けになってしまいました。アイスランドにいても日本のニュースはほぼリアルタイムで入ってくる時代になり、日本のニュースは毎日見ています。
能登半島を中心とした大地震で亡くなられた方、または被災され非常に困難な状況を強いられている方々に心よりお見舞い申し上げます。また、被災地で懸命な救出活動、復旧作業にあたっている皆さんの安全と労いのあることをお祈りいたします。
その被災地支援に関連して、海上保安庁の飛行機が羽田空港で事故となり五名の方が亡くなり、機長が重傷となったことも心に痛いですね。亡くなられた方々の年齢を見ると、二十代、三十代の方もいらっしゃり、おそらくはまだ幼年期の子供さんたちをお持ちではなかったかと想像します。重いです。
ご遺族の上に癒しと慰めがありますようお祈りいたします。
心落ち着かせ用ピック1
Myndin er eftir Joe_yates@unsplash_com
日航機に乗られていた方々は、人に関しては全員脱出できたのは不幸中の幸いなのでしょう。それでもあれだけの恐怖を体験させられたことにお見舞いを申し上げます。怖かったろうと思いますよ。私だったらトラウマになることでしょう。
この羽田での事故なんですが、結構私にも感じるものがあります。というのは新千歳から羽田のJ A L便は、私が日本へ帰省した際に必ず使う路線だからです。この間、十一月に戻った際も私のフライトはJAL520便。事故機の516便の一時間くらい後の時間設定です。
新千歳ー羽田間は、時間帯によってはかなり密に飛んでいて、夕方には三十分おきに飛んでいるような感じになります。だから、今回の事故が起きたときは、すでに後続の便が飛んでいたはずなのですが、着陸できなくなった飛行機はどうなったんでしょうね?
成田とかに目的地変更で着いたのでしょうか?それともUターンしたのでしょうか?その点はニュースでもあまり伝えられていなかった気がします。出発できないで待っている人たちの様子はよく伝えられていましたが。
とにかく、あのような状況で370人余りの人が全員大きな怪我もなく脱出できたことは、本当に不幸中の幸いというか、大惨事と紙一重の幸いだったと思います。海外のメディアでも多く取り上げられ「奇跡」という言葉が散見したそうです。
ですが、元日航のC Aさんでスーパーバイザーのような立場に就かれていた方が報道で言っていましたが、「あれは訓練の賜物で、奇跡ではありません」まあ「奇跡」という言葉を用いるのは、おそらくもう少し広い意味で、機体が損壊しなかったこととかも含むのでしょうが、与えられた状況の中で乗客を安全に脱出させる、ということに関しては、本当に訓練されたC Aさんたちの優れた働きだったのでしょう。
心落ち着かせようピック2
Myndin er eftir Daiwei_lu@unsplash_com
で、思い出すのは1982年の同じく日航機の羽田沖墜落事故/事件です。私が大学生の頃のことです。これは福岡発のJ A L便が羽田空港へ着陸する直前に失速して羽田沖の浅い海中へ墜落したものです。墜落といっても不時着のような形になり、機体のコックピットを含む頭部分と、それより後方部部分のふたつに分離。機体後方はそれ以上損壊せず海に浮いた状態となりました。亡くなった方は24人。
この事故の原因は、なんと操縦桿を握っていた機長が、実は精神的な病いを持っていて、飛行中に逆噴射の操作を行ったことによることが、事故後に明らかになりました。ニュースで大騒ぎになりました。
当時のコックピットには操縦士、副操縦士、機関士が入るという三人体制だったのですが、機長のこの自殺的行為に気がついた副操縦士、機関士が必死に機体の立て直しを図り、不時着のような形にまで持って行った、ようです。
結果として、機体の大半は海上にあったのですが、浅瀬で大人なら立てる深さ。この時C Aの皆さんが「機体は沈みません」「海はとても冷たく危険です」「このまま落ち着いて救助を待ってください」と乗客たちを落ち着かせ、その後も救助に駆けつけたボートに乗客を誘導するなどしました。
事故の原因が原因でしたので、この時のコックピット内の三人は「ニュースダネ」になってしまいました。実際には副操縦士の方は最悪の形での墜落を避けさせたことに加え、墜落後は窓から海へ出て浅瀬であるとこを確認しC Aさんにそれを伝えるなど、活躍したようなのですが...
その一方でC Aさんたちの落ち着きと働きは非常に高く評価され、賞賛されたのでした。
ですから、日本航空のC Aさんの教育訓練は昔から定評あるものであるわけです。まあ、私は全日空も同様だと信じますけどね。
その当時はJ A Lがダントツで「ザ・日本の航空会社」で、全日空は国内路線をメインとするNo.2でした。ですが私は、「今回の事故はスタッフの管理とか仕事のシステムとかに問題があることの証しだろう」と思い、それ以降A N Aの利用者に転じました。会社の体質を変えるには長い時間がかかるだろう、と。
その後、また長ーい年月が過ぎました。その間色々あり、日本航空は一度破産したりして全日空に業界一の座を明け渡しています。そして「業界No.2なら驕りなくきちんとした会社運営になっているだろう」と思った私は、再びJ A L派になったのです。
心落着かせ用ピック3
Myndin er eftir Davide_cantelli@unsplash_com
というわけで、今回のC Aさんたちの働きを、私は両手を挙げて賞賛したいのですが、この状況の中で不謹慎と受け取られるようなことは避けたいので、慎ましい仕方で賞賛したいと思います。
ああ、それにあの炎に包まれた状態で滑走路を大きく逸脱しないで停止させた機長も大したものなのだそうです。元機長の評論家の方が言っていました。
とにかくC Aの皆さん、お疲れ様でした。皆さんのようなプロが搭乗してくれていると私たち利用者も心強くなります。ただ、このような形で皆さんがプロのスキルを発揮する機会に立ち会うのは、絶対遠慮します。
さて、三日には北九州での大火災もあり、なんとなく重い年明けとなってしまいました。ですが、良いこと悪いことというのは、公平に考えていつも起こっているものです。悪いこと、辛いことだけをピックアップして「全部ダメだ」というような悲観論に陥らないように気をつけたいものです。
自然災害には逆らえない部分もありますが、日々を良いものにしていくか悲惨なものにしていくかについては、私たち自身による部分も多くあります。その意味で、まだまだ今年が良い年に転じますようお祈りいたします。
ちなみに...「祈る」とは実際に頑張ることも含みますよ。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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