私が子供の頃の色鉛筆には「肌色」と書いてあった こちらの色。
カナダでもダディ君が子供の頃は「Skin colour」と言われていたようですが、現在はそうは言いません
日本だと「うすだいだい」
カナダだと「Peach colour」とか「Apricot colour」になるみたい
我が子が生まれた時はすでにその名前になっていたはず。
化粧品のファンデーションの色なんかは、オークル、ピンクベージュ、ベージュなど細かく分かれていて「肌色」というカテゴリーはないんじゃないかな。ちなみに、カナダではもちろんですが 日本ではあまり見かけない濃い茶色系のファンデーションも売っていますよ。
世界のあちこちで、一部の大人達が肌の色が異なる事を理由に犯罪事件や暴動を起こしていますが、現代教育を受けている子供達に この様子、どのように映っているのでしょうか。。。
子供の方が 人種や肌、目の色、性別に関係なく「それぞれみんな違う。でも どの子も 自分と同じ人間。自分と同じように家族がいる。物事を考えることもできるし、同じような喜怒哀楽の感情がある。生まれた場所や家族の肌や目の色によって それぞれの見た目が異なるだけ」を特別な事じゃないという感覚を持っているように思います
カナダにも、差別意識を持っている人はいます
でも子供に差別の意識が芽生えるのは、やっぱり多様性に対して偏見を持つ周り大人達の発言や態度、メディアから得られる情報が関係しているのではないかなと感じます。
You tubeで見つけたこちらのビデオ。
カリフォルニアにあるプリスクールでの「肌色」についての時間です
いい授業だなと思ったので、よかったらご覧ください
Anti-Bias Curriculum Engages Preschoolers in Discussions of Diversity and Inclusion
様々な肌の色に近いクレヨンや絵の具を子供達に見せ、自分の肌はどの色に近いかを選んでいます
また、友達や先生の肌の色も見比べて、それぞれみんな違うんだという事に気が付かせています
そして、自分の肌色に近いクレヨンや絵の具を使って、アートの作成
肌の色や目の色は、日本にいると 大半が同じような色合いが多いので、どうしても型にはめたくなるかもしれないけれど
日本で生まれ育ったけど 肌の色が一般的な日本人とは異なる人達も日本語はペラペラだし
日本人と同じような考えや感覚を持っていたりします。ただ、見た目が自分とは異なるだけ
私が通っていた学校の校則はそれほど厳しかった記憶はありませんが
髪の毛の色などに あまりにこだわるのは 「日本人=黒髪」という固定観念があるからだと思います
濃い色の髪の毛集団に、明るい色が混ざると 確かに目立ちますが
カナダに来てみると実感すると思うけど、髪の毛、肌、目の色 みんな違います
だから違和感ないのかもしれないけれど 目くじら立てて色にこだわったり、怒って罰を与えるような事ではないですよね
私自身も、髪の毛も目も変えていませんが、真っ黒ではないです
職業や好みの色、遊びなんかも
昔からの固定観念やメディアからの影響によって偏見も作られていると思います
女の子だからピンク、お人形遊びが好きだろう
男の子だから青、車やブロックが好きだろう
これらは、すべて 自分が抱いている価値観であって、その子本人がそれを本当に望んでいるかどうかは別
また子供自身も、メディアや周囲の発言によって職業や好みに影響がでて、本当はピンクが好きなのに、僕は男の子だから青を選ばないと。という偏見が生まれることも珍しくないようです
最近は、プリンセスが青系の服を着ていたり、ドラマでも男性の保育士や看護師、主夫が登場したり
性別も見た目と中身が異なる色々なパターンがあったり
20年前だったら無かったかもしれない設定が増えましたよね
メディアの力って大きいから、それをただのファンタジーと受け止めず、
みんなそれぞれ好みや価値観、得意分野が違うということに気がつくきっかけになるといいですね
生まれ持った見た目も、好みも、みんなそれぞれ違うからね。
「肌色」「目の色」「髪の色」1色で表現していた時代が、今思うと不思議だ。
カナダでもダディ君が子供の頃は「Skin colour」と言われていたようですが、現在はそうは言いません
日本だと「うすだいだい」
カナダだと「Peach colour」とか「Apricot colour」になるみたい
我が子が生まれた時はすでにその名前になっていたはず。
化粧品のファンデーションの色なんかは、オークル、ピンクベージュ、ベージュなど細かく分かれていて「肌色」というカテゴリーはないんじゃないかな。ちなみに、カナダではもちろんですが 日本ではあまり見かけない濃い茶色系のファンデーションも売っていますよ。
世界のあちこちで、一部の大人達が肌の色が異なる事を理由に犯罪事件や暴動を起こしていますが、現代教育を受けている子供達に この様子、どのように映っているのでしょうか。。。
子供の方が 人種や肌、目の色、性別に関係なく「それぞれみんな違う。でも どの子も 自分と同じ人間。自分と同じように家族がいる。物事を考えることもできるし、同じような喜怒哀楽の感情がある。生まれた場所や家族の肌や目の色によって それぞれの見た目が異なるだけ」を特別な事じゃないという感覚を持っているように思います
カナダにも、差別意識を持っている人はいます
でも子供に差別の意識が芽生えるのは、やっぱり多様性に対して偏見を持つ周り大人達の発言や態度、メディアから得られる情報が関係しているのではないかなと感じます。
You tubeで見つけたこちらのビデオ。
カリフォルニアにあるプリスクールでの「肌色」についての時間です
いい授業だなと思ったので、よかったらご覧ください
Anti-Bias Curriculum Engages Preschoolers in Discussions of Diversity and Inclusion
様々な肌の色に近いクレヨンや絵の具を子供達に見せ、自分の肌はどの色に近いかを選んでいます
また、友達や先生の肌の色も見比べて、それぞれみんな違うんだという事に気が付かせています
そして、自分の肌色に近いクレヨンや絵の具を使って、アートの作成
肌の色や目の色は、日本にいると 大半が同じような色合いが多いので、どうしても型にはめたくなるかもしれないけれど
日本で生まれ育ったけど 肌の色が一般的な日本人とは異なる人達も日本語はペラペラだし
日本人と同じような考えや感覚を持っていたりします。ただ、見た目が自分とは異なるだけ
私が通っていた学校の校則はそれほど厳しかった記憶はありませんが
髪の毛の色などに あまりにこだわるのは 「日本人=黒髪」という固定観念があるからだと思います
濃い色の髪の毛集団に、明るい色が混ざると 確かに目立ちますが
カナダに来てみると実感すると思うけど、髪の毛、肌、目の色 みんな違います
だから違和感ないのかもしれないけれど 目くじら立てて色にこだわったり、怒って罰を与えるような事ではないですよね
私自身も、髪の毛も目も変えていませんが、真っ黒ではないです
職業や好みの色、遊びなんかも
昔からの固定観念やメディアからの影響によって偏見も作られていると思います
女の子だからピンク、お人形遊びが好きだろう
男の子だから青、車やブロックが好きだろう
これらは、すべて 自分が抱いている価値観であって、その子本人がそれを本当に望んでいるかどうかは別
また子供自身も、メディアや周囲の発言によって職業や好みに影響がでて、本当はピンクが好きなのに、僕は男の子だから青を選ばないと。という偏見が生まれることも珍しくないようです
最近は、プリンセスが青系の服を着ていたり、ドラマでも男性の保育士や看護師、主夫が登場したり
性別も見た目と中身が異なる色々なパターンがあったり
20年前だったら無かったかもしれない設定が増えましたよね
メディアの力って大きいから、それをただのファンタジーと受け止めず、
みんなそれぞれ好みや価値観、得意分野が違うということに気がつくきっかけになるといいですね
生まれ持った見た目も、好みも、みんなそれぞれ違うからね。
「肌色」「目の色」「髪の色」1色で表現していた時代が、今思うと不思議だ。