昨日は、一青妙の本を読んだことを書いた。
なぜ、夫がこの本を買ってきたかというと
山やスキーでの先輩のお嬢さんだからなのだ。
普段、クラシックは聞いても
歌番組は見ようともしないのに、
一青窈が歌いだすと、ほらほら、歌っていると
一生懸命に聞いている。
実は、一青姉妹のお父様が亡くなってから
その思い出集が刊行された。
いつも、ガンさんと呼んで、よく話に出てくる人で、
その本を読んだとき、人間的魅力のある人なんだろうなと
思いながら読んだ。
でも、実際に会ったわけでなし、
亡くなってから刊行される思い出集的に
飛ばしながら読んだきりだった。
今回、一青妙さんの本を読んでから改めて
お父さんを偲ぶ本を取り出して読んだら
この本は、父親との生活が少なかった彼女たちに
廻りの人たちが、おとうさんはこんなに素晴らしい人だったんだよという
メッセージにあふれていた。
書いている人や、出てくる人たちに知人が多く、
以前に読んだときに比べ、実像がどんどん浮かんでくる気がした。
小さいころ、戦中に台湾から日本に来て、
犬養家に寄留し、家族同様に暮らしたことや、
日本が戦争に負け、台湾に戻ったものの、
いろいろ気持ちの上での齟齬があり、
また、日本に密航して渡ってきたという
その一生は、二つの祖国を持つという悩みをはらんでいた。
山やスキーが大好きで、福岡孝行氏に傾倒し、
その家や行くところにいつも同行したというあたりでは、
行(ゆき)さんと親せきで呼び(舅のいとこにあたる)
夫は行(ゆき)おじと呼ぶ、その人の魅力も描かれていた。
孝行氏を私が知ったのは、スキーが好きで
オーストリアのスキー教程を翻訳した
法政大学のドイツ語の先生という認識だった。
大学時代のスキー部では、シーハイルという本を
教科書のように眺めていたが、その本も孝行先生の翻訳だった。
若いころ、その息子純さんの仕事を3年間手伝った関係で
一緒に旅したり、一緒に飲んだりの機会があった。
後に、夫と知り合ったのもそのころだ。
穏やかだが、リーダーシップをとるのも上手なのだろう。
とても素敵な方だった。
戦時中は、白馬に疎開し、
白馬がスキーで生活できるように青年団を指導したり、
リーゼンコースを設計したり、
スキー界では有名な方だ。
一青姉妹のお父様の話だった。
家族が一緒に暮らせない時期があって、
癌にかかり、余命いくばくもないということで
小学生だった娘たちに、山とスキーの魅力を伝えたくて、
集中的に家族旅行することがあった。
その時、お父様のかわりにスキーを教えるように頼まれたのが
私が一時仕事を手伝っていた純さんで、
出かける前、夫も彼女たちのスキーを買う買い物につきあったことが
あるのだそうだ。
あと、その頃、癌にかかると告知するかしないかは
家族にとって、大きな問題だった。
今では治癒率があがったり、早期発見早期治療と
告知で悩むことも少なくなったが、
お母さまが告げなかったことで、
それに対しての不満が、切ない行動になってしまったようで、
そこは、娘さんたちにとっても、心残ることだったようだ。
妙さんの本を読んでいた時は、簡潔にかかれていて
とても読みやすく、これはかなり頭のいい女性だと感じたのだが、
(夫もそう言っていた。)
いろいろ経歴等を知ると、国語の先生はどの方だったのかなとか、
文章力は、あの先生がかかわっておられるのかなとか、
様々に思いめぐらした。
付け加えると、歯医者さんでケアマネの資格ももっているとのこと。
なかなか興味深い女性である。
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なぜ、夫がこの本を買ってきたかというと
山やスキーでの先輩のお嬢さんだからなのだ。
普段、クラシックは聞いても
歌番組は見ようともしないのに、
一青窈が歌いだすと、ほらほら、歌っていると
一生懸命に聞いている。
実は、一青姉妹のお父様が亡くなってから
その思い出集が刊行された。
いつも、ガンさんと呼んで、よく話に出てくる人で、
その本を読んだとき、人間的魅力のある人なんだろうなと
思いながら読んだ。
でも、実際に会ったわけでなし、
亡くなってから刊行される思い出集的に
飛ばしながら読んだきりだった。
今回、一青妙さんの本を読んでから改めて
お父さんを偲ぶ本を取り出して読んだら
この本は、父親との生活が少なかった彼女たちに
廻りの人たちが、おとうさんはこんなに素晴らしい人だったんだよという
メッセージにあふれていた。
書いている人や、出てくる人たちに知人が多く、
以前に読んだときに比べ、実像がどんどん浮かんでくる気がした。
小さいころ、戦中に台湾から日本に来て、
犬養家に寄留し、家族同様に暮らしたことや、
日本が戦争に負け、台湾に戻ったものの、
いろいろ気持ちの上での齟齬があり、
また、日本に密航して渡ってきたという
その一生は、二つの祖国を持つという悩みをはらんでいた。
山やスキーが大好きで、福岡孝行氏に傾倒し、
その家や行くところにいつも同行したというあたりでは、
行(ゆき)さんと親せきで呼び(舅のいとこにあたる)
夫は行(ゆき)おじと呼ぶ、その人の魅力も描かれていた。
孝行氏を私が知ったのは、スキーが好きで
オーストリアのスキー教程を翻訳した
法政大学のドイツ語の先生という認識だった。
大学時代のスキー部では、シーハイルという本を
教科書のように眺めていたが、その本も孝行先生の翻訳だった。
若いころ、その息子純さんの仕事を3年間手伝った関係で
一緒に旅したり、一緒に飲んだりの機会があった。
後に、夫と知り合ったのもそのころだ。
穏やかだが、リーダーシップをとるのも上手なのだろう。
とても素敵な方だった。
戦時中は、白馬に疎開し、
白馬がスキーで生活できるように青年団を指導したり、
リーゼンコースを設計したり、
スキー界では有名な方だ。
一青姉妹のお父様の話だった。
家族が一緒に暮らせない時期があって、
癌にかかり、余命いくばくもないということで
小学生だった娘たちに、山とスキーの魅力を伝えたくて、
集中的に家族旅行することがあった。
その時、お父様のかわりにスキーを教えるように頼まれたのが
私が一時仕事を手伝っていた純さんで、
出かける前、夫も彼女たちのスキーを買う買い物につきあったことが
あるのだそうだ。
あと、その頃、癌にかかると告知するかしないかは
家族にとって、大きな問題だった。
今では治癒率があがったり、早期発見早期治療と
告知で悩むことも少なくなったが、
お母さまが告げなかったことで、
それに対しての不満が、切ない行動になってしまったようで、
そこは、娘さんたちにとっても、心残ることだったようだ。
妙さんの本を読んでいた時は、簡潔にかかれていて
とても読みやすく、これはかなり頭のいい女性だと感じたのだが、
(夫もそう言っていた。)
いろいろ経歴等を知ると、国語の先生はどの方だったのかなとか、
文章力は、あの先生がかかわっておられるのかなとか、
様々に思いめぐらした。
付け加えると、歯医者さんでケアマネの資格ももっているとのこと。
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