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日英学術交流150年記念式典

2013-09-05 00:16:01 | 瑞西・仏・英旅行
7月2日は、ウィリアムソン教授顕彰碑の除幕式があったが、
その夜は、日本大使館で関係者のレセプションがあった。

日本大使館は、地下鉄のグリーンパークに近く、
考えてみれば、前日の自然史博物館とも、そう遠くない場所。

前日に地下鉄でうろうろしたので、
ようやく頭に地図が出来てきたところだった。

これが、バスに乗って連れて行ってもらうだけだったら、
位置がなかなかわからなかっただろう。

前もって、地図をかなり読み込んでいたので
守人さんが昔住んでいた場所も地図上では確認してあり、

いつか、ゆっくりと訪れた際には、
行ってみたいところである。




話は、日本大使館に戻る。
このときは、バスで到着、

入り口でパスポートを見せ、
バッグも飛行場のような検査があり、
ここは、国境のような扱いなのだと、改めて知る。


入る前に、大使館内では写真撮影をしないように、
何回も言われていたので、写真はないが、
多くの人々が集まっての会。

林大使から、これまでのいきさつが語られた。

今回のお世話をしてくださった正行寺の関係者だけでも
60人近く、みなちょっと高揚して話している。

特に、ロンドン在住の日本人の方々と話せたことは貴重だった。

20年以上前、ロンドン郊外に、日本人のものらしいお墓があるという情報が伝えられてから
現地に見に行き、草に覆われてどこに何があるかもわからない状態から

草を刈り、お墓を磨き(最初は文字も読み取れず、白い墓石も真っ黒だった由)
私たちが今回お参りしたお墓の状態になるまでのご苦労を教えてもらえたのだ。

それらは、皆、お仕事のかたわらだったりで
今回、こうやってそれぞれのお墓の子孫が墓参りできるようになるまで

多くの方の手を経たことを思うと、感謝に絶えない。
埋葬された方々の子孫が来てくれて、よかったと、
みなさんもとても喜んでくださった。


次の朝は、8時半ホテル前集合とのことで、
集まると、関係者がバタバタとしている。

実は、この時期、ロンドンはウィンブルドンでテニスの試合が行われていて
ホテルがヒースロー空港近くにしかとれなかったとのことで
われわれはヒースロー空港のそばのホテルに居た。

何事かと思ったら、
予約しておいたバスが故障で来られず、10時になるという。

10時には式典の行われる場所についていなければならず、
急遽、現地のことがわかる人が引率して、地下鉄でいくことになる。

バス二台分の人が動くのに、地下鉄に変更とは
引率してくださる人は、大変。

まず、地下鉄の切符を買うまでが大変。
前日同様、おつりが出ない機械の前に長蛇の列。

わけのわからないおのぼりさんが(われわれ以外の外国人も含む)
いっぱいいるのが、その日のヒースロー空港駅。

10人ずつのグループにわかれて、
地下鉄でロンドン大学まで。

地下鉄の乗り換えがあるので、
しょっちゅう、人数を確認したり、
ようよう、大学に全員が集合したが
お世話下さった方は、本当にご苦労様だった。


大学の構内に入ったら、長州ファイブの写真の幕が張られていた。



ロンドン大学の中庭で日英学術交流150年記念式典が行われ、
グラント学長からの挨拶、林大使の話、

現地に留学中の日本人学生の話等のあと

今回のスポンサーが話をする。
そういえば、前日のお墓にもいた方。



かえってきて、どんな会社かと調べたら、
なんと、長州が軍艦を買った際の商社であることがわかった。

なんと、その会社の横浜支社長は、吉田茂の父だと説明にあった。
密航した留学生の仲立ちも果たした会社であった。

ロンドン大学が、なぜ彼ら留学生を引き受けたかの話をきいていると、

まず、イギリスの階級制度、宗教とが関係したことがわかった。

イギリスの大学といえば、オックスフォード、ケンブリッジなどが
あげられるが、それらは、限られた階級の子弟、イギリス国教会の信徒でなければ
入学出来なかったそうだ。

そして、ロンドン大学は人種、宗教などにこだわらず
広く門戸を開いた大学だったので、日本の留学生も入ることができたのだそうだ。
さらにいえば、女性に対して門戸を開いたのも
ロンドン大学が早かったとのこと。

イギリスでの階級制度は、現在ではかなり変わっているようだが
当時はかなりのものであった由。



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