今まで織田信長については当ブログでも散々話題にしてきました。
『織田信長を含む記事』で検索すると34個もヒットしました。
しかしその内容は岐阜公園の菊人形展や祭りや岐阜市の町がらみといった派生的なものばかりで、正面切って織田信長を取り上げたことはありませんでした。奇しくもNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では本日、前半のハイライト『決戦!桶狭間』でした。
今川二万五千の大軍の前に尾張勢は合わせても7千程度。まさに風前の灯。それを今川本隊への奇襲攻撃で大将を討ち取ってしまったのですから大番狂わせもいいところで、ここが信長の名を全国に轟かせることになりました。
しかし私が就職する頃まで織田信長の評価は『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』でした。愛知県の三英傑の性格を簡単に表す言葉です。秀吉は『鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス』ですし、家康は『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』。三者三様、手短にとらえていると言えますが、信長が悪く言われ過ぎです。また『織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに食うは徳川』これまた家康を悪く言いすぎです。
こういう秀吉が一番偉い的な発想はたぶん日本人の滅びの美学がなせる業でしょう。また徳川家は王政復古・明治維新時の仇敵ということもあるかもしれません。
そんなことで信長像は短気で恐ろしいイメージがありました。それが変わってきたのは1983年の『信長の野望』あたりからですかねえ?私ゃゲームは全くやらないので影響などはわかりませんがアチコチで評判を聞いたり、各武将の画(キャラクター)が格好良いし、その後のリアル武将隊などにつながったのではないかと思っています。
そして1987年の『武功夜話』出版も見直しの契機になったのですかね。その前に出ていたものとしては『信長公記(しんちょうこうき)』が時系列で忠実に記述しているようです。
今回の『麒麟がくる』では染谷信長がマザコン、ファザコンに描かれています。とくかく誰にも認めてもらえない。誉めてもらえない。帰蝶だけは誉めてくれる。母親みたいだと言わせている。そのあたりの心情の描き方が面白いです。だから光秀に
「次なる目標は?」
と聞かれ、
「美濃攻め。帰蝶を喜ばせたい」
と即答したところにも表れていますね。重ねてその後を光秀が聞いても無言でしたから。
そして今回の桶狭間。冷静に彼我の本隊同士の戦力差を比較してみせるあたり、エコノミストの本領発揮(単なる算数ですが)でしたし、今川義元にとどめを刺す毛利新介がジャンプして槍を突き立てるのですが、そのシーンを義元の瞳で表現するなど芸が細かかったです。
というような感動?の桶狭間のあとは撮影中段のため、しばらく放送休止になります。そこでまた信長論に・・・
織田信長は熱田・津島、琵琶湖などを押さえたエコノミスト的発想やプロの武士養成など土着的戦国大名からの脱却で革新的発想と最近はもてはやされています。しかし桶狭間以外はオーソドックスな戦いぶりをしているとか、当初は足利将軍の権威復活を目指していたとか最新研究では従来の常識が覆ることが多いです。そんな風潮に頭を切り替えるのが大変で嬉しい悲鳴を上げています。
というのも大学のクラブで次期主将を選ぶ選挙がありまして、私と当時の親友が立候補しました。彼とは同じ自転車(アルプスクィックエース)を持ち、同じ活動思想を持ってましたから、選ぶ方からは違いがわかりません。そこで現主将が先のホトトギスの話を持ち出しました。
「あなたが一番心情的に逢うと思うのはどれか?」
ってね。親友は当然のように
「鳴かせてみようホトトギスです」
模範解答です。
ところが私は何を思ったか?というよりかなり好きだった信長を選んじゃいました。
結果は10対25で親友の勝ちでした。あとで親友曰く
「お前よくあんなこと言ったな。○○さん(現主将)のビックリした顔ったらなかったぞ」
それにしてはよく10票も入りましたわ(>_<)
なんで信長を選んだかというと、私ゃその気が多々あるのですね。うまく行かなくなると粘ることなくさっさとリセットしてやり直すことが多いですし、心情的に理解できるのです。また私の実家の住所も関連してて、親愛度も高かったからです。そんなわけで信長大好きです。
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『織田信長を含む記事』で検索すると34個もヒットしました。
しかしその内容は岐阜公園の菊人形展や祭りや岐阜市の町がらみといった派生的なものばかりで、正面切って織田信長を取り上げたことはありませんでした。奇しくもNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では本日、前半のハイライト『決戦!桶狭間』でした。
今川二万五千の大軍の前に尾張勢は合わせても7千程度。まさに風前の灯。それを今川本隊への奇襲攻撃で大将を討ち取ってしまったのですから大番狂わせもいいところで、ここが信長の名を全国に轟かせることになりました。
しかし私が就職する頃まで織田信長の評価は『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』でした。愛知県の三英傑の性格を簡単に表す言葉です。秀吉は『鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス』ですし、家康は『鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』。三者三様、手短にとらえていると言えますが、信長が悪く言われ過ぎです。また『織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに食うは徳川』これまた家康を悪く言いすぎです。
こういう秀吉が一番偉い的な発想はたぶん日本人の滅びの美学がなせる業でしょう。また徳川家は王政復古・明治維新時の仇敵ということもあるかもしれません。
そんなことで信長像は短気で恐ろしいイメージがありました。それが変わってきたのは1983年の『信長の野望』あたりからですかねえ?私ゃゲームは全くやらないので影響などはわかりませんがアチコチで評判を聞いたり、各武将の画(キャラクター)が格好良いし、その後のリアル武将隊などにつながったのではないかと思っています。
そして1987年の『武功夜話』出版も見直しの契機になったのですかね。その前に出ていたものとしては『信長公記(しんちょうこうき)』が時系列で忠実に記述しているようです。
今回の『麒麟がくる』では染谷信長がマザコン、ファザコンに描かれています。とくかく誰にも認めてもらえない。誉めてもらえない。帰蝶だけは誉めてくれる。母親みたいだと言わせている。そのあたりの心情の描き方が面白いです。だから光秀に
「次なる目標は?」
と聞かれ、
「美濃攻め。帰蝶を喜ばせたい」
と即答したところにも表れていますね。重ねてその後を光秀が聞いても無言でしたから。
そして今回の桶狭間。冷静に彼我の本隊同士の戦力差を比較してみせるあたり、エコノミストの本領発揮(単なる算数ですが)でしたし、今川義元にとどめを刺す毛利新介がジャンプして槍を突き立てるのですが、そのシーンを義元の瞳で表現するなど芸が細かかったです。
というような感動?の桶狭間のあとは撮影中段のため、しばらく放送休止になります。そこでまた信長論に・・・
織田信長は熱田・津島、琵琶湖などを押さえたエコノミスト的発想やプロの武士養成など土着的戦国大名からの脱却で革新的発想と最近はもてはやされています。しかし桶狭間以外はオーソドックスな戦いぶりをしているとか、当初は足利将軍の権威復活を目指していたとか最新研究では従来の常識が覆ることが多いです。そんな風潮に頭を切り替えるのが大変で嬉しい悲鳴を上げています。
というのも大学のクラブで次期主将を選ぶ選挙がありまして、私と当時の親友が立候補しました。彼とは同じ自転車(アルプスクィックエース)を持ち、同じ活動思想を持ってましたから、選ぶ方からは違いがわかりません。そこで現主将が先のホトトギスの話を持ち出しました。
「あなたが一番心情的に逢うと思うのはどれか?」
ってね。親友は当然のように
「鳴かせてみようホトトギスです」
模範解答です。
ところが私は何を思ったか?というよりかなり好きだった信長を選んじゃいました。
結果は10対25で親友の勝ちでした。あとで親友曰く
「お前よくあんなこと言ったな。○○さん(現主将)のビックリした顔ったらなかったぞ」
それにしてはよく10票も入りましたわ(>_<)
なんで信長を選んだかというと、私ゃその気が多々あるのですね。うまく行かなくなると粘ることなくさっさとリセットしてやり直すことが多いですし、心情的に理解できるのです。また私の実家の住所も関連してて、親愛度も高かったからです。そんなわけで信長大好きです。
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