峠おやじの「たわごと」

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苗木遠山史料館(遠山の金さん)

2024年06月08日 | 歴史

苗木城跡に登城した後、麓に下りてきて車を停めた苗木遠山史料館に入った。

中世・戦国時代から明治時代初期に至る、苗木領の歴史的な文化遺産を保存・公開する史料館だ。

苗木遠山家の資料を中心に、苗木領と苗木城に関わる資料を展示している。

入館料は330円だが、 JAFなどの会員証を提示すると 270円に割引される。

私はイオンカード(WAONカード)で割引してもらった(^^;

 

こういったミュージアムの常で館内は撮影禁止だが、お城の復元模型だけは撮影可だった。

展示物のなかには歴代城主の肖像画や兜甲冑、鉄砲、刀剣などがあった。

注目したのは明治維新後の廃藩置県の際に賜った『遠山美濃守 苗木藩知事を仰せ付ける 明治2年6月』の拝命書が残っていること。一時的にせよ苗木藩知事が存在したわけである。

 

また全国的にも珍しい徹底的に行われた神葬改宗や廃仏毀釈について紹介してあった。

苗木藩は明治新政府の神道国教・祭政一致の政策を受けて、廃仏毀釈運動を開始し、ほかに例を見ない程、 藩の政策として徹底的に仏教施設等の破壊を行った。明治新政府の意図したものではなかったのに、苗木藩は強制的に領内の仏教的要素の払拭を行い、 寺院を打ち壊し、路傍の石仏や位牌までも廃棄させたという。そのため現在でも旧苗木領にはお寺がないそうだ。

なぜここまで徹底的に行ったかというと幕末に平田国学思想を学んだ藩士が明治新政府と良好な関係を保つよう、平田国学思想を藩政に取り入れたため苛烈な政策になったらしい。幕末~明治維新という激動の時代だったとはいうものの、苗木藩ではさらに極端な状況だったのが理解できた。

 

蛇足であるが、遠山といえば真っ先に思い浮かぶのが遠山金四郎景元。遠山の金さんである。

北町奉行としてお白洲で「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇぜ!」などと啖呵を切るのが時代劇での定番だが、モデルの遠山景元は明知遠山家の分家の6代目。知行500石の直参旗本である。

同じ岐阜県でも恵那市明智町由来の遠山氏なのであった。

コメント (6)
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