10年以上前になりますが、虐待された猫を見たことがあります。その猫は、保健所で保護されていたのですが、ある施設に引き取られました。その施設で、当時スタッフとして働いていた友人を尋ねたときに、その猫を見たのです。
猫カゴの中で身を硬くして、食べるとき、飲むとき、トイレに行くとき、という生きるために最低限必要なときしか、カゴからでることはありません。それも、それぞれを大急ぎで済ませ、逃げるようにしてカゴに入っていました。友人がカゴから出して、抱き上げても抵抗はしません。身を硬くしてジーっとしています。しばらくして、ゆっくりと床に降ろすと、大急ぎでカゴに入っていきました。鳴くことも、怒ることもしなくなった猫。見ていて、胸が詰まるような思いがしました。
子どものころに虐待を受けて育った人にも会いました。一見すると、普通に生活しているようですが、だれも信用していませんし、愛してもいません。他人を信用すること、愛すること、大事にすること――人が人とつながるために必要な最低限のことができません。
だから、誰かと一緒にいてもいつも孤独です。でも、それでいいと思っているわけではなくて、本心では信用し合い、愛し合い、大事にし合う関係を人一倍望んでいます。
だけど、やっていることは、いつも人を傷付けること、人に嫌われること、人を憎むことばかりで、常に敵を作り続けています。
人間は、新しい生き方を始めることができます。決断をしてゆっくりと、でもしっかりとした足取りで誠実に歩んでいけば、気がつくと信用し合い愛し合う関係に囲まれていきます。
人間を虐待するのは人間、猫を虐待するのも人間です。でも、同時に人間や猫を愛しみ、大切にすることができるのも、やはり人間しかいません。
しばらくして、友人は施設を退職してしまったため、その後、猫がどうなったのかは不明ですが、猫好きのスタッフの多い施設だったので、きっと大切に育てれられたことと思います。
人間のほうは、新しい生き方を始めて、今では同じように虐待されて育った人の心のケアをする仕事をしています。
猫も人間も、すぐには結果は出ません。うまくいかないことがたくさんあると思います。でも、信用し合い、愛し合う関係を年輪のように積み重ねていくことができれば、ゆっくりですが、何かが変わっていくのだと思います。
ちなみに、今回の写真は、僕が打つフリをしても、まったく無反応な西子の寝顔のアップ。もはや飼い主としての威厳はゼロ。虐待はいけませんが、ここまで舐められるのは、ちょっと悔しい。
猫カゴの中で身を硬くして、食べるとき、飲むとき、トイレに行くとき、という生きるために最低限必要なときしか、カゴからでることはありません。それも、それぞれを大急ぎで済ませ、逃げるようにしてカゴに入っていました。友人がカゴから出して、抱き上げても抵抗はしません。身を硬くしてジーっとしています。しばらくして、ゆっくりと床に降ろすと、大急ぎでカゴに入っていきました。鳴くことも、怒ることもしなくなった猫。見ていて、胸が詰まるような思いがしました。
子どものころに虐待を受けて育った人にも会いました。一見すると、普通に生活しているようですが、だれも信用していませんし、愛してもいません。他人を信用すること、愛すること、大事にすること――人が人とつながるために必要な最低限のことができません。
だから、誰かと一緒にいてもいつも孤独です。でも、それでいいと思っているわけではなくて、本心では信用し合い、愛し合い、大事にし合う関係を人一倍望んでいます。
だけど、やっていることは、いつも人を傷付けること、人に嫌われること、人を憎むことばかりで、常に敵を作り続けています。
人間は、新しい生き方を始めることができます。決断をしてゆっくりと、でもしっかりとした足取りで誠実に歩んでいけば、気がつくと信用し合い愛し合う関係に囲まれていきます。
人間を虐待するのは人間、猫を虐待するのも人間です。でも、同時に人間や猫を愛しみ、大切にすることができるのも、やはり人間しかいません。
しばらくして、友人は施設を退職してしまったため、その後、猫がどうなったのかは不明ですが、猫好きのスタッフの多い施設だったので、きっと大切に育てれられたことと思います。
人間のほうは、新しい生き方を始めて、今では同じように虐待されて育った人の心のケアをする仕事をしています。
猫も人間も、すぐには結果は出ません。うまくいかないことがたくさんあると思います。でも、信用し合い、愛し合う関係を年輪のように積み重ねていくことができれば、ゆっくりですが、何かが変わっていくのだと思います。
ちなみに、今回の写真は、僕が打つフリをしても、まったく無反応な西子の寝顔のアップ。もはや飼い主としての威厳はゼロ。虐待はいけませんが、ここまで舐められるのは、ちょっと悔しい。