新笠通信 奄美電信版

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いじってはいけないもの

2007-05-27 03:57:24 | B3
欲の発生メカニズム
不特定多数の生活者が実感するようになっては危険なこと
欲の充足直後には欲の存在そのものが消滅することについて
他者との比較が行なわれ続ける限り欲の対象が明確になり欲が発生することについて
記憶への格納という一般には認識されていない無体財産について
ほどよい管理を受けているということが真に快適であるということについて

次回のテーマを設定しました

他者の存在なしに欲が発生することはないということと多数の生活者に快適な環境が存在しているということを情報として提供することがどれだけ危険なことなのかということと欲が達成されてしまった直後には動機付けの対象というのが消滅してしまっている事実が発生するということと快適な状況にありそうな他者の生活を認知すると欲の発生につながるということと貨幣や不動産といった明確な所有者が存在する財産と同様に格納された記憶は価値がある財産として記憶の保持者が価値を設定しているということと快適度が高い拘束というものが存在しその拘束とはどのようなものであるかそしてどのような不快な事象からまぬがれることができるのかといった考察です

女性社会に限定して属性の異なる集団に分類してそれぞれの属性が持つ長所短所を記述してみても上記のテーマを解説したのと同様な解明がなされるのではないかと考えます

究極には欲の追求と達成と新たな欲求の発生という限りなく壮大なテーマとなることも考えられます
経済学的に最短距離で論破してしまっては面白くもなんともない味気ない内容となるでしょう
しかし大衆者の目に留まることが望ましくないテーマであるので解釈に幅が発生しそうな文体としなければならないでしょう
こうした場面において日本語が持つあいまいさの美しさが発揮されるのでしょう
冒頭にあるテーマ一覧はあいまいさがまったく除去されているので美しくないということです
真実の管理者には責任があるということです
大衆に真実を伝えるときは必ず翻訳をして伝えなければならないということです
伝承者間以外では明瞭な真実の交換を行なってはいけないということです
翻訳していない真実の頒布は害にしかならないということです
真実の矢を持って大衆の要所要所を射抜いたなら大衆は崩壊してしまうということです
自然治癒能力を集団の中の個々は十分にもっていないわけだから大衆全体の価値観に致命的な影響を与えたら再び集団を再構築した際に結局いびつな集団社会が形成されてしまうということです
まずはありのままの大衆をよいものともわるいものともせずただそこにある事実としてとらえ好ましいものと好ましくないものの具体化からはじめなければならないと考えられます
人口に対する遊技場の数ははたして問題とされるべきなのか否なのかということに似ているかもしれません
ただ単に大衆に対して方向性を与えられそうな意思決定者が無為無策であったといえるかもしれないし代替案がことごとく否定され続けてきたといえるかもしれません
新しい現象を起こすことが特に苦手とする地域的な属性が反映されたといえるかもしれません
遊技場利用者がある日を境に行動特性を180度変えてしまうということは現代における晴天の霹靂といえるものなのかもしれません
遊技場利用者の行動特性に影響を与えることははたしてよい行いであるのかどうかと考えてみることは面白いことかもしれません
遊技場利用者に対して新たな価値観の導入をもたらすことは面白いことなのかもしれません
欲の性向という生活環境によってもたらされた人間の無意識を利用したサービスなのであるから遊技場に対抗できそうなサービスも欲の性向という人間の無意識を利用するという概念を応用したサービスになる可能性が高そうです
遊技場利用者が新たに価値を認め行動特性を変化させてくるという現象はとてもすごいことなのです
新たに欲を充足させうる対象物を発見したということにほかならない事実ともいえます
結局欲の管理が産業になっているということです
産業従事者から見れば欲を発生している人物すべてが顧客であるとみなすことができます
欲のコントロールができていない人物以上に優れたお客さんは存在しないであろうと考えられます
人の欲が集まるところに産業は発生するといってもよいのかもしれません
欲を実現するときには代替物との取引が確実になされるわけだから現実にはプラスマイナス0なわけです
遊技場で現金の額が増えようが減ろうが利用者が最初から持っていた代替物は交換により減少しているわけです
代替物との交換という概念をもたない人種が奴隷といえます
他者との共存には交換が必要であるということを認識させられることもない人生を歩み交換なしで労務を提供しているような人種です
ボランティアはまた話がかわってきます。代替物の交換などという低俗な世界とはほぼ無縁の充たされている環境にある現代の人類の選択によって物質界とは異なる次元での交流が実現されている世界であるといえます

それでは冒頭にあるテーマに着手するのはいつのことになるやらまったく予測がつきませんがこのへんでいったんお別れとさせていただきます
本日もどうもありがとうございました

思い出に残りました

2007-05-26 02:10:25 | B3
こんばんは

おやすみ前の日記などはつけられましたでしょうか?
こうやって毎晩日記を公開するということは夜の繁華街に赴きおしゃべりをしているのとなんらかわりがありませんね

今夜は夜のお仕事について考察でもしましょうか?
夜の盛り場などではいつも決まった人が一方的に語っているのではないでしょうか?
おしゃべりを楽しむといっても同等の価値観を持つお店の人やお客さんと遭遇することなんてまずないんだから価値観の違いを楽しむのに向いているのかもしれませんね
ひとそれぞれが多種多様な価値観を持つので共通認識が一致していることを確認できる瞬間などはまず訪れないのでしょうね
お店の空間を構成している人全てが周波数の同調を試みます。周波数を調整するのです。空間内の面子によってジャンルを想定して選曲しカラオケを歌ってみることもあるのかもしれません。まわりを意識した選曲とストレートに好みの曲を歌う選曲があります。好みをの曲を選んだら歌っている人の周波数を具体的にアピールすることができます。まわりを意識した選曲で歌うと聴いている人達は自分達が客観的にどういう周波数にみられているかを感じ取ることができます。自分の好みをストレートに選ぶことと周囲の面子を意識した選択を組み合わせることによって空間全体の周波数をお互いが探っていきます。最終的に同調した周波数の選曲に落ち着くわけですが、この周波数帯域が心地よかったかそうではなかったかがこの空間における時間の流れと行動を供にしたという事実の客観的評価基準となるわけです。空間にいる面子すべてが曲を通じて快適な時間と空間を共有したという認識に至れば漠然とであっても楽しかったとなるわけです。
カラオケを媒介として同一時間同一空間において価値観の異なる者同士で雰囲気を演出する共同作業を楽しんでいる風景です。
ひとそれぞれ価値観は異なるわけだから同じ時間同じ場所に居合わせた以上雰囲気を楽しもうといろいろな話題を試してみるものです。おしゃべり一辺倒でもなかなか雰囲気のよい空間を演出することは難しいことだから文化的な要素の手助けをかりるわけです。カラオケを文化といいきってしまうのも多少無理があるかもしれませんが人々の生活の中に曲がいつもとなりにあったというわけです。
ありとあらゆる年代を通じて歌謡曲などの影響をあまりうけなかったという暗黒時代というのはないようです。
カラオケは文化として改めて評価を受ける時期がくるのかもしれません。
日常生活を継続する上で文化の消費が行われていたということです。曲はひっきりなしに生産されているのでもはや消耗品です。その場しのぎの満足感にとどまろうが次から次へと消費されているわけです。消費され消化され記憶に残ることができたものだけが記憶にある人の中だけで永遠に存在するわけです。
出版物とはもはや消耗品でその場しのぎの充足感をも得られないと人々が印象を受けたのなら最初から見向きもされないものであるといえます。
文化作品には一時的な充足感が目指されているものと長期にわたる視聴者の記憶への格納が期待されているものがあると考えられます。両方の要素を兼ね備えたものだけが文化としての価値を与えられるものなのかもしれません。
出版物の価値は人々の記憶への格納実績にあるのかもしれません。
記憶に残っていることで認知しているという実感を伴なうものかもしれません。
記憶に格納されている文化が同じ時間同じ場所で面識の薄い人と一致したのならばそれは発見そのものであるといえます。
価値観がほぼ同一でありそうだということです。この周波数の一致を楽しむ出会いというのもありといえそうです。

価値観の確認作業を対話だけで行なうのではなく側面にある文化要素を経由して好みの共通点の一致を探るというのもなかなか効果的なアプローチのひとつであると思います。
まったく認識の薄い他者と時空を共にする機会が訪れた以上楽しめなかったというのは時間のロスでしかないので価値観が一致しまいが周波数が同調できまいがなにがなんでも楽しんだ者が賢いということです。それでも楽しいという概念に到りそうでなければ店を出ればよいだけのことです。

毎日日記を書くということは毎晩お酒をおいている店にいって誰かに語っているのとまったく同じような効果が出ているように感じますね。
これまで書いてきたような記事の内容を話題としておしゃべりしようと思ったところでこのような話題に対応できるお店などはまずないということです。
意図しているテーマでの会話がはずみそうなお店の人やお客さんがいそうなお店が快適と考えられるお店であると思います。
やはり世間話がおもしろいお店の人がいる店にはかなわないでしょう。世間話が上手なお客さんが集まるお店も楽しいでしょう。
ひとそれぞれ価値観は異なるわけだから世間話がおもしろいお店の人といってもいろいろな価値観を持つ人がいるわけです。価値観というのはおもしろいもので一致を楽しむこともできるし相違を楽しむこともできる不思議なものであると思います。
遠い将来価値観の一致や相違を楽しむことができるお店を持つという希望が理解できそうな気がします
お店の空間をプロデュースすることはもしかしたらとても楽しいことなのかもしれません。
同じ空間に同じ時間が2度と訪れることはない一期一会の世界というものに魅力があるのかもしれません。
一期一会の記憶が日常生活における財産となるのかもしれません。
出版物以外による記憶に格納されることに価値が発生するビジネスは空間サービスと観光サービスであるのでしょう。
お客さんの記憶に格納されることを十分に意識した上での充足感を提供するサービスを担っているということを自覚して充実したサービス内容の考案が期待されるのでしょう。

長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安となる判定分岐点と判定基準が有する問題点

2007-05-25 12:58:40 | 4F
みなさんおはようございます

本日の調子はいかがでしょうか こちらは気温が30℃を超えるのではないかというような日差しが朝から降り注いでいます

前回の女性論は男性読者を対象とした内容に感じられましたか?女性読者は女性全体を客観視した講義などを受けられた経験があるのでしょうか?
戦後の女性ほど社会身分が細分化された属性はないと考えられます
女性自身の手による社会身分階層化構築の歴史であったのではないかとも考えられます

究極には自分の居場所構築なわけです
男性社会と共存しながらの居場所を構築してきたわけです

これ以上進めると人間の存在意義にまでいきついてしまいます
一般の女性などが見向きもしないような文章になってしまうわけです

それでは閲覧したことにより何かが得られるのかという疑問が生まれるわけです
細分化されてきた女性の社会身分階層の解説を受けたらためになるのか? ということです

そればかりは読み終えてからでないと誰もなんともいえません 私にもよくわかりません

冠婚葬祭の話をします
私の地域ではお年寄りがなくなると例外なしで集落の住民全員でお葬式をあげます
地域外の人に説明すると集落のお年寄りがなくなるたんびに血縁的に近いわけでもない隣人のためにお葬式の準備から告別式から片付けまでの一通り全てを集落すべての人が参加して運営するわけです

反対に結婚式は集落に若者がほとんど存在しないので数年に1回あるかないかです

私たちの地域では個人個人の特別な思い入れの存在という点では形式的であるが最後だけは亡くなられた方全てが平等であったということになっています

私たちの地域の社会身分は年功序列型といったほうがわかりやすいかと思います
若者は社会的地位が低いということになっているので自分の考えを表現しません
まわりは全て年上の身分が高い人に囲まれているということになっているからです
出生年齢順の社会身分が通用しています

私たちの地区で育つと自己というものの概念をなかなか養うことは難しいのではないかと思います
他者を気にする時間が長すぎるのです
他者を気にして他者の行動を模倣している自分が自己であるのでオリジナルの自己というものが存在しないのではないかと考えられます

地域の生徒がおかれている環境はサービス提供者の先生ではなく師範としての先生と出生が先であるということだけが根拠として身分が高いとされている先輩に囲まれているといえます

偉いとされる人々に囲まれた状態での思考を要求されているのです
まわりが偉い人ばかりであれば生徒はいくら思考してもとるにたりないこととして相手にされなさそうという感想を持つかもしれません

まわりに偉い人ばかりいたら偉い人が説得できそうな言動をとろうとする思考がうまれるでしょう
生徒の時期から偉い人の顔色を気にした発想だけが向上していくかもしれませんね

誰かの目を気にしている生徒ばかりであれば自由な発想を持つ生徒はほとんどいないということです
県内を生涯にわたり生活の拠点とすることが望まれている人であれば自由な発想に若干かけても難儀することはないでしょう

自由な発想にかけた人は県外の人と共存する場合必要以上に苦労する可能性があります
他者の目ばかりを気にしがちないなかの人を見て不自由であるとの印象を受けるでしょう

この人は人の目にかなったとしてどのような恩恵を受けることができるのであろうか
というような漠然とした疑問を抱かせてしまいがちであるといえます

都会では思考が単純です
世の中のしくみはほとんどが形式的なものであると理解されているので結果だけを要求してきます
あまりにも大勢の人達により社会が営まれているので結果や実績だけで他者を評価しないと時間がいくらあっても足りないのです

他者を説得させることが可能な結果や実績は個人差があります
ありとあらゆる年代から実績を残す人物が現れます
結果や実績を重視する社会には出生順に信用を無条件で付与するという基準はありません
先に生まれたからといって結果や実績と同列に先輩後輩の識別による評価を行なっていれば結果や実績の絶対的な価値が低下してしまうのです

結果や実績だけを信条としている世界の人種は上下身分関係社会では共存が不可能であると考えられます
無条件で年上を敬うということの概念を持っていないと考えられるからです

出生別の上下関係を重視するのは学業期間だけにとどめておかないと一般社会での現実にそぐわなくなる可能性があると考えられます

私たちの地域では出生別の上下関係意識が重い比率を維持しています
一般社会で上下関係意識を利用した契約を要求された場合を考えます
金銭消費貸借契約を要求してくることが考えられます
労働契約締結を要求してくることが考えられます

上下関係意識を悪用した上での契約が横行しないともいいきれないわけです
後輩の立場からしてみれば自由意思による契約のつもりではないのかもしれません
上下関係意識の濫用は脅迫行為そのもであるということです
先輩が後輩に絶対やってはいけないことが確実に理解されていなければなりません
女性に乱暴してはいけないということを誰かが教えてやったほうがよい大学のクラブチームなどが存在するかもしれません

昔は後輩が先輩に対してやってはいけないことや先輩が後輩に対してやってはいけないことといったことの伝承がうまくいっていたと考えられます
都会では先輩後輩間の接触がまったくとれません。地域社会そのものが個人志向です。下校後に塾に通い夜遅くまで起きて朝登校して学校で一日中寝るような生活を小学校の時から経験している人だっています

自由な発想を必要とする職業がなかったら自由な発想などは不要なのかもしれませんね
制度的に職業とされている職種へ就けば余計なことを考えなくてもよいという思想が強いのかもしれませんね
公的な職業に就くことが期待された教育体系がとられていると考えられますね
考えられる様々な教育体系から考えてみれば幾分ましであるとも考えられます

今日のタイトル 長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安のとなる判定分岐点と判定基準が有する問題点 でありますが誰が信用を付与してもなかなかうまくいくものではないということが確かであるといえます。
長期間にわたる信用を付与したとたん手のひら返したかのようなふるまいをはじめる集団に豹変してしまうというのが俗世間の実体であるといえます
集団としても個人としても大差はないと思われます
信用を付与したのちの行動を予測したつもりであっても期待通りにはいかないのが人間社会そのものであるということです
信用付与基準の考案にウェイトをかけることは間違ってはいないが信用を付与された人物ののちの行動というのは幼年期からの人生経験の積み重ねが如実ににじみ出てくるものであると考えられます
信用を与えた人物が高い志を維持した状態で行動を継続することが期待されているわけです
信用を与えたのちに志の浅さを露呈しはじめた人物を抽出し公開の対象として次第に分離するような動きが出てくるのかもしれません

個人間の世界では双方円満の婚姻を実現するために信用を与えるのでしょう
組織と個人間では双方円満の社会身分関係を実現するために信用を与えるのでしょう(学校に在籍すること)
組織と個人間では双方円満の労使関係を実現するために信用を与えるのでしょう(雇用関係を結ぶこと)
もうひとつは双方円満の金銭消費貸借契約の実現であるともいえるでしょう(融資を受けること)
個人が組織に信用を付与することで資本関係を実現するでしょう(出資などの投資)
組織が組織に信用を付与することで資本関係を実現するでしょう(出資などの投資)
組織が組織に信用を付与することで融資を実現するでしょう(債権債務関係)

信用付与がうまくいっている人のことを人生がうまくいっているとの見方があってもよいのではないかと思います
誰もが実現困難なことが理想的な婚姻であったり理想的な就職であったりすると考えられます
組織の中でみたら理想的な上司や部下に囲まれているかということであったりすると考えられます
組織運営の立場で見たら安くて丈夫で長持ちするタイプを確保したいと考えるでしょう
究極には長期にわたり利子や配当をもたらす組織との関係を望んでいるといえるでしょう

一般には利子や配当の動向に左右された行動をとる人生より婚姻や就職がそこそこうまくいっている人生のほうが後悔もなく有意義な人生であると考えられます

全てを手に入れようとしたら全てが手にはいらないのが人生であるといえるので婚姻でも就職でもなにか1つだけでも信用付与に成功すればよい人生であったといえるのではないかと思います

個人や組織を信頼して関係性を構築していくということはそれほど長くはない時間の間に個人や組織を選択するという究極の行為であると考えられます

究極の選択のことばかり考えていては少しも前進しないことが考えられるのでたまには人を褒める練習をしましょう
私は人を褒めるのが下手です
人を褒めたら責任が発生すると考えられるからです
人を褒め他者に同意を求めたら褒められた人は期待はずれの行動をとれなくなります
褒めた人によっては長期にわたるプレッシャーとなることが考えられるのです
他者に人を推薦するという行為は3者の間で信頼関係が構築されていないとなかなかできるものではないということです
推薦された人が期待はずれの行動をとった場合推薦した人は紹介した人の期待を裏切ったことになってしまいます

褒めるにしても信頼関係に変動が発生しないことが確認された場合でないとなかなか人を褒めるということはできないのです
それでも褒めることはよいことに違いはないのですが地域によっては目上の人ばかりが褒めるという行為をしているのかもしれません

褒めるということはよいことですが評価が発生しています
褒めちぎっている人というのはむやみに高い評価を与えているように見えるのでそのうち信用を落としてしまうような気がします

それでも褒めないと人は喜ばないかもしれないから褒めることはよいことです
かんじんなことは褒められたい人から褒められたかが問題となるのです
褒められたい人から褒められた時が一番嬉しい
というのが自然な感情であると思います

誕生日に弟の嫁からカジュアルシャツをプレゼントでもらいました
嬉しいとはこういうことをいうのですね
少し違うかもしれませんが少なくともよいお嫁さんでよかったということです

青森県出身の一人っ子ですね
まあよく青森―鹿児島間の婚姻を実現してくれたものだと思います
当人達の現役時代の生活拠点は関東であるので青森も鹿児島も事実上関係ありません

弟の話はこれくらいで
うちの弟や妹達は立派であるということですね

現代ほど安易に他者や組織を信用することが難しい時代はないように思えます
しかし昔のほうがもっと難しかったといえるでしょう
現代は各種データの蓄積により統計情報の精度が格段に向上しています
統計的に予測可能な現象が増えてきているということです

突然変異的な珍しいことが発生する可能性が低下している画一的な社会環境が構築されたといえます
予想外や想像外の出来事に対する関心が高まるのも自然なことであると考えられます

あまりにも情報が揃いすぎてしまっているので前もって人間行動が予測されてしまっているのではないかとも思えます
将来が容易に予測されるような社会では生き生きとした住民が減少してしまうのではないかと考えます

予想外のストーリを持つ作品はやはり付加価値をもっていると考えられます
社会の基盤に変化はないが変化がみられないことに起点を発するエネルギーの流れが創造の世界へ移動し細分化された創造世界の中で多くの人の充足感に影響を与え続けることに価値が見出せるのではないかと考えます

男性は積極的に信頼関係の構築を実現したほうがいいですね
どういうことをすれば信用を得またはどういうことをすれば信用を失うのかということです
どうして所属以外の集団からの理解を得られているのかもしくはどうして所属以外の集団から理解を得られていないのかを要点を絞ってまとめておくとどうしたいからどうするという流れをつくることができるのではないかと思います

同様に女性も信頼関係の構築の手続きが向上したほうがよいのかもしれません
あまりにも他者の目を意識していない女性に対してはいつまでおよそ自己中心でいられるのか終了する時から期間を逆算する作業を勧めたいともいえます
現実世界での不確実性事象に対する期待から面白可笑しく遠くから見ている人が多いと言い換えることもできます

ということで漠然と個人を信用してうまくいった人や漠然と組織を信用してうまくいっている人にはかなわないのかもしれないということです
社会通念や各種統計資料に基く確実性を重要視してしまった場合には確実性は実現されたとしても不確実性は実現することができないのかもしれないということです
不確実性が強い機会遭遇のロスが発生してしまうということですが不確実性が持つリスクを許容することが変化への歩み寄りだともいえます
不確実性を楽しむことが冒険であるとも考えられます。しかしリスクの負担に上限を設定しがちなため真の冒険者からの理解を得られることはなかなか難しいともいえます
信用を与えた先の長期にわたる共存の過程で平行線をたどれることが理想なのかもしれません
ひきつけあうのも反発しあうのも当事者同士の勝手ですが長期にわたる安定を実現するために信用を与えたのは双方とも共通しているはずです

信用を与えることとは長期にわたる安定した共存を実現することが目的なのです
長期にわたる安定した共存の実現を双方が希望しているかどうかが問題なのです

長期にわたる安定した共存を実現したいと強く願ってみましょう
そうすれば信用を得られやすくなるなるかもしれませんね

おんなの人論

2007-05-25 05:28:46 | B4
みなさんおかげんいかがでしょうか

好評につき新日本女性論を続けます

戦後もっとも身分変動が起きたのは女性社会であります
本当のことです

家父長制的精神概念拘束から自由になったのです

男女平等社会の理念を占領国がもたらしたのです

冒頭にある新日本という表現は戦後と言い換えられます
かけことばとして終戦直後に用いられていた意味の新日本女性が昨今増化傾向にあることを憂いての表記ともなっています

平等になると不平等であるといわれていた時代に有利であった男性の各種権限が低下したということです
平等になって不平等におかれていた女性はありとあらゆる制約条件の限界に挑戦してきているということです

限界に挑戦するという行動は男性の専売特許であったわけです
限界に挑戦しないと集団の安定化が実現できない時代が長く続いたからです

女性が限界に挑戦するということは事実上男性社会への新規参入が起きたということです
男性世界全体の権益は各時代を通じほぼ変動がないとみなせるので新規参入した女性の人数だけの男性が男女世界から撤退を余儀なくしたということです

戦前の家父長制理念時代は1人の男性を多くの人がサポートする時代でした
戦後の男女平等社会は1人の人間がより多くの人からの支持を得ようと競争するようになってしまいました

今まで支援に専念していたであろう人たちが男女を問わず私が私がと我先を争うようになりました

みなさんが個人の限界を追及するようになってしまったのでそのエネルギーの分だけ集団の限界を追求することから遠ざけられることになりました
同盟国は私たちの地域の民族が集団の限界を追及したときに発揮する破壊力を十分に理解しているので個々のエネルギーが集団に向かわないようにとなるべく個人の限界を追及するように方向性を与えたといえます

個人が能力の限界に挑むには社会理念の再構築から着手しなければならないでしょう
男尊女卑の流れにあった理念を崩壊し男女平等社会を実現すると女性は際限なく自分の限界に向けてチャレンジをはじめました

男性が限界に挑戦するということの意味を理解した上でないと女性は破滅に向かうと思われます
男性といっても全員が全員限界にチャレンジするわけではありません
男性は限界に挑戦した時からもうすでに全てを失うことと常に隣り合わせの状況にいるのです
廃人になる可能性を覚悟した上での挑戦なのだから間違いなく潔い姿であるわけです

女性が限界に挑戦することがよくないとは言いません
もし男性と競合している状況になったとした場合男性は全てを失うことや廃人になることを覚悟した上での行動をとっているわけだからあなたに最初からその心構えがなければ最初から太刀打ちすることは不可能であるということです
女性が超人的な能力を発揮し競合した男性を打ち負かした状況が多発した場合は男性の精神的な死をもたらします
限界に挑む男性は今後発生しなくなるということが考えられるのです

今日は女性の節度の考慮がなされていなさそうな自由への挑戦をテーマにしています
個人の限界へ挑戦する方向を多くの男女のどちらもがとってしまうと集団全体のエネルギーが低下するということです

1人の男性を大勢で支えていた時代との違いはそこにあるということです
個人の限界への挑戦を継続している限り集団の最小構成単位である家族へはエネルギーの配分が及ばないということです
家族へのエネルギー配分が不十分であるということは地域へのエネルギーも配分されないということです
個人の理想実現のために家族や地域の健全な成長を犠牲にすることができる人などは限られたほんの一握りの少数であるはずです

誰もが集団に煩わさせられることなく自分の限界にチャレンジしたいと思う時代がとっくの昔に訪れています
そんな選ばれた小数の人間でいられる時間は短いのだからいずれ長期にわたり誰かの役にたつことができる環境におちつかないとちまたには全てを失った人や廃人であふれかえってしまいます

そしたら地域の出番となるわけです
個人主義の行き着く先には社会的セーフティーネットの待遇が待っています
地域は社会的費用を配分しなければならなくなるというわけです
話はかわりますが母子家庭よりは通常世帯家庭のほうが断然好ましいということです
通常世帯を目指して一生懸命努力をしている人や美しい通常世帯の増加のためにありとあらゆる努力を行なっている人のほうが断然多いわけだから男性にもっとしっかりしてほしいということです

地域は母子家庭比率の数値的目標を掲げ通常世帯の増加を促進し数値目標を実現したらお見事です
いつまでも高比率な母子家庭地域であってはいけません
ここの地域の女性が国内で一番弱い立場にあるということになってしまいます
といっても男性を見る目を養ったとしても期待できる男性の絶対数だけは増加するものではないから困ります

今日の女性論はいかがでした
個人主義には時間的制約がある人が多いということです
いずれ個人主義から集団主義に移行するタイミングが発生するということです
若い時に時間的期限を設定して個人の限界に挑戦する時間的制約を自分で設定したほうがよいということです
比較的早い段階から集団に貢献した者はのちのち個人の限界に挑戦する時間を与えられるものであるともいえます

個人主義とは社会制度への挑戦であるといえますね
婚姻の選択と出産の選択を迫られます
死に場所を選んでこの世から去ることは困難であると考えられるので次世代へバトンを渡さなかった場合は社会福祉団体の世話になりながらお別れになることが考えられます

封建的所有感覚

2007-05-23 20:49:09 | B3
こんばんは

みなさんお越し頂きどうもありがとうございます

見てはいけないというものこそ誰もが見たいと思っていることです
指定した部分だけの記憶を失うことができるのなら誰もが平和に暮らせるでしょう

戦争などを体験して敵を殺してしまった経験などがあればその人の記憶は生涯にわたり日常生活においての感情表現時に障害として現れてしまうでしょう
見てはいけないものを見すぎた人は記憶を失わない限り後生にわたり記憶が要求してくる反応をせまられ続けることでしょう

知らぬが仏とはまさに平安の暮らしを保つ上での処世術を言い表している言葉であると考えられます
それでもみなさんは見てはいけないものをみにいらっしゃったのですね

それでは今朝の続きである所有の概念というところから始めたいと思います

所有の概念を他者に読み取られてしまうことは危険なことであると考えられます
他者に行動を読まれてしまうことが考えられるためです

あなたはつきあっている彼女がいます
彼女はあなたのものですか?

あなたには奥さんがいます
奥さんはあなたのものですか?

同様に彼氏はあなたのものですか?
旦那さんはあなたのものですか?

この質問にあなたならどのように答えることができますか?
この質問から得られる答え次第によって所有に対しての価値観をある程度把握することができます

集団が有用な人材を確保し続けるためには男性が男性に対して魅力をアピールし続けなければなりません
男性が集団の中で有用さを表現するためには男性が男性に対して魅力をアピールし続けなければなりません

人気がある集団というのは同性に対して憧れをいだかせる要素を必ず含んでいるわけです
集団の一員でありたいという気持ちが発生するということは集団が理想的な要素を必ず含んでいるわけです

私たちは属している集団に魅力を感じているならば外部地域に対して魅力をアピールし続けなければなりません
私たちが属している集団に魅力を感じていないならば内部地域に対して変化を求め続けなれければなりません

40年近くにわたる社会での集団生活の期間中に所属外の集団と意思疎通を図るための十分な時間はとれません
所属している集団に発生している課題を解決するのに所属業界だけの変化だけでは効率的な改善がなかなか見込まれません
あらゆる業界で課題解決の時期が重なった場合は異なる業界どうしが一体となり課題解決に取り組むことが最も有効な解決手段となります
しかし業界により体質が異なるため異業種間で足並みを揃えなければ前進はありえません
千載一遇のタイミングを逃さずに最も効率的な改善を目指すのであれば異業種間で共通認識事項の確認が活発になされないといけないのです
全ての業種において課題解決にあたって共通認識の確認がとれたところではじめて次のステップに移行することが可能なわけです

それでも各業界は所属集団のことで手いっぱいであることが考えられるので共通認識確認作業に参加しない可能性が高いということです
それで何が予測されるかというと所属業界の利害の安定化だけは継続するということが考えられるのです

どの業界も所属している集団の利益を守る行動をとる余裕しかないであろうということです
資本主義社会はおつむの弱そうな獲物を発見したら片っ端から食い尽くすことによって生存競争をかち残ってきたわけです
少しでも気を緩めると他業界からの攻略をまともに受けてしまうということです
所属集団を防衛しながら外部集団と意見交換を行なう国と国の間に見られる外交行為はどんなに小さな規模の集団どうしのコミュニケーションにおいても基本はなんらかわりはないということです

外部の集団との意見調整時には常に自己の集団の防衛が実現されていないと対話にこぎつけることすら困難であるということです
あらゆる規模の集団において外交能力の向上が望まれています
意見交換を活発に行なわない集団の発生は共通認識確認手続きの妨げとなってしまいます
意見交換を活発に行なわない集団とは数世紀前の徳川幕府をイメージするとわかりやすいのではないかと思われます
鎖国により外部要因の排除を行なっている集団です
対外集団との意見交換に消極的な集団の内部統制は封建的手法によってなされているものだと考えられます
封建的手法の是非を問い続けなければならないという課題も発生してきます
封建的集団の内部には内国法強制力が及びにくい人的管理の発生が予測されます
内国法強制力を適用しにくい集団管理の中にある個人には事実上の人権侵害が発生していることが予測されます
封建的所有概念が有する欠陥であると考えられます

特定地域における小規模集団は現代においても封建的所有概念が継続されているということです
特定地域における小規模集団は現代においても封建的人的管理が継続されているということです

前回の記事で事業者の所有感覚をとりあげたのは現代における封建的支配の実像を解明しなければ経済史は記述できないであろうということが考えられたためです
所有というものの価値観はこれからも継続して考察して客観性をもたせていかなければならないと思います
江戸幕府的要素を持つ封建的管理体制から次のステップへ移行してゆかないと市民の発生の妨げになります
次のステップといっても資本主義経済の中にあることは変わりはないので科学的に構築された理論が適用された管理体制への移行が望まれるということです

ここで事業者の所有感覚を露骨に表現するにはまだ早すぎるということです
経済史記述の上では封建的所有概念による集団管理が行なわれてきたということを記さないと現代史としては不十分であるということです

私はどの業界を防衛しながら意見交換を行なう立場にあるのかが明確でないと異業界の人との接触が難しいですね
私は農家の立場もとらないといけないし市民の立場もとらないといけない
とりわけ教育関係者のサポートを実現しなければならないし私小説家タイプの人種の人権を主張しなければならない
といったような業界を支持しているわけだから業界の利益を守りながらも自治体や政治界や経済界とうまくコミュニケーションをとらないといけないわけです
そういうことです
立場のある人間にあほにむかってあほと言わさせるようなことはしたくないので私がかわりにあほっていってやり続けなければならないというわけです
組織の権威が何よりも重要なのだから責任が重すぎる人はリスクをとってはいけませんということです
立場のある機関や人間にかわって言いたい放題言うのが私の仕事の一部ということですね

それでは今日も見てはいけないものを見にわざわざいらしてどうもありがとうございました

経済史と政治史

2007-05-23 07:34:39 | B3
前回の記事で地域外の人が読んでも容易に理解できる客観的な現代経済史と現代政治史を作成しなければならないという話をしたのでいつ誰がどこでどのように歴史を記述していかなければならないのかという点から少しでも前へ進めていきたいと思います

歴史を記述する作業は今すぐ始めなければなりません
今後の計画を策定する作業というのは日常茶飯事的に発生しているからです
戦後の経済を左右してきた意思決定事項というものの評価が必要です
効果があったのかなかったのか測定できなければ評価自体が行なえません
戦後の政策そのものの評価が必要です
致命的に損害を被った政策を明らかにしていかなければ昔と似たような誤った政策を繰り返してしまいます
効果があった政策は客観的なデータから測定できるものだけを評価しなければなりません
効果測定判断基準というものは恣意性が強くなりがちであるので利害関係者以外が納得できる基準が用いられなければなりません

今現代の経済と政治の歴史記述がなされると責任の所在が明確になります
責任の所在をあいまいにするためには歴史記述を先送りする必要があります

歴史の記述は経済的勝者あるいは政治的勝者いずれかまたは両方の勝者である者が記述することが一番非効率的です
歴史事実の記述を勝者が行なうことは歴史の恣意的な塗り替えがなされます
勝者の都合のよい事実だけしか記述されないということです

歴史記述は過去現在未来にわたり研究対象地区との利害関係の発生が予測されない地域外第三者機関の者が行なうことが理想です
研究対象地区の利害関係者が記述したものは客観性に欠けます。無意識の内に恣意性が発生します。

第三者機関が現地調査にて歴史事実を収集し記述を重ねていきます
地の利に関して決定的な弱点があるため効率的な情報収集の困難さが予想されます
現地調査にて情報収集を行なう過程の中でも経済的勝者や政治的勝者に不利となる情報だけは研究の後半段階に至っても収集困難であることが予想されます
勝者というものは情報の鎖国化により長期にわたる安定を実現してきているのです
安定が揺らぐネガティブな情報については速やかに隠蔽し情報そのものの隠滅を実現する体制が整っているといえます

ということでありとあらゆる困難が待ち受けていることが予想されますが歴史の記述というものは絶大な価値を持っているのでありとあらゆる機関が研究テーマとして取り組まれることを期待したいと思います

おそらく現代史の記述というものを実現できる機関はそう存在するものではないと思います
しかし現在今後の計画を立てている人物全てが必要としている情報であるので断片的な情報であってもあらゆる方面から発信されることが期待されています

理解が足りない人物に対してあなたはここが解っていないと指摘する作業は本当に難儀な作業であるといえます
しかし各種情報において共通認識がもたらされる段階にこぎつけないと議論そのものが成立しません
周知事項の徹底がなされていないと集団は機能しません
それと同様に共通認識の徹底がなされていないと集団の議論が機能しないのです

共通認識の確認作業とは継続的になされていないと議論そのものが発生しないのです
共通認識のずれというものから測定する作業を始めなければならないのです
気が遠くなるような先が見えない作業です

共通認識のずれの幅を狭くするには教養が備わっていないと修正が困難なわけです
学業期間において平等に教養の習得がなされたはずです
基礎共通認識というものは平等に与えられた教養からスタートし社会生活を継続しているうちに共通認識にずれが生じてくるという性質を持っていると考えられます
学業期間に基礎的な教養の習得に熱心でなかったものとはそれこそ共通認識の幅に修正などということを実現することは非常に困難なわけです
共通認識の確認作業が始められない時点では議論の発生の余地さえ認められないといえるでしょう
市民としての発言の前提には共通認識の確認作業に参加するという共同作業を必要不可欠としているということです
共通認識形成のための意思確認作業が実現できなければ議論の先にある合意形成作業までには至る余地がないということです

外部の機関が戦後史を作成するのを待っていたら寿命がくるかもしれないから現地において利害関係を有する機関が先行して戦後史を記述していくことは仕方がないとも考えられます
町史などは手元にあります
ということは行政主観の歴史編纂しか現段階では予想されないということです
行政に不利な情報は公表されない経済史や政治史が発行されてしまう可能性があります
行政に不利だと考えられる情報こそが最も効果が高い改善事項であるということです

改善の余地が考えられるものは漠然と業界を挙げると産業界と政治界と行政界ということです
これらの業界の将来のために戦後史が必要であるということです

乱暴な流れになってしまいますが事業者の所有感覚だけはいくらでも訂正余地を有するものであると考えられます
事業者が持つ所有概念について詳細な記述を行なうことが効果的だと考えられます
事業者が持つ所有ということについての価値観を明確に示すことができれば地域全体の市民像を示していくことが可能となります
事業者の所有意識構造を解明すると事業者の行動を推測することが可能になります
事業者の行動を推測できたら効果的な制度資金の運用方法を構築することができます
政府支援を有効活用するには資金の最終到達地点まで予測する作業が必要になります
政府支援資金が最終的に消費に用いられるのか貯蓄に用いられるのか投資に用いられるのかまでを把握しないと有効活用が実現できたとはいえないと考えられます

政病分離

2007-05-23 01:28:20 | B6
お元気でしょうか

みなさんは宗教を持っていますか?
私はもっていません
両親と両祖父母がもっていなかったからです
生まれつき信心深いということの概念がないのです

みなさんは病気になった時にいきつけの病院がありますか?
私はありません
両親と両祖父母が健康体そのものだからです
日常生活を送る上で病院を利用するという概念がないのです

奄美で育った私からみると宗教に携わる人や病院に携わる人というのはどうしてこうも思い通りの世の中を創ってしまおうとする傾向にあるのか理解に苦しむ行動を頻繁にとってきていると感じます

活動家が一様な価値観を普及させた結果これらの活動家が行動を起こさなかった場合と比較してどのような変化が起こったのか検証する必要があります

活動家がもたらしたものはいったいなんなのであったのでしょうか?

誰に影響を与えたのかという観点から同等の属性を持つ市民ごとに分類して評価を行なっていかなければならないと思います

これらの活動家はどういう属性の市民に対して何を残したのかということです

活動家が思い通りの制度を構築するために犠牲にした費用というものを測定しなければならない時期にきたといえます

何かを実現するために確実に費用をかけたということです

何かを実現するために確実に消耗した事象があるということです

これからの時代は目的を達成した人物が目的達成の過程において消耗したと考えられる事象に対しての正しい認識を持つことが要請されます

第三国者の視点で言い換えるとあなたがやりたいようにやったことははたしてどれだけ多くの人々の犠牲を必要としたのですかということです

世の中のしくみをかえてしまうということは武力にはよらなかったという違いがあったにしても戦争が発生したのと同じだけの犠牲者が発生している事実がもたらされるということです

その事実を検証する行動を起こさないかぎり第三国者視点の人から評価を得ることは困難であるといえます

影響を与えたであろう住民の市民哲学に変化が見られないとするのならば住民の市民哲学の成長は最初から無視されていたということになります

住民の将来にわたる全人格的な成長を期待した行動がどれぐらいの期間継続されたのでしょうか?

活動家が行動した跡には何が残りましたか?

住民の人格的な成長がみられなかった地域というのは略奪の跡であったという以外にどのような説明ができますか?

活動家が成長する基盤となった地域に人材は残りましたか?

人格的な成長が停滞している地域から後に続く人材が生まれてきそうですか?

住民の人格的な成長にもっとも効果的なアプローチを活動家はいったいどれぐらい知っているのですか?

活動家の目標実現のために住民を使用収益してしまったという感想はお持ちでないのですか?


とここまで長くなってしまいました
いったい誰に対しての発言だったのでしょうね
むやみやたらと理想論を強調しても白けてしまう世代が後から後へと続いているということですね
もはや戦後から四半世紀たった時代にはあらずということです
一様な理想論が意味をなさないといいきれるわけではないです
市民の価値観の分布状況があまりにも広い幅に点在する時代であるので日本語をいちいち何通りにも翻訳しないと伝えたいことも伝わらない時代になっているということです
あまり馬鹿正直に正しいことを単一言語で表現すると誰も関心を持たなくなってしまうということです
ステレオタイプの表現は手抜きであると言えます
誰に聞いてほしいのかがまったく伝わってきません
今時より多くの人に聞いてほしいというような間の抜けた発想はもってはいけないということです
聞いて欲しい人達にむかって聞いて欲しい人達が使っている聞いて欲しい人達にもわかる言語に翻訳して発言しないと相手に意味が伝わらないということです

戦後に奄美が獲得した財産は何ですか?
日本人全員にふって沸いたように権利と義務が発生しましたね
市民が行使する権利と義務というものの概念ができあがっていないうちに市民権を与えられてしまいましたね
代表を選出することの意味が理解できていて投票を行なった人はどれぐらいいたでしょうね

資本主義の概念が未成熟な状態で政府支援だけは受け続けることができましたね
資本主義国的な市民とというものの概念が未成熟な常態でありとあらゆる便益を享受する時代が長く続きましたね

お金の使い道を知らない人達につなぎ資金のような運転資金がもたらされ続けましたね
お金の使い方がわからない動物に現金を渡したら何が起きたのかという答えが現代の状況でありますね

お金の使い方を知らない人にお金を渡してみてどういう行動をとるか観察することはとても価値があることです
ある特性を持つ住民ごとに分類すると分類された住民みんな似通った行動をとるから原因と結果を分析しやすくなるのです

戦後経済史として奄美を分析しなければならないとなると政府資金を実際に受け取った人物がとった資金消費行動を観察することが最も有効であると考えられます

お金の使い道がわからない住民は何を行なったのでしょうか?
お金は消費か貯蓄か投資にしか使えないはずであるので、何に使ったかということで使途比率を出すことができると考えられます
継続されている政府資金流入と大島紬好景気時代の資金流入があったはずです
各時代を通じて消費に偏っていなかったのかを検証する必要があると思います

早い話お金の使い道を知らない人は消費行動しかとらないので島外の誰もが現金を渡すようなおろかなまねはしないということです
お金の使い方を知っている人はお金の使い道を知らない人に現金をわたすようなことはありえないということです

戦後半世紀たったわけですから経済史や政治史といった市民生活に直接的に影響を与えてきている社会現象を記録しておかないと次世代への指針がなにも導き出せないであろうと考えます

政教分離という言葉があります宗教に限ったことではなくありとあらゆる思想業界から政治は分離されることが望ましい社会であると考えられます
奄美は政病一致時代があったのではないかと思われます
政教一致社会では宗教に有利な市民社会が実現されます
それと同様な傾向に陥る危険性の回避が望まれます
文民統治という言葉があります
軍事政権を二度と実現させてはいけないということです
プロフェッショナルとマネジメントを独立させなければ
制度を軽視するプロフェッショナルが大量に発生してしまいます
プロフェッショナルが制度を優越し始めてしまうとシビリアンコントロールが機能しなくなります

まずは住民にお金の使い方の指導みたいなことから始めて欲しいものです

離島の20代のみなさんへ

2007-05-22 09:00:47 | B3
離島の20代のみなさんへ

みなさんが仲間とお酒を飲むことが大好きなのはみんな知っています
しかもここだけの話だけど高校生の時から夜中海岸などで酒盛りしていることだってわかってるんですよ
でもね、みなさん
ほんとのことを言っちゃわないとあなたたちが4~50歳になったころにまともに顔をあわせてつきあいきれないから今すぐここでほんとのこと言っちゃいます
あなたたちが20代の時代を酒びたりで過ごしてることはみんなわかっています
平日でも居酒屋でよく飲んでますね
はっきりいって20代の頃から居酒屋に入り浸っているあなたたちは贅沢者です
お酒というのは2~30年一生懸命働いてきたけどどうしようもなくつらくなった時に気休めで呑むものなんですよ
20代の頃ずっと居酒屋にいるあなたたちはきっと4~50代の人達よりもとてもつらい立場にあるんですね
盛り上がったら盛り下がるんですよ
盛り上がりっぱなしの人生なんてあるわけないじゃないですか
どうしようもなく落ち込んだときに気分を少しでも高めていくきっかけになるという期待をもって呑むものですよ
20代の10年間居酒屋びたりだったあなたたちは例外なく単身者ですね
仲間を大切にしてつきあっているつもりが仲間を台無しにしたということに気づきましょうね
10年間の夜の時間に使ったお金は本当はあなたの家族のために使うお金だったのですよ
子供の成長にあわせて使うはずだったお金が夜の時間で全部なくなってしまっているのをまわりの女の子達は見抜いていますよ
仲間が大事だったらつきあいはほどほどにしましょう
子育てをひととおり終えてからお酒をはじめましょう
ってなことをこれまで誰も教えてくれなかったのですね
ここで書いていることは飲食業に対する営業妨害となるでしょう
私だってお酒の商売をしている人の知り合いはたくさんいますよ
そういう人達こそ居酒屋に入り浸っている20代の将来など手に取るようにわかることでしょう
今日ここで指摘しているのはあなたたちがあまりにも重症だからです
だれも手がつけられないからほったらかしにしているだけなのです
地域全体があなたたちに対して優しくなかったということです
それでもあなたたちが4~50歳になったあとからも顔をあわせていかなければならないのでその時あなたたちは見られたものではないという印象をいろんな人に与えることになるかもしれないことが非常に気がかりでしょうがないのです
このお話は20代といっても年代に差があります
何年生まれとまでは指摘できません
といってもこんな狭い地域だから人物が特定されやすいのかもしれません
パソコンを日常的に利用していそうではありませんね
でも今日目にすることになった20代も確実にいるでしょう
お酒はぜいたく品であるということを認識しないといけないのです
長期にわたる家族運営のための最低限の金銭負担のことを意識しないとまずいといっているのです
みなさんが居酒屋浸りの生活を送っている理由のひとつにお金の使い道を知らないということがあげられます
養育に関する概念がないためでしょう
あなたたちは投資のつもりで飲んでるかもしれませんがそれは単なる浪費です
お金の使い道を知らないということは不幸なことなのです
お金の使い道を知らない人は大切に扱われなくなります
離島の20代が居酒屋びたりの生活を始めたのはいつのことからなのでしょうか?
親の姿を見て育ったということですね
父親が酒びたりの生活を送っていた姿を見た子供は恐怖症におちいる人だっているのですよ
お酒の席でごまかす習慣がはびこったのにはどうもわけがありそうですね
大人の社会にお酒でごまかす習慣があったからでしょう
地域の大人たちがお酒でごまかしあっているうちに子供がまねをするようになったのですね
居酒屋浸りの人種に女性はよりつかないということを誰も言ってやれなかったのですね
こういうことは居酒屋を運営している人たちは気づきもしなかったのですね
それはもう月間・年間の売上高のことで頭いっぱいでしょうから客の将来なんて頭をよぎる瞬間もなかったのですね
いい飲み方を教えてやれる親方がいなかったというわけですね
いい飲み方を教えてやれる大将がいなかったというわけですね
20代のまわりにはほんといい大人がいないんですね
この子たちの母親があわれでしょうがないですね
20代のみなさんにはまだ時間が残されています
40歳ぐらいまでお酒の時間を我慢できたらその頃には家族を持つ準備をはじめられるかもしれませんね
今のあなたたちにはまず島外の女性達はよりつきません
今までもそうだったように島内の女性達もよりつきません
あなたたちが何年にもわたってお酒を飲んでいる間に女の子達はとても賢くなってしまったのですよ
ここから盛り上がる話へ転換することは簡単なことではありません
こんなことまで私が指摘しなければならないのかと思うととてもさびしい気持ちになります

島内は行事事とか活発に見えてはいるけど行事に参加する密度の濃い関係が持つ副作用などは議論されたことがありませんね
行事事で威勢よく目立っている若者達は居酒屋でもしょっちゅう目立っているわけです
ここぞと言うときにこそ目立つから行事が盛り上がるのです
普段から飲み歩いて目立っている若者達はそれこそ4~50代になったときに別の意味で目立つことになるでしょう
人生はまちがいなくちょうじりがあうようにできているわけだから20代の時にピークをつくらないように地域が若者たちを優しく支えてやらなければならないでしょう
20代の若者たちを観察するとこれまでの大人たちの世界がいかに他人事ですませてきた社会だったのかを読み取ることができます

このように自己管理ができていない世間を知らない農民や法人に対して融資を行なってきた機関が存在しますね
まあ担保があれば機関の損失までには至らないからよいでしょうが担保があったとしてもお酒の飲み方が下手な人に対して貸付を行なってきたという結果的な事実は存在するのです
融資だけでなく、お酒の飲み方も知らない法人に対して発注してしまったという事実も存在しているのです
融資にしても公共事業にしても配分した結果ろくでもない飲み方が普及してしまっていたという事象が明らかになればこんな連中を遊ばすために税金を払っているのがばかばかしいという声が遠くのほうから聞こえてきてもおかしくはありませんね
地域の健全な発展のために分配された大切なお金なのだから浪費ではなく投資にあてられるべきでしたね。
教育投資や新産業分野に対する投資に有効に活用されるべきだったということです
公共事業費用を所得として受け取った世帯には次世代への投資という重要な使命があるのです
まともなことを書けば書くほどばかにされそうですね
きっと公共事業費用を所得として受け取った方々はこういう文章を目にする機会などないのでしょうね
誰かが言わなかったのですね
これまでずっと
そしてこれから先もあなた方には言えないのでしょう
この島のネイティブ住民に贅沢できる人なんか誰一人いないはずですよ
各種統計資料の上でも明らかなことです
奄美・沖縄の人達は本土市民との対等競争という面で絶大なハンデを背負っています
本土と競争したことがある層の親があまり存在しないのでしょうね
今日は居酒屋の関係者が1人ぐらいは見てくれているかもしれないと思うからその人にこれからの20代に新しい飲み方を教えてくれることを期待したいと思います
彼らは自己管理がまずできていなくて自己責任という世界とは異次元の空間に存在しています
自己責任という前提が通用しないわけですから自己責任の世界で生きている居酒屋の関係者が道を示してやることしかできません
自己責任とはかけはなれた世界で生きている彼らを放置するということは障害を持った人に対していたずらしているのとなんらかわりはありませんよ
自分を障害を持った人が一箇所に集まっているところを見物にきた動物園のお客さんみたいだとは思えないのでしょうか

なんてひどい文章なんでしょう
それでも飲ませて笑わせてごまかしてすませることしかできない人ばかりみたいだから悲しいといっているのです

さつきくんのページ

2007-05-22 04:53:36 | 2F
おはようございます
みなさんおひさしぶりです
日曜日に弟夫婦と妹夫婦が休暇をとり関東から奄美大島へ帰省しています
3日だけ滞在するということなので会いに行きました
弟夫婦の子供颯輝(さつきくん)は1歳1ヶ月目になっていました
なんて可愛らしいんでしょう
下の兄弟はみんな元気で私は幸せ者です
弟たちのがんばりに負けたくはないけどなかなかまねができるものじゃないところが泣き所です
みんないいとこわるいとこあるんだからいいとこを認め合っていくしかないですね
兄弟みんな得意とする分野が異なります
役割分担ができている兄弟は素晴らしいですね
みんな無理なくいいところを伸ばせそうですね
一人っ子のつらいところは兄弟で分担できそうな役割すべてが1人にかかってしまいそうなことですね
経済性だけを重視し家族計画をたてたとしてもかえって非効率になる可能性もありそうですね
子供の話題はなかなか一般論にすることは難しいですね
でも基本的な考え方を誰かが語っていないとメディアなどで目にする話題などはレアケースが多いと思われるので家族の基本はいつも誰かが語っていないと方向性を確認することは難しいですね
近代の社会構造を客観視するには不特定多数の中でももっとも一般的だとされるモデルケースが認識されていないとなにが標準的であるのかという判断基準が持てないのではないかと思います

結局ややこしい語り口になってしまいました
高橋真梨子の桃色吐息を聴きたくなってきましたね
それではどうぞ
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND4549/index.htmlどうでしたか
本文の筋が断ち切れてしまいましたね
きれいと言われる時は短すぎないとドラマは生まれないんでしょうか?
ドラマなんて生まれなくてもいいですね
きれいだろうがきれいでなかろうがあなたの存在がすでにもうドラマチックですね
きれいと言われる時が短すぎる人がいるからこそ男性はなるべくいつまでもきれいでなければならないのです
男性がいつまでもきれいでありさえすれば、きれいと言われる時は短すぎるような人にこだわる必要はないということです
男性がきれいであれば、きれいと言われる時は短すぎる人達の存在価値が低下するということです
きれいな人に左右されることのない男性はきれいなんでしょうね

最近起きている事件は理解ができません
いまだに何が起こったのか理解することが難しいのです
異常が発生した子供の将来を断ち切るさだめにある人というのは子供自身なのでありましょうか?
異常が発生した子供を放置したらいずれ自爆するということでしょう
異常が発生した子供の将来を断ち切るさだめにある人は親そのものなのかもしれません
親がさじを投げたら社会全体がフォローにまわらなければならなくなります
いずれにせよ社会を傷つけるか親を傷つけるかいずれかの選択肢しかなくなってしまった状況になってしまったのでしょう
子供に逃げ道を与えてやれなかった環境を恨めしく思うしかありません
一様の価値観を押し付けてしまう様な環境では適応が不可能な人が異常反応を示すことは当然のことです
価値観の多様性を認めないと一様な価値観を押し付ける社会では確実に異常が発生します
こうすべきだとかこうあるべきという押し付けの結果、適応に難がある者が起こした事件というレアケースの形で惨事として社会を不安に落とし入れてしまいます

大勢の人間が同時に生活を共にしないといけない社会では窮屈なルールを構築しておかないと集団生活が効率的に営めません
効率性だけを重視した社会環境では窮屈さに耐え切れなくなる人種を大量に発生させてしまいます
社会は窮屈であるからこそ誰もが心休まる時間と空間というのを確保しておかなければならないと思います
全ての人が心身の健康を維持できていることこそが社会全体の健康の維持につながるのではないかと思います

もちろん窮屈なルールの環境にない人のことは問題外です
好き勝手させておいて問題行動を起こしたら起こしたで矯正するなりなんなりしないと窮屈なルールの環境にある不特定多数の人物の害となるでしょう

私は女性全体について記事をまとめることが苦手です
成人女性について一般的に言及できる男性などまったく存在しないのではないでしょうか?
男性が成人女性について語るということはとても難しいことなのです
それでも私はチャレンジャーなので語ります
男性を類型化することができます
それと同様に女性を類型化することもできます
人類始まって以来女性は最も重要な仕事を継続してきたからこそ今日の我々の存在そのものがあるわけです
なので人類が始まって以来の全ての女性に感謝します
女性の役割が重要すぎるということは、人類の未来は女性にかかっているわけです
女性次第で明るい未来ともお先真っ暗な未来ともなるわけです
女性は人類史上社会の動向に左右され続けてきたわけです
戦争があるたんび敗戦した地域の女性は略奪の対象だったわけです
人権がまったく無視された扱いを受けていたわけです
人権を確保した今日だからこそ、今度女性が人権を失うような社会混乱が発生した時に何が起こるのかを慎重に考えなくてはならないと思います
社会混乱が起きたら竹やり訓練が始まります
ばかばかしいと思いますか?
本当に起こるのだからしょうがありません
これに似た事が本当に起きるのです
竹やり訓練を強制させられていたかと思うとある日を境にまったく別のことをさせられるようになってしまうのです
社会混乱とはそういうものです
女性の将来を真剣に考えてくれる人は母親しかいません
母親が自分の娘に生きるということの意味を教えてくれなかった場合は娘は生きたしかばねのような人生を送ることになるかもしれないというほど母の役割が大きいということです
いい女性は本当の女性である母親からしか生まれにくいのです
母親が力不足であったと感じた女性が一番努力を要する人種であることは間違いありません
母親は最初っから最後まで偉大であるということが当然なのです
別に全てにおいて完璧である必要はないと思います
かんじんなところが欠けていないというのがいい女性であると思われます
かんじんなところとは自分の母親しか教えてくれないでしょう女性教師がカバーできますか?最悪でもおばあちゃんがしっかりしておかなければならないということです
女性が身内でもない女性に対して無償の愛を施すということが一番難しいことだと考えられます

女性こそ自身の中で優先順位が明確に識別できている存在はないと思われます
自分の息子は大事でしょうがあなたのだんなさんではないということです
息子に与えた愛情を額面通りに息子が母親に返してくると思ったら大間違いです
息子さんは与えられた愛情を次の世代へ継承してゆかなければならないので投資感覚で養育されてはかなわないということです
親の面倒を見てくれることを期待して養育したりなんかするといつかどこかで破綻をまねくということです
あなたの息子さんはいつまでも一人身でいられるわけではないということです
子供を持つお母さん方へ
子供は天からの預かり物です
たとえ血のつながりがあったとしても
あなたの所有物である時期などほんの一瞬もないということです
天からの大切な預かり物なので粗末に扱ってはいけないですね
大切に扱うことは当然だけれどもあなたに所有権はありません
将来の奥さんにも所有権はありません
天が喜ぶことを数多く肉体生活において実現することだけが期待されているのです
不特定多数の人を楽しませなければならないといっているのではありません
生きている間天を嘆かさせるようなことをどれだけしなかったかということが求められているのです
わかってもらえるでしょうか?
天を嘆かせるようなことを子供たちが行なわなかったという事実こそが母親が現世で優れた存在であったというたった一つの真実となるのです
無償の愛を注いで育てた子供たちが母親を裏切ることはありません
母親を裏切らないということの意味は天にそむく行いを間違いなくとらないということです
子供たちがさらに次世代の子供たちに愛を注いでいる姿こそが母親の喜びであるのではないかと思います
この継承がうまくいく子供がいる事実こそが天からの預かり物として子供を大切に育てた母親だけが持つ特権であると思います

よそのお家の子供が明らかに好ましくない習性をもっていて自分の子供に影響が出始めた時正しいことと正しくないことの区別をわかりやすく教えることができるのは母親ぐらいでしょう
いつの時代も好ましくない習性を持つ子供は存在してしまうものです
いずれ社会生活していく場において習性の似通った者どうしに分離されていく流れにあるのだから好ましくない習性を継続し続けた結果というのを教えていかなければならないでしょう

あいまいでしたがよその家の好ましくない習性を持つ子供というのは皮肉にも誰も指摘してくれる人というのがいないのが現実社会であるということです
好ましくない習性を矯正するのは当然両親の役目だから両親が機能していないということです
子供と接する時間の長い母親の力量が子供の習性として集団生活の中でじょじょに現れてくるということです
きれいと言われる時がみじかい母は存在のしようがないということです
本当の母親はいつまでもきれいということです
女性を分類することは簡単です
分類しいろいろな視点で語ることもできます
でも最終的にはほんものの母親だけがきれいな存在として最後まで周囲の人から認識されます
きれいと言われる時がみじかい人しか専門にできない男性もいればほんとうに最後まできれいな人しか専門にできない男性もいるということです
両方を兼ね備えた女性は恐ろしい存在であるともいえます
両方を相手している男性はたんにくるっています

やはりおもしろい話題にするには女性を分類した上である属性を持つ女性をターゲットに語るのがよいのかもしれません
ある属性を持つ女性というのはそれなりに希少性があっていろいろな人の興味をそそるものだとも思います

今日の女性論はここまでです

先週のタイトルで 長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安となる判定分岐点と判定基準が有する問題点 というのをまだ発表していませんね

こんなテーマを完成できる人物がいるのであればそういう人こそものすごい人物であるということができると思います

日本は一夫一婦制なのだからもっとも最たる信用付与のタイミングの1つが婚姻です次に日本は年功序列型雇用が基本であったから個人が法人と雇用する機会や法人間で契約する機会があげられます

個人に信用を付与するタイミングはやはり雇用時と婚姻時であると考えられます
これ以上の信用付与タイミングは訪れないでしょう

両親がこの2つのタイミングについてなんら情報を持ち合わせてない場合にはその両親の子供は婚姻と雇用の2点のタイミングを逃してしまうことになると思います

婚姻と雇用は生物界の競争を人間世界にあてはめたものです
両親がある程度社会的な競争での優位性を実現できていなかったら子供の存在はなかったでしょう
婚姻だけがすべてではない雇用だけがすべてではないともいえます
だがしかし婚姻不成立の事実にある熟年者は婚姻とは競争において勝ち取ったものであるという価値観を持っていない可能性があります
異性と雇用は早い者勝ちという事実を両親は子供に教えなければなりません
長期にわたる教育は雇用のための準備期間であるという人が多いのが事実です
雇用のために長期間の準備期間をとっていると考えてまちがいないでしょう

信用付与
双方の両親が介在しない恋愛は当事者以外他者の評価を気にしていないという点において簡素なものであると考えられます
しかしもっとも魅力的な信用付与の事実であるともいえます
双方の両親が介在した婚姻というのは家どうしの共通利害の調整が順調にいったということで家どうしの信用付与行為といえます
雇用については組織が1個人に対して信用を与えたということになります
40年近く同じ組織で行動を共にすることが前提であるので慎重に行なわれる信用付与行為であるといえます

金銭消費貸借契約時等でも信用付与行為が行なわれます
これこそ簡単なものはないと思われます
客観的な条件が揃っていたらすぐに信用を付与してしまいます
客観的な事実だけが求められているので合理的であるとはいえます
しかし問題点がないわけではないと思われます

前置きはこれぐらいでよいでしょうか

信用付与とは付与するほうも付与されるほうもややもすると一生涯にわたる複雑な関係の発生原因となるので日常生活においてありとあらゆる判断の中でも最も重大な判断能力を行使することを指します

てきとうに信用付与をした場合はその後発生するありとあらゆる事象に対しててきとうな処置をくだしていかなければなりません

もしかするてきとうに信用付与したほうが気楽でいいのではないかとも考えられますがいつまでもてきとうに扱わなければならなくなります
真剣みを帯びた扱いが難しくなるということです
真剣に信用付与をしたら最後まで真剣にとりくまなければならないということです
てきとうに扱えそうな気楽さはきこえがいいですが信用を付与した当事者の存在そのものがてきとうなそんざいとして最後までいいかげんにというかお粗末に扱われてしまうでしょう

信用付与を行なうということはたいしたことです
並大抵の生活環境にあっては重大な信用付与など行なうことはできないでしょう

結局信用付与を行なっている者が最も責任が重大である人物であるということがいえます

それではこのへんでお別れしたいと思います
どうも長い時間おつきあいいただきありがとうございました

社会保障制度費用負担を考えてください

2007-05-19 02:42:50 | B4
こんばんは
みなさんにできるだけ早くお伝えしておきたいことを記録しています。
なぜでしょうか?みなさんが一緒に考えてくれる時期が遅くなればなるほど1人1人の誰もが住みにくい環境になってしまうからです。

平等社会がもたらす影響とは何でしょうか?
全国一律の社会保障制度は固有の特性を持つ地域に何をもたらすでしょうか?
全国一律に社会保障制度費用の負担を適用した場合、地域にどのような効果が現れるでしょうか?

地域ごとに異なる平均所得が存在するという事実を考慮せずに全国一律に年金負担額が定まると各地域にどのような現象が発生するでしょうか?
同様に国民健康保険と介護保険の最低負担額を所得格差の実態を考慮せずに定めてしまうとどのような事態の発生が予想されるでしょうか?

社会保障制度費用負担額の設定は直接的に市民行動に影響を与えます。所得水準が全国平均より低い地域住民には重い負担となります。
社会保障制度費用負担責任が発生していることによって市民が選択する行動は類型化することができます。
社会保障制度費用負担を実現するために所得の最大化行動をとることが考えられます。
社会保障制度費用負担の継続を実現した上に日常生活費用負担の継続に支障が生じない生活環境を選択するということです。
所得額が低水準である地域から比較的安定した所得を確保できる地域へ移動することにより日常生活の安定を実現するでしょう。
極端に所得額が低水準である地域の住民が所得の最大化行動を選択しなかった場合、社会保障制度費用負担を回避する行動が考えられます。年金や健康保険料を納めないということです。
年金や健康保険料の負担が困難である住民は差し押さえることが可能な資産も保有していないことが考えられます。
無資産や無資産状態に近い住民に対する社会保障制度費用負担の圧力はサボタージュ的な効果をもたらすことが考えられます。
住民の費用負担能力を上回る社会保障制度が運用されていると所得最大化を目指す行動とは正反対の所得最小化行動をとることが考えられます。
無資産の者は所得最大化と所得最少化のいずれかを選択する行動をとると考えられます。
低水準所得地域の社会保障制度費用負担が困難である無資産状態の住民ほとんどが生活保護支援に依存する傾向に陥ると、地域全体の活力が低下するだけでなく他地域の社会保障制度費用負担者全体からの理解を得ることが不可能となります。
地域所得水準を重視しない全国一律の社会保障制度費用負担の圧力によって無資産者は生活保護費から住居費や健康保険費等を捻出しようとする最終状況に至ってしまう傾向にあります。

1人の住民が生活保護受給生活を選択したという事実の発生は1人の住民の余命年数に応じた費用が発生したということになります。
半世紀近く生存が見込まれる生活保護支給住民の発生ほど地域社会にとっての脅威はないと考えられるでしょう。
持続可能な地域の自立化のためにも全国一律の社会保障費用負担の見直しは効果的であると考えられます。
半世紀期間における物価上昇率を考慮したとしても個人が納付した額以上の年金を受給可能であるというしくみそのものに無理があると考えられます。
インフレを考慮したとしても納付額を極端に上回る支給は最初から無理な理論であると考えられます。
納付した合計額だけが支給が可能である総合額であり制度管理者の最低限の責任でもあるという発想は制度改革において無益ではないと考えます。

家計においては年間所得から社会保障制度費用を差し引いた額が世帯の生活力であると考えられます。
最低限度の生活資金を確保できる世帯収入を予測することが可能だと思われます。
社会保障制度費用負担額は家計に最大の影響を与えるものだと考えられます。
身近に存在する社会保障費を納付していない20代の人に対して私たちはどういったアプローチが可能でしょうか。
時給600円代の20代の人に対して社会保障費の納付を迫った場合社会全体にどういう効果がもたらされるでしょうか?
社会保障費と地代等(賃貸料)を負担した場合どれぐらいの期間生存は可能でしょうか?
はたしてこの20代は人間社会に生を受けているといえるのでしょうか?
なぜ20代の人は時給600円台の生活を選択してしまったのでしょうか?

社会全体が最初から最低賃金法で規定されている水準の賃金額に設定されがちな労働の従事者に対しては保護する必要性を認めようとしない流れにあります。
社会全体が低賃金労働者に対しては終身的に低賃金に甘んじることを期待しているということです。
より多くの時間をかけて議論を継続していかなければならない属性にある住民というのが生活保護支給対象者と低賃金労働者であると考えられます。
これらの住民が最も現在運用されている社会保障制度の影響を直接受けやすい対象者であると考えられます。

単純労働は誰の仕事かという乱暴な議論はできませんので生活保護受給者と低賃金労働者に対して第三者が影響を与えるべきか否かという議論から丁寧になされていくべきだと考えます。この議論は差し迫った問題であるので活発になされるべきだと考えます。

社会問題は社会構造の改革から始めないと解決には至らないというのは正しい考え方です。戦後半世紀以上経ったわけですから誰もが納得できる第三者視点でみた社会構造というものが共通認識として理解されなければならない時期がもうすでに訪れているものだと考えられます。

今日のまとめ

1人でも多くの人が議論に参加すべき問題点が多数発生している。
低所得地域住民に対する社会保障制度費用負担額の改善が求められている。(費用負担能力に応じた負担額の設定)
社会保障費の負担増により住民は移動先で所得確保を行なう。(過疎の発生要因)
生活保護受給者の発生は地域にとって最大の脅威となる。(固定費の増加)
生涯で納付した額以上の年金支給を期待することは誤っていると考えたほうが無難である。(制度維持そのものが困難)
低賃金労働者はどれぐらいの期間生活を維持することができるのかということについて多くの人の議論が望まれる。
低賃金労働者の生活が破綻したら何が発生するのかを議論することも望まれる。
生活保護者と低賃金労働者に対して社会はどのような影響を与えていくべきかの議論を要する。
社会構造を客観視し問題の発生原因を確認し問題の解決にあたって障害となっている社会のしくみそのものを改善してゆかなければならない。

格差を解消するということは階層の平坦化を意味します。エネルギーの移動が発生するということです。
不安定な属性のものの安定を安定している属性のものの不安定化によってバランスを保つということです。
担税力に応じた税金負担が実現されるということです。
所得階層に応じた安定的な生活を直接実現することは望まれないということです。
平等の意味が今一度問われる時代になっていると考えられます。

生活保護者のためにより多くの税金を負担させられている人や法人は不平等であると考えます。
低所得者の社会施策のためにより多くの税金を負担させられている人や法人は不平等であると考えます。

ですので水準以上の税金負担を行なっている所得者が地方に対し理解を示す可能性は極端に低いと考えられます。
社会構造の改革により全体の安定化が望まれています。
社会の一部に不安定要因が存在しているほうが損失が大きくなると考えられるからです。
社会的コスト(社会的費用)を増加させている人物が存在する限り第三者が社会的コストを負担しなければならないからです。
教育の充実により社会費用を増加させる人の発生を抑制しなければならないのです。
社会的コストを発生させている人物やそういった人物の発生に関係している人物の定義から始めないといけません。

制度というものが存在すれば必ず悪用者が発生するわけだから社会制度の悪用者が誰であるのか誰もが理解できるようでなければなりません。
年金や健康保険や介護保険という制度の枠組みで縛ったしくみが存在する以上悪用者が出て当然です。
制度というものほど不安定なものはないということです。
社会保障制度は悪用者以外のために存在しているという原点に返って悪用者を発見し管理を行なわなければならないと考えます。

社会保障制度の改善にはより多くの人の参加が求められています。
誰に働きかけたら社会保障制度が改善するのかという確認作業が必要だと考えます。

もう少し話題を限定して記述しないといけないと思います。
社会保障制度は市民生活に最も影響を及ぼしているということがまず理解されなければなりません。

奄美では他地域並に社会保障費用負担を実現している住民の割合が極端に低いということです。
改善していく上で障壁となっている要因を解明し撤廃していかなければならないでしょう。
それは社会構造そのものであるという可能性が非常に高いわけです。
低所得者のために高所得者に対して理解を求めていかなければならないと思いますか?
社会コストを増加させている住民に対して依存からの脱却を働きかけ続けていかなければならないと思いますか?

今日の内容はあまりにも面白味にかけてはいますが面白いことをやりたい人は面白くないこともやらなければならないと思います。
誰もが手をつけたくない問題であるとも判っています。このような問題ほど放置され気味で時間の経過に従って極端に悪化してゆくものだと考えます。
事態が悪化してから着手することの不経済性も理解されなければならないことだと考えます。
遅ければ遅くなるだけ全ての人の税金負担が増加するだけのことなんです。

職業選択の自由がもたらす社会身分制度の変化

2007-05-17 17:02:25 | 4F
きゅやうがみしょーらん
を英語発音表記するとぐっどあふたぬーんとなります。

こんにちは。今日のタイトルもこれまたいったいなんなのでありましょうか?
誰かかわりに書いてください。
法のもとに平等ということになっているのだから平等なんでしょう。
それぞれの人間を観察するとして個体差を測定したならば責任分担の程度に極端の開き具合が生じているという事実が認められるということです。
責任者という立場が存在して定められた範囲内での管理権限を認められているんだから個々の人間が責任の重さは等しいとはいえず責任も幅も多種多様であって当然ということでしょう。

責任が重いと認められる人を敬うことに問題はなにもないでしょうと考えられます。
責任を実感することなく生活を継続することができている人物が多い組織ほど責任者への負担が偏っているものだと考えられます。

職業によって生命を扱ったり財産を扱ったり安全を扱ったりと様々な役割分担が実現されているわけだからミスが許されない職務ほど責任が重いといえるでしょう。
身分も制度もあったもんじゃありません。個人がもっとも長期にわたり継続が可能な分野に携わることを実現できているならば身分などという発想は浮かびようがないと思います。
身分を要求してくるような人物が存在しているのだとすれば、そのような人物こそが社会身分制度の真っ只中に存在していると見て間違いないでしょう。
一般市民にとって身分識別などというものは目障りなものであって当然だという気がいたします

政令指定都市クラスの人口の集団の中で意思表示を行なう必要性が生じた場合の理論的な手続きを研究することは非常に有意義なことであると考えます。
人口が30万人ほどいる場合の代表者の選定作業手続きというものはあらゆる規模の集団の意思決定手続きに応用されるのではないかと考えます。
30万人も人口が存在していれば個人の意思を代表者に伝えることは並大抵の努力を重ねても実現困難であると考えられます。
30万人の株主が存在している会社の株主総会決議のようなものです。会社の場合は保有株式数によって個人の発言権の重みが異なってくるわけだから創業者は過半数の株式の保有を維持することができていたのなら創業者主導の意思決定が実現できるでしょう。
人口が30万人である地域の場合は1人1人が持つ権利がまったく平等になっているわけだから、意思決定機関の階層化が求められると考えます。ピラミッド型の意思決定システムです。最下層の位置から全体の意思決定を行なう最高層位置の議決機関に対しダイレクトに意思表示を行なうことは非効率であるでしょう。30万人が一斉にアクセスしたらパンクして当然です。ということは中間階層の意思決定機関の充実と意思の橋渡しを行なう引継ぎのルートが確保されていなければならないでしょう。政令指定都市クラスの住民が意思決定機関に対し無関心に陥ってしまう理由は意思の引継ぎが非常に煩雑であると感じ手続き自体を放棄してしまうからでしょう。
中間階層の意思決定機関に携わるメンバーの工夫が求められているのだと考えます。最終的な意思決定を行なう決議機関へ案件を引き継ぐ中間階層組織のメンバーの人選が最も重要であると考えられます。
中間階層の機能が充実されていたのならば30万の人全てが問い合わせてくる項目について的確な回答を出すことができるのではないかと考えますし要望が出た場合も適切に項目を類型化して具体的に検討してゆく必要があるのかどうかの判断も行なうであろうと考えられます。
もっとも期待されない状況というのは30万の人全てが問い合わせや要望を出さなくなった社会であると考えます。
一般の人が不感症に陥っている状態であるといえます。中階層以上の決議機関だけが機能している状態は専制の状態であるといえます。一部の人による独裁状態に近いと考えられます。
中間階層へ意思を伝えるのであれば便宜上の最下層である個々の世界で属性が近似した者同士でのグループ活動が活発になされることが効果的であると考えます。グループ活動を通じてグループ内に共通の疑問点などが生じなければ所属している30万人の集団運営はおおむね良好であるということでしょう。不満があったら各グループから似たような声が上がってきて当然でしょう。ということで最初から最高決議機関へのアクセスすることは合理的でないということです。自己の所属している業界で既存の規制などが不当な障壁となっていると感じた時に規制の緩和の要望を上げていく行動を大手企業は行っているでしょう。グループ活動とは生涯学習講座のようなものから大規模な事業者の活動まで様々なものが考えられるでしょう。

今一度私たちはいったい何が不満であるのかということの項目についてまとめてみることが重要なのでしょう。
不満に思っていることを箇条書きにして100項目ぐらい書いてみましょう。それぐらい書いてみたらその項目の中に個人の本音がでてくるものだと思います。いたずらに暇つぶし感覚で組織の権威を汚すことはよくないでしょう。信用失墜行為を発生させてしまってきている人物を特定することは有意義なことかもしれません。信用失墜行為の定義から始めなければならないのかもしれません。不満を持っている人というのは取引成立さえ実現すれば円満になることが可能なのでしょうか?

今日の話題はまとまりがありません。各階層の役割分担が忠実に実行されていれば何も問題はないと思われます。
職業選択の自由というのは一般論にはできません。同一職種を2-30年継続している人だけが職業選択の自由を持つものであるのかもしれません。
一応理想と考えられるのは現役引退後からが腕の見せ所だということかもしれません。最も的確な指示を与えられることが考えられますが指示を与えたら若い人が考えることを苦手としてしまいます。少しでも物事を考える若い人が増えたほうがよいのかもしれません。

それでは今日もありがとうございました。

今週のサブタイトルに手をつけてみようかと思います。

交流相手として除外度が高い人種との間合いの取り方

2007-05-16 22:11:33 | B4
あらためてみなさんこんばんは

いったいこのテーマはなんなんでありましょうか?日常生活において今回のテーマに見られるような表記がなされるようなことが起こりうるのでしょうか?
あらかじめ設定してしまったものは仕方ありませんから続行します。

人口が1億2000万人もいれば全員と親しくすることもないでしょう。というところからはじめます。あの世からお迎えがくるまでの間に発生する対人関係でなおかつ密度をなるべく薄くしておきたいという人種が身近に現れたという場面設定でよろしいでしょうか?

細心の注意を払わないと実害が及ぶであろうと予測される人物との付き合い方です。何かを強要してくる人物すべてがあてはまるのではないのでしょうか?
公正な視点でここ数十年に起きた事件を例に考察すると、最も不当利得を得たであろうと考えられる人物を定義したいと思います。

不況の発生後に責任をとらなかった人物が真っ先に挙げられます。債務を放棄して責任追及を逃れた人物の存在は何を招いたでしょうか?不良債権の発生ですね。債務者の身柄を押さえることができなかったということは財産を管理していた機関は1円の価値も持たない債権を保有していたということです。
大手金融機関が破綻したら国そのものが破綻します。そういうわけで湯水のように公的資金の注入が実行されました。その額3年間にわたり70兆円近くで間違いないでしょうか?この額だけがあれば鹿児島県1県の年間財政を100年分まかなうことができます。

債務者が責任さえとっていれば税金をもっと有効活用することができたというわけです。
公的資金は金融機関がその後返済したわけですから金融機関は一応面目がたったと言えるでしょう。
問題は債権放棄を成功させることができた組織であるといえるでしょう。
この20年間で多額の債権放棄を成功させることができた人や法人というのが最も悪であるといえるでしょう。
安易に自己破産した人や法人の責任者は今後とも永遠に監視していかなければいづれまた債務を放棄する可能性があるといえるでしょう。
債務から自由になる志向にある人物が本日のテーマである除外度が高い人物であるといたします。

まじめに仕事をすればするほど踏み倒しを平然と行なう人物の存在がうっとおしくてしょうがないでしょうよというお話でありますね。
正直者が馬鹿をみないようにするためには債務を踏み倒す傾向にある人物を抽出しておかなければならないということです。

今日もありがとうございました。少しでもお役に立てているでしょうか?記述内容で誤った事実の存在などが確認されましたら遠慮なくご連絡くださいますようよろしくお願いいたします。

それではおやすみなさい。あと1本ほど記事をまとめるかもしれません。

会員制クラブ

2007-05-16 20:24:40 | B4
こんばんは 私はいったい誰なんでしょうか?

今晩もやってまいりました。記事のカテゴライズのお時間です。
私はこれまで1個人としてさんざん各分野の記事を発行してきたわけです。
ここへきて閲覧が希望される対象者別に個人として発言している記事と匿名の立場をとり発言している記事とに分割してゆく作業が望ましいという結論に達しました。
個人として発言できるテーマは限られているということです。自己規制を行なわなかった場合に発生が予想される閲覧者への影響を考慮しなくてはならなくなったと言えます。
私という1個人が持つ属性は男という性に始まり、日本人という属性に行き着いてしまうわけで、男という視点からだけで発言することや日本人という視点だけで発言することも適当でないという分野があまりにも多すぎるということです。
プライベートな発言を行なった場合、私は男性であるので女性の閲覧者が不快感を禁じえない事態が生じるということです。同様に私は日本人であるので外国人の閲覧者が不快感を禁じえない事態が生じるということです。私という1個人のプライベートな発言のために男性という属性すべてがネガティブな印象を受けてしまうことは望ましくないことだということです。同様に日本人という属性すべてがネガティブな印象を受けてしまうことは望ましくないということです。
奄美についてもダイレクトに持論を展開することはネイティブな市民がネガティブな印象を受けることになるかもしれないのでよろしくないであろうということです。
そこで、ネイティブな市民と利害関係の発生が起こり得ない第三者の言及というのが最も効果が高い貴重な診断結果となりうるでしょう。

利害関係が発生しえない第三者評価機関の存在価値が今後ますます重要視されてくる時代になると思われます。
日常市民生活における第三者機関の活用といえばトラブル発生時に各種公的機関の利用が真っ先に思い浮かびます。
警察や裁判所は間違いなく客観的な事実をもとに公正な判断を下してくれるでしょう。
落とし穴として裁判所を活用する人種というのは概して強い対場にある者だけが事実上効率的に活用しているという現実があります。
あらかじめ高い勝算が予想される強い立場の人間が一方的に活用してしまうであろうということです。
これでは弱い立場にある一般の人からみれば強い立場にある者が強力な権限を行使する組織と一体になって強い立場にある者の意思表示を認めるよう強制してきているようにしか見えないでしょう。

話がそれました。公的な各種第三者機関というのは責任の範囲が明確であるため事件が発生しない限り余計な監視は行なっていないということです。
国内のいたるところに市民生活を監督している機関が存在するわけですが、市民生活を監督している機関を監視している機関が存在していないように見受けられるというのが一般市民の本音であるといえます。
行政機関を監視する機関が機能していないという評価をされたら上位機関が関与してくることは時間の問題であるということです。
行政機関の各種承認を行なう機関の機能充実が求められているということです。予算の編成や執行に伴なって発生した不信感を払拭する役目は議会にあるということです。
議会に監査能力がなかったのではないのかという疑問を一般市民の誰もが感じているということで間違いないですね。

一方的に議会の構成員を責めるのもよくないですね。議員を骨抜き同然に利用して実利を得てきた人種の定義から始めないといけないということです。
議員を取巻く集団の行動から観察を始めないといけないですね。一部の特定受益者の生活の安定のために議員は利用されてきたという視点は有効であるとしてもよろしいですね。

こういう話が得意である機関に後述は委ねたいと思います。

冒頭の話題に戻ります。記事の分割をしなければならないと思っています。個人名をさらして面白おかしく表現するのにも限度があるということです。
今後分割して記事を発行する際に匿名で取り組む分野においては鹿児島や奄美といった地域が特定されようのない記事で構成していこうと思います。
キーワード検索の上でも地域属性が解明されることがないような構成にしようと思います。

ブログごとに特定のアイデンティティーを設定し個人とは別個の立場をとる手法が考えられるためテーマごとに一貫性のある語り手の存在が期待されるのではないかと考えます。
私がこれまで記述してきた記事はどうみてもある特定年代女性を閲覧対象とするには不向きな血なまぐさい内容に偏っていたのではないかと感じます。
出版されている雑誌を見ても購読対象者がある程度設定されているわけだから男性閲覧者に向くブログ、女性閲覧者に向くブログ、外国人閲覧者に向くブログとあらかじめ予定した選定ターゲットにあわせたブログを構築していきたいと考えます。
歴史は女性には不向き、育児は男性には不向き、周辺国歴史観は外国人閲覧者には不向きといったようにそれぞれの記事が長短あわせもつものであると考えます。
万民受けするブログが存在するのであれば何度でも拝見してみたいものだと思います。
スーパーマンではないのだから万民受けは困難なはずであると考えます。

特定業界に対してストレスをかけてほしいというような要望があればその都度投下物の選択を行い不発弾のようなものを落下させることもそう悪いことではないような気がいたします。

今度こそ本日のテーマに参ります。それではみなさんごきげんよう。今後ともよろしくお願いいたします。

特定社会背景において生活している者の交流相手である人種の選択

2007-05-16 16:59:23 | 4F
みなさんこんにちは
先日のテーマをまだ消化しておりませんでしたから超特急で仕上げたいと思います。

私たちは産まれた時すでに両親が存在しているわけです。
両親が保護者である社会に出るまでの期間においては両親が存在している社会背景の影響を強く受け続けるということです。
父や母が生活の中心として身を寄せている集団の潜在能力が子供が将来実現可能とする潜在能力の幅の初期設定値として影響してくるというわけです。
誰もが誰も平等な被保護時代を送れるというわけではないということです。
最初から赤ちゃんポストを利用する人種が存在するというわけです。
あらゆる選択肢を考慮することなしに児童福祉施設へ一任する人種が存在するというわけです。
社会は強制力を持つ処罰手段を構築することができていないために、女性の受胎後になんら興味関心を示そうとしない責任逃れを実現しようとする性があとを絶たないというわけです。
責任逃れを実現してしまった男性が発生させた生というものは出産直前の段階からもうすでに取り返しのつかないほど根の深いハンデを背負わされているということになります。
受胎させた男性の有する責任遂行意思のレベルが社会的身分そのものであるとします。
受胎させた生に社会的身分を付与するのは男性の役割であると考えます。
男性の社会的身分は固定されていると考えることが妥当であるため、父親の社会的な属性が子供の社会的身分の初期値として反映されることが考えられます。
各種学校の選択とは遠まわしに表現すると社会的身分の選択行為であるといえます。
人口が集中している都市部においては両親がもつ社会的身分の総合値において児童の生活環境が設定されているといえます。
都市部ではあからさまに児童が所属している社会的階層がはっきりしているのです。
都市部と比較した地方の特色はありとあらゆる社会的属性を有する両親の子供が公教育という場において一元管理されていることが特徴としてあげられます。
都市部と異なり極端に思想信条の異なる両親の子供が時空を共にするわけです。
学生時期の制服着用が象徴するものは上辺だけの平等意識の付与にあると異国の人はみるでしょう。
制服着用時期が終了した時になってはじめて両親が有する社会的身分の意識化が進むことが考えられるため、一見平等を装っている学生時期において関係していた社会の関係者に疑問がよせられるものであると考えます。
両親が有する社会性の枠組みに縛られている世界から離脱することをチャレンジとよんでも構わないものだと思います。
両親が有する社会的身分より高度な次元へステップアップしてゆくことを両親は望んでいるものであると考えます。

自己の有する専門分野もしくは専門分野の周囲に該当すると考えられる者との交流が妥当であるという結論にいたしたいと思います。
専門外の人物との交流は利害関係が発生しない限りにおいては良好な交友関係が保てるものだとも考えます。
圧迫感や威圧感がなければどの分野の人物とでも交流は可能であると思います。
交流にあたって相手のどのような言動が不愉快であるという項目の調査は有意義なものになると考えます。
現時点で継続しているおつきあいを丁寧にしてゆくだけで何も問題はないと考えます。
不特定多数の女性に受胎させて消息を絶つタイプの人種を監視することは有意義であるといえますしつかず離れずの距離を保って責任の所在を気づかせていくべきであるとも考えます。

それでは本日のテーマに移ります。

ちゅーかみんこく

2007-05-16 15:18:17 | B6
今日は中華民国の歴史についてみなさんに興味を持ってもらいたいと思います。

1945年昭和20年8月15日の正午を境に直前までは周辺国経営に熱心であった全ての人々が試行錯誤することを辞めてしまいました。
全ての人々が興味関心の対象を見失った瞬間であったといえます。
曲がりなりにも他地域の市民生活に強制力を伴なった影響をぎりぎりまで与えていたはずであります。
ある時点を境にまったく無関心の立場を維持するという思考態度の選択をした時であったといえます。
横から手出し口出しするだけしておいてある時を境に完全撤退する集団もめずらしいものであるといえます。
少しでもよい状態へ導こうという気持ちがあったのならば、手出し口出しを終えてからも関係があった人々のその後の歴史を客観的な視点で見つめ続けていく姿勢が求められるでしょう。
急に来て急に去っていきその後まったく興味関心を示そうとしない集団の人々とはいつまでたっても友好関係を構築していくことは難しいと思います。
私たちはもう少し周辺の人々に興味を持つ姿勢が求められていると思いますし、興味を持たれて喜ばない人々もそういるものではないと思います。
どの地域の人々も他地域の人々から関心を持たれることはそう悪いことばかりではないと考えていると思います。

日本人が周辺国に対して極端に興味関心を失った直後からの数10年間にアジアに何が起こっていたのかを客観的な歴史事実として認識してゆく作業が求められていると思います。
周辺国以外の国がどのような行動をとりアジアに対してどのような影響を与えてきたのかということも中立な立場で正確に記録してゆく必要があると思います。
本国の人々が研究テーマとする内容に相応しくないのであれば客観的視点を維持できるアジア以外の第三者的立場の国の学術研究機関に歴史事実の調査の委託を行なうことが最も合理的であると考えます。
客観的な評価というのはどの分野においても利害関係を伴なわない第三者の視点にかなうものはないと考えます。

それではおとなり台湾の基本情報を紹介します。中華民国という国名があまり流通していないように感じるのはなぜでしょう。

しばらくお待ちください。