東日本大震災から7ヶ月。
被災地でボランティア活動をしている方からの要望があり、有志2名の計3名(設計士2名、設備技師1名)で石巻、女川へ。
当初は石巻市内の津波で半壊住宅となってしまったものを、どうにか住めるようにアドバイスできないか?とのことで、その調査兼相談で行きました。
訪れた当日、ちょうど現地の方々とボランティアの方々が東北名物の芋煮会をやっているというので、恐縮しながらも参加。
その後、実際に1階を津波でやられてしまった住宅を2軒ほど調査。
同時にさまざまなお話も伺う事ができました。
世界各国からは今もボランティアが多く、住宅の改修工事も彼らが中心となって進んでいるようです。
ただ、どうしても行政の動きが鈍く、すべてが後手後手に。
さらには自らの手で住宅を改修しようとしている方達へも今後の都市計画でどうなるかわからないから修復するのは待ってるように・・・といったことが。
直接的な言葉ではないにしても、遠回しにそのような動きがあり、被災者の方々もなかなか踏ん切りが付かない様子。
我々が見たところ、ボランティアの方々の頑張りもあって、多少のお金で住める家にすることはできそうなのですが・・・。
その後は実際に仮設住宅で住んでる方のお宅を訪問。
報道でよく見る断熱工事前の仮設住宅でした。
鉄骨の柱などが室内にむき出しで、外壁も薄く、シングルサッシ。
東北で暮らすには寒いですが、この断熱工事は現在急ピッチで進められており、町中でもチラホラ見かけることができました。
陽が落ちかけたところでボランティアの方から、被害のひどかった女川を案内してもらうことに。
石巻から車で30分ほど。
町には灯りは無く、闇。
車のライトだけがまばらに点在し、そのライトに映し出される光景は現実のものとは思えないものでした。
翌日もまずは女川を訪れ、20mを超える津波があった町を視察。
建物が玩具の家のように横倒しになり、町全体の地盤が下がったのか、漁港付近は海水が堤防をこえてる箇所も多かったです。
住宅街であったであろう場所には基礎だけが残り、各区画の中には花があったり仏像が置いてあったり。
中には子供の遊び道具が綺麗に並べてあったり・・・いかに多くの方がこの地で亡くなったのか、まざまざと思い知らされました。
その後は以前勤めていた事務所で設計監理したサンファン館へ。
ここも海岸沿いに建つ展示棟は壊滅状態です。
ただ、幸いなことにここで亡くなった方はいないとのこと。
社会人になったばかりの頃、サンファン館の現場でわけもわからず先輩の手伝いをし、その後も取材があるとよく訪れていた建築。
その当時の華やかな雰囲気は今は無く。
自分が設計に携わった建築のここまで変わり果てた姿を見たのは初めての経験です。
今回の視察、報道されていない現実をまざまざと見せられ、多くの方からのお話を伺い、様々な情報を得ることができました。
では次に何をするか?
帰りの道中、同行した仲間とも多くの議論を交わしましたが、まだ結論は出ていません。
ただ、今やるべき事、自分たちの職能を活かした支援活動、これらを中心に考え、早急に今後の動きをまとめ、次につなげて行こうと思います。
今後の動きはまたこのブログにて報告させていただきます。
また、今回の我々の動きに対して支援して下さった方々へ厚く御礼を申し上げます。
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