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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「日本会議とは何か」(上杉 聡 著)を読んでみよう

2016年06月20日 | 日記

 このRITERAの記事を見て、上杉 聡さんが書いた「日本会議とは何か」を読んでみようと思いました。(画像をクリックすると、記事へ移動します。)

 上杉さんの本は、「これでわかった!の歴史」と「師がわかる」を読みました。新鮮な視点で、研究者として中立性が感じられ、煽るような文章でもないので、たいへん読みやすかったです。

 最近、「日本会議」という存在があちらこちらで見られるようになり、何だか宗教が絡んでるようだということらしいのですが、「宗教」というと、私も関わりがあるので、興味を持っていました。何か、良い本はないかと思っていましたが、変なプロモーション本を読まされても仕方ないと思っていたとき、上杉さんが書かれた本があるということを知りました。

 RITERAの記事を読むと、上杉さんは、実はもうずっと「日本会議」のことを研究されていたようで、さすが先賢の目があるなぁと思い、買って読んで勉強してみたいと思います。 

 最近、「反知性主義」という言葉も耳にするようになりました。人は、色々なことを自分の頭で考えて、知性とか理性をもって行動するものですが、ひとたび宗教が入ってくると、とたんに知性や理性的である人でも、理性や理性や理屈抜きになってしまうことがあるように感じています。

 政治や思想に影響力を及ぼさない「個人」の範囲なら、どれだけ反知性的であっても自由なのですが、政治や思想に宗教的な要素が入り、知性や理性や理屈抜きになってしまうと大変です。

 今の時代、誰もが皆「日本会議とは何か」(上杉 聡)を読んで、知っておく必要があるように思います。

 


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父の日

2016年06月20日 | 日記

 昨日19日(日)は、「父の日」でした。父権制社会というほどでもないにしても、男性中心的な社会風潮の中で、「母の日」は重んじなければならない行事だと思います。なぜならば、女性の権利や地位、その重要制を認識することは、大切であると考えるからです。

 もとより、父権制社会であっても男性中心的な社会風潮であっても、男性が女性も認めるような立派な働きをするならまだマシだと思うのですが・・・。往々にして、おだてられて育ったりすると、どうしようもなくなってしまうのが相場というものではないでしょうか。

 それはそうと、昨日の父の日に、子どもがサボテンをプレゼントしてくれました。「金小町」という種類のようです。綺麗な花を咲かせるみたいで、しぼんだ花がついていました。

 出会いが与えられ、結婚もできて、子どもにも恵まれて、父の日にプレゼントしてもらい、何と幸せなのでしょうか。世の男性が、皆が皆、このような幸せを味わうのではないと思ったとき、素直に感謝したいと思います。

 

 


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明日は礼拝です

2016年06月18日 | 礼拝のご案内

 明日6月19日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時15分から讃美歌練習、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「弱い者が召されていた」、讃美歌は「主が受け入れてくださるから」(今月の歌)、「この世はみな」、「神はそのひとり子を」です。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 教会員宅のツバメは、ヘビの被害に遭ったそうです。悲しいです。それで、教会のツバメがいなくなってしまったことを伝えたら、まだこれから子育てをするとのことで、カラスよけのネットを外しておいた方が良いのでは、というアドバイスを受けましたので、どうせツバメもいないので、ネットは外すことにします。巣の土台として作った板も外したら良いとのことですが、あれはそのままにしておくことにします。ただ、ちょっとサイズが大きいようなので、板を切って小さめに作り直したいと思います。

 明日は、神戸多聞教会にて、近藤 誠先生の就任式があります。教会の皆さんと共に歩む、良き出発の記念となりますようにお祈りいたします。

 


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「福音を告げ知らせていた」

2016年06月17日 | 聖書のお話

「福音を告げ知らせていた」 コリントの信徒への手紙一 1章10~17節

 「福音を宣べ伝える」ということは、イエスさんの生き方とか、イエスさんが教えられたことを多くの人々に伝えることです。けれども、コリントの教会では、様々な問題のために一致団結することができず、「福音を宣べ伝える」に至っていない状況にあったのではないでしょうか。そのために、パウロは厳しい口調で「勧告」しなければなりませんでした。様々な問題とは、派閥の問題とか、バプテスマ(洗礼)の問題であったことを伺い知ることができます。

 派閥の問題とは、「私はパウロに」、「私はアポロに」、「私はケファに」というように、いくつかの派閥ができることによって、一致団結できなかったようです。また、バプテスマ(洗礼)の問題とは、バプテスマを授けた人が有名かどうかを問題にして、一種の権威付けがなされ、一致団結できなかったようです。派閥や権威付けとは、人の集まりにありがちなことのように思います。

 「福音を宣べ伝える」ということ、それは目的です。派閥やバプテスマ(洗礼)は、「福音を宣べ伝える」ための手段です。けれども、しばしば派閥を作ることが目的となったり、バプテスマ(洗礼)が目的となったりすることがあります。私たちもまた、目的と手段が逆転してしまったなら、福音を告げ知らせるどころの話ではなくなってしまうのではないでしょうか。パウロの「勧告」は、私たちに対する勧告でもあると受け止めたいと思います。

 


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地震

2016年06月17日 | 日記

 函館の方で大きな地震がありましたが、その後、ニュースで大きな被害が出たという報道がありません。大きな揺れの割には、被害が少なかったようで何よりです。

 ところで、時々見るサイトですが、地震のリスクを示しています。前日だったと思いますが、そのサイトを見て、函館あたりが高リスクになっていて、その翌日に大きな地震が来たので驚きました。予想は予想ですので、参考程度に心備えをというつもりでしたが、ドンピシャでした。(画像をクリックすると、サイトへ移動します。)

 それで、鳥取とか浜坂の方面も比較的高リスクとのことなので、ちょっと怖いですが、心備だけはしておきたいと思っています。油断し、慢心していると、その反動は大きいです。備えあれば憂いなしです。それでも、驚くとは思いますが・・・。

 

 


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