物置代わりにしていた古い家を解体するために物を整理していたら、1970年代半ば過ぎ、学生時代に購入した駅弁の「掛紙」が二十数種類出てきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
「御弁当」は、広島駅で現在も駅弁の製造・販売している広島駅弁当の駅弁です。
1976年(昭和51年)7月1日という日付から、夏休みの帰省で東海道新幹線車内販売で購入したものと思われます。
前年の1975(昭和50年)3月10日の山陽新幹線岡山駅・博多駅間延伸に合わせ、その前年の1974(昭和49年)から、東海道新幹線開業以来ビュフェしかなかった新幹線で食堂車の営業が始まりました。
一番安いのがサンドウィッチで450円、次が特製カレーの500円。定食になると1,000円以上と、当時の学生には高嶺の花でした。
そこで、駅弁ということになるのですが、所謂幕の内弁当がまだ主流の時代です。
1976年(昭和51年)7月1日という日付から、夏休みの帰省で東海道新幹線車内販売で購入したものと思われます。
前年の1975(昭和50年)3月10日の山陽新幹線岡山駅・博多駅間延伸に合わせ、その前年の1974(昭和49年)から、東海道新幹線開業以来ビュフェしかなかった新幹線で食堂車の営業が始まりました。
一番安いのがサンドウィッチで450円、次が特製カレーの500円。定食になると1,000円以上と、当時の学生には高嶺の花でした。
そこで、駅弁ということになるのですが、所謂幕の内弁当がまだ主流の時代です。
この日はダイヤ改正が行われた日で、東海道新幹線はそれまでの「ひかり」「こだま」の設定枠が毎時4本ずつから5本ずつとなり、東京駅発広島行「ひかり」が毎時16分にパターン化されました。
掛紙のはそれをお祝いするシールが貼られていました。
現在この「御弁当」は、販売されていません。
掛紙のはそれをお祝いするシールが貼られていました。
現在この「御弁当」は、販売されていません。