-----3月13日掲載の「神谷町で地震に遭う」より続く-----
関東の電車はすべてストップしていました。幸いカフェにいたので、そのまま友人と過ごしているうち、近くのテーブルの人達と自然に話をする雰囲気が生まれました。息子と連絡し、運転再開したら江古田にある息子宅に行くことを決める。
その後2回、神谷町駅改札口に出向きましたが「2時間後の運転再開を目指して安全点検中」と答えるばかり。
カフェの左隣の年輩の男性二人は早めに店を出ました。その席に座った女性は電話が通じ、迎えに来る車で武蔵小杉の自宅に帰ることになりました。会社説明会に来ていた埼玉県飯能の女子大生は携帯の電源が切れ、その先を決められず勉強して過していました。そのほか、音楽を聴いて寝ている人、二人で話し込む人、PCで作業をする人など。
カフェで軽い食事をしましたが、長期戦に備えて向かいのコンビニに買い出しに行くと、食物・飲物を求める人が多く品切れになるアイテムが増えました(19:11)。道路を黙々と往来する人の姿も目立ちます。
店に戻ると、店員から申し訳なさそうに「8時で閉店させて頂きます」と告げられました。30代の和泉多摩川に住む男性は「とりあえず新宿まで歩く」といい店を後にしました。飯能に住む女子大生はホテルを探すと言っていましたが、その先どうなったか心配です。友人は大分前に用事で店を出ましたが、日本橋のホテルまで徒歩で帰ることができます。
さて、自分はどうするか。20時の段階で動いているのは地下鉄銀座線全線と半蔵門線の一部だけで、JRも私鉄各線も運転再開の目処が立っていません。息子の家まで歩くことも考え、神谷町駅員の地図を見ながら新宿までの行き方をメモしましたが、何度も右折・左折しなければならず迷って相当時間がかかりそうに思えました。
そこで思い止まり、一旦近くの元職場のオフィスに行くことにする。エレベーターは使用不可でした。たまたまオフィスの後輩と出会い、一緒にビルの21階まで階段を上りオフィスに入りました。昔の仲間と思わぬ形で再会し、地震発生時の様子を聞いたりTVのニュースを見たりする。携帯バッテリーが大分減ったので充電する。
ビルの21階では横揺れが激しく立っていられない程で、開放型の陳列棚の商品はほとんど床に落下し、縦置きの機材は倒れたとのこと。
21時過ぎに館内放送で「都営地下鉄大江戸線が運転を再開」とアナウンスがありました。大江戸線が動けば、20分歩き赤羽橋駅から乗り、新江古田駅近くの息子の家に辿り着けます。幸運なことです。混雑を避け22時過ぎにオフィスを後にしビルを下りると歩道には同じように歩く人が大勢いました。途中、東京タワーを見上げ坂を下り赤羽橋駅に着く。
駅のホームには大勢人が並び、何台もやり過ごしてやっと乗車できました。途中の駅に着くたびに数人下車する人がいましたが「下りる人がいますよ~」と声を掛ける人がおり、無理に乗り込む人もなく譲り合っていました。
結局、江古田の息子の家に着いたのは24時を回っていました。
翌日のニュースで、かなりの長距離を歩いて帰宅する人や、開放された公共施設等で一夜を過ごす人の苦労の様子が報道されていました。時間はかかりましたが、自分は地震発生からずっと建家の中で待機でき、泊まる家に辿り着けたわけで、恵まれていたと思います。
現地の人命が一人でも多く救助されるよう祈ります。