四季おりおり

自然散策そして音楽のことなど・・・ 
2010年秋より里山・谷戸歩きで見た風景や蝶・花の紹介が増えてきました。

アゲハのこと(その1)

2005-11-26 10:49:00 | 
「ずっと以前初夏のころ、ベランダの山椒の木にアゲハチョウが卵を産んで幼虫になり5匹くらいだったでしょうか。シャッシャッと葉っぱを食べているのです。たけのこの添えにする予定のみずみずしい青葉を食し元気そうに太っていました。薬味にするくらいの木ですから、とても全員がさなぎになるには足りません。やさしい旦那さまはわざわざ雑木林に出向き、幼虫の食料となる新しい山椒をみつけてきて植えてやりました。それで全員さなぎになり無事蝶となり飛び立っていったことと思っています。
それにしてもお母さん、食料事情も確かめずベランダの山椒じゃ子供が飢え死にしてしまいます。大きなミカンの木がご近所のお庭にあるんだのに・・・。アゲハの脳では需要と供給の見積もりは無理なのでしょうか」
このような質問をうららさんからいただきました。

アゲハチョウやシロチョウの仲間の産卵数を調べてみたところ、300個から1000個程度のようです。アゲハにはそれぞれの縄張りがあります。つまり、競争がとても厳しい状況におかれています。
アゲハの食草は、ミカン科のサンショウ、カラスザンショウ、イヌザンショウ、キハダ、ハマセンダン、 フユザンショウが主。他に栽培ミカン類やカラタチも食草にしているそうです。最近の研究で、雌のアゲハは前脚ふ節にある感覚毛によって食草に含まれる化合物を識別して産卵することが分かってきたそうなので、自分のテリトリーを飛び回ってその前脚で食草を見付けたら、計算などせずに産卵しているのではないでしょうか。
産める卵の数には限りがあるし、Kさん宅のベランダの山椒の木はテリトリーを広げるチャンスと映ったのかもしれません。アゲハの命は短く、子孫繁栄のためには新天地を求めるのが彼らの戦略でしょうから、子供たちが食料不足に陥ることなど考えるゆとりもなく、必死の思いでベランダの山椒に産卵したのだと思います。
それとも優しいご主人の支援があることを予知していたのでしょうか。

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皇帝ダリアを見る

2005-11-23 17:01:00 | 相模原・県央
日曜日(20日)は北風が吹いていましたが、気持ちよくテニスをしてきました。先週(13日)辺りから、テニスコートの管理人の家に背丈は2階まで届くくらいで、大きなピンク色の見たこともない花が咲いていました。仲間に話題にしたら、こないだヤマボオウシの名前を教えてあげたKさんが、「それは皇帝ダリアよ」と教えてくれました。

その背の高さといい、初冬の青空に南方風情の大輪のダリアのような花が咲く奇妙さといい、風変わりで面白いですね。帝王ダリア、キダチダリアなどとも呼ぶそうです。

今日、えもんさんが相模原公園花情報で紹介していた相模原公園に見に行ってきました。11月6日に行ったときには、咲いていなかったのでその存在すら気が付きませんでしたが、グリーンハウス前の芝生の2箇所に大きく枝を広げて見事に咲き、通りかかった人たちがもの珍しそうに見上げていました。

すぐ隣の相模原麻溝公園にも1箇所咲いていました。



幹は竹のように節があり、よく見ると、節のところから枝が左右に水平に張り出していました。この枝の出方も面白いですね。そういうことにすぐに気が付くのはいつも妻の方です。原産地は中南米で、グアテマラ、コスタリカ、コロンビアなどの標高900~2700mに見られるそうです。キク科ということで、コスモスにも色合いなどどことなく似ていますね。

相模原公園花情報

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ステージで見たブレザーの色について

2005-11-20 17:07:00 | ノンジャンル
ステージで見たブレザーの色を伝えるのはなかなか難しいですね。記憶を頼りに、色名辞典で何色に近いかを探してみたところ茜色(カーディナルレッド)かエンジ色(クリムソン)辺りではないかと思います。そこで、小田原男声合唱団(その2)で書いた色名を茜色に直しておきました。

写真も撮ったのですが、眼で見た色とはかなり異なっていました。照明の具合などで、写真の色再現は意外と難しいものですね。

色の表現はあいまいさが残るため、美術関係や塗料、化粧品など色に関係する分野では、色相(何色なのか)、明度(その色の明るさ)、彩度(鮮やかさ)を数字で表わすことが多いようです。たとえば、りんごの色は、色相が2.5R、明度が4、彩度が12となります。

測色計という装置で太陽光に近い光を「りんご」の表面に当てれば、簡単にその色相、明度、彩度を数字で表示させるということもできるんですよ。
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小田原男声合唱団(その2)

2005-11-15 21:41:00 | 音楽
第1ステージは、堀口大学作詩、清水脩作曲男声合唱組曲「月光とピエロ」で、指揮は昔一緒にバリトンで歌っていた団内指揮者の松本和夫先生です。この曲は、長く歌い継がれた男声合唱の名曲で、僕も歌ったことがあります。安心して聴くことができました。
第2ステージは、松下耕作曲 CANTANTE DOMINO for male chorus、指揮は外山浩爾先生です。96年に明大グリーOBの塩野氏が亡くなる半年前に「今までこつこつと貯めたお金を男声合唱の振興に使ってほしい」と後輩に託し、その基金で委嘱した作品ということでしたが、少し難しく感じられました。
休憩を挟んで第3ステージでは、黒の上下から一転して茜(アカネ)色のブレザーに着替えての登場です。気分も変わって急に会場がなごやかになりました。僕の在団当時は、まだ皆さんお若くてスカイブルーの上下でさっそうと登場し華やかでしたが、時代が変わってユニフォームまでしっとりしたものになっています。平均年齢が明らかに50歳を超えていますから、年相応だというところでしょうか。

3ステは『みんなの知っている歌』。「見上げてごらん夜の星を」「雪の降る町を」「さらば青春」「遠くに行きたい」「川の流れのように」の5曲です。誰もが知っている叙情的な歌が、しっとりした歌声で流れてきて、思わず胸にじーんと来るものがありました。また、多くの女性ファン?からため息のでるようなステージでした。1曲ごとに拍手となり、団内指揮者(牛丸紘一さん)もそれに笑顔で応えていました。
第4ステージ(外山先生指揮)は、大正時代の終わりから昭和の初めにかけて小田原に暮らしていた北原白秋の詩に、多田武彦が作曲した男声合唱組曲「白き花鳥図」です。初めて聴いた曲でしたが、調べてみると、1965年にピアノ伴奏付きで初演され、1995年に無伴奏の男声合唱として新たに世に出たようです。枠組みのしっかりした合唱曲で、味わい深い、ゆったりとしたハーモニーでした。

トップテナー9、セカンドテナー11、バリトン12、バス13名、総勢45名が出演していました。僕の在籍していた当時は、トップテナーのメロディが輝くように響き、他のパートも負けじと歌っていましたが、月日も流れ、年輪を重ねて随分と穏やかでやわらかいハーモニーとなり、円熟した演奏という言葉がぴったりとあてはまります。アンコールは2名の団内指揮者の指揮で3曲ありましたが、いつまでも聴いていたい気分でした。
良い演奏の余韻を楽しみながら、小田原の街で美味しい海の幸をいただき、帰ってきました。
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小田原男声合唱団(その1)

2005-11-13 17:06:11 | 音楽
半年くらい前に、事務局だった小田原の楽器店に挨拶しにいったら、過日定演の招待券を送ってくださったので、昨日「第34回定期演奏会」を拝聴してきました。

小田原男声合唱団は、僕が小田原に住んでいた20代のころ、2年間所属していたところです。当時は設立から日も浅く、福永陽一郎先生のご指導のもと、ずいぶん広い範囲から男声合唱好きが集まった元気いっぱいの合唱団で、どんどん練習が進んでいくので付いていくのがやっとだったという記憶があります。とてもよい経験をさせてもらいました。

30年も経っているので、がらりとメンバーは入れ替わっていましたが、会場に着くと、懐かしい先輩二人があたたかく握手で迎えてくださり、古巣へ帰ってきたような思いがしました。
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