‘エースと心中’は もう古い!

 今年の夏の甲子園も今日で2回戦が終わり明日からベスト16となる。
 大会前‘4強’と呼ばれた4校のうち日大三だけ勝ち残ったものの選抜準優勝
の九州国際大付をはじめ昨夏ベスト8の聖光学院に帝京までが敗退したの
だが、九国大付などの試合ぶりを見ていて気付いたのが‘エースと心中’という
高校野球の悪しき伝統からの脱却が見られる。

 ご存知のように九国大付は延長12回でサヨナラ負けを喫したのだが勝負が
決した12回からエースの三好を降板させ2年生の大江を起用したのである。

 三好が選抜以降体調を崩し福岡県予選ではベスト16まで登板しなかった
ため大江が投げていたのだが、1点与えたらサヨナラ負けという緊迫感溢れる
甲子園でエースのリリーフとして起用するというのは かつての高校野球の常識
では考えられなかった事だろう。

 若生監督は‘三好は球が浮き始めて限界だった’と大江のリリーフについて
語っていたのだが、実際病み上がりで調整不足のエースが160球以上投げて
ボールが高めに浮き始めて前の回では9番からライト前に打ち返されライト
からの好返球で刺したものの、あの調子では確かに1番から始まる12回の
攻撃では厳しいものがあっただろう。

 とはいえストライクを取る事もままならない状態で1アウト1・3塁になり全打点を
挙げている4番を迎えたのだから3塁を守っていたエースが再びマウンドに上がる
とも思われていたのだが これもなかった。

 昨日の帝京も3-1となって1塁を守っていたエースの伊藤がリリーフするかとも
思えたが、渡辺を続投させて逆転満塁HRを打たれてしまったのを見て‘なぜ伊藤
にリリーフさせなかった’と言う批判は聞かない。

 高校野球だけでなくプロ野球でも かつては‘神様・仏様・稲尾様’の稲尾和久が
日本シリーズで3連敗と王手をかけられてから4連投して4連勝したように‘エース
と心中’という美学?があり、稲尾を4連投させた三原脩監督の采配も‘三原魔術’
と神の采配の如く大絶賛する始末。

 プロ野球ですら そうなのだから負けたら終わりの高校野球で こういう思想が
蔓延るのは当然だろう。

 その結果前途有望な投手達が故障を抱えながら無理をして投げ続け将来を
棒に振るというロクでもないケースが否定されることなく、むしろ‘美学’として
賞賛されていた。
 
  稲尾を4連投させた三原脩も‘あれは どうせ負けるならという発想からの4連投
だから魔術でも何でもない’と否定して語っていたにも拘らず、メディアは その
コメントを広げるどころか封印しようとしている始末。

 昭和の時代の高校野球とはレベルが数段上がっている時代に前時代の遺物の
ような1枚エースがフルイニング投げて優勝という悪しき理想から脱却しないと
いけないし、その旗振り役であるメディアが昭和の高校野球の理想主義を持ち続
けているのには凄い違和感がある。

 98年に松坂大輔を擁して春夏連覇した横浜もベスト8でPL学園相手に延長
17回を投げた松坂を翌日の明徳義塾戦では先発させなかったではないか!

 1人の豪腕エースを擁していれば優勝できるという幻想は江川卓が73年に銚子
商相手に雨の中で押し出しサヨナラで敗れた時点で終わっているのだから。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
まぁ、どうかな? (こうちゃん)
2011-08-15 00:15:30
確かに、たった一人の投手のメンツに固執する必要もないけど。野球はチームプレーですし、ツマラナイ意地は捨てないと…とは言ったものの、この考え方が改まるまでには長い時間を要するでしょう。でも、後味の悪い負けをしたくないなら、エースと心中も有りでは?。
やっぱり古い?
 
 
 
そうですね (こーじ)
2011-08-17 00:06:17
>こうちゃん様
 無理なエース登板は‘後味の悪い向け’だったからこそやっていたらしいです。
 
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