シュガーレイ・レナードの2階級制覇と三原正のアメリカ デビューから30年

 今から30年前の今日81年6月25日にヒューストンのアストロドームで9月に
予定されていた世界ウエルター級タイトル統一戦の前景気を煽るWタイトル
マッチが行われ、WBA王者のトーマス・ヒットマン・ハーンズの防衛戦とWBC
王者のシュガーレイ・レナードが2階級制覇を目指してWBAのJミドル級王者:
アユブ・カルレに挑戦した。

 そして その前座でOPBFのJミドル級王者でWBAのJミドル級1位の三原正
が登場してノンタイトル戦を行い、いわゆる‘アメリカデビュー’を飾ったの
だった。

 WBAウエルター級王者のハーンズは80年8月に11度防衛中10度までをKO
防衛していた‘ジョークラッシャー’ホセ・クエバスを2RでKOして2度の防衛戦を
KO防衛しており、このイベントでもパブロ・バエズを難なく4RでKOして3度目の
防衛に成功し9月の試合へアピール。

 問題はレナードが挑戦するカルレ戦。
 アユブ・カルレは37戦全勝19KOという好成績で79年10月に来日して工藤
政志を判定で下してタイトルを奪取すると4度の防衛に成功していた。

 レナードは79年11月にウィルフレド・ベニテスに15RKO勝ちしてWBCウエ
ルター級王者になり1度防衛した後に元統一ライト級王者だったロベルト・デュ
ランに判定負けしたものの、80年11月に行われたリターンマッチで8Rにデュ
ランの棄権でタイトルを奪回。

 俄かにWBA王者であるハーンズとの統一戦の話が出たのだがプライドの高い
レナードにすれば万一敗れて無冠になるよりはという事で‘保険’のような形での
2階級制覇狙いだったようだ。

 そしてカルレがサウスポーだという事で3月の防衛戦をサウスポーのラリー・
ボンズ相手に行う周到さで、ヨーロッパをホームリングにしているカルレを迎えた
のだ。

 中盤ややカルレが持ち直したものの8Rあたりからペースを奪回すると9R終了
間際にダウンを奪い立ってきたもののカルレはギブアップしてレナードの2階級
制覇と共に9月のウエルター級統一戦が正式に決まる事になった。

 一方この結果を喜んだのが幕引き試合に出場した三原正。

 本来なら1位という事で前年の9月にカルレのホームリングであるデンマークに
乗り込んで挑戦予定が違う相手との防衛戦が優先され、そこにレナードが割り
込んできたのだ。

 実際カルレに敵地で挑戦しても厳しいというのが我々の予想だったのでレナード
がカルレとハーンズに連勝すれば自分のクラスではないJミドルは返上するという
話が出ていたのだから‘レナードに勝ったカルレ’に挑戦しなくてもいい状況に
なったのは幸運だった。

 そしてハーンズとレナードが勝った後のアストロドームのリングで前年2月に
OPBF3度目の防衛戦で7RでKO勝ちしたラモン・ディオニシオをスピーディーな
攻撃で圧倒し、5RでKOして本場・アメリカでの‘お披露目’を飾って仮にレナード
が返上後決定戦に出るチャンスを掴む。

 この試合と11月の試合で三原は‘オリエント・エクスプレス’と呼ばれる事になる
のだった。
 

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