今日あるスポーツ紙のサイトを覗いていたら‘格闘技K1地上波消滅へ、
大みそかも「難しい」’という記事が載っていて‘とうとう来るべきものが来たか’
と思った。
そういえば最近のK-1はファイトマネーの不払いなどが話題になるなど90年
代後半から続いたブームの終焉を感じる景気の悪い記事が多く‘来るべき
ものが来たか’と考えていたのだが・・・・・
思えばK-1の存在を知ったのは90年代の前半でヘビー級の迫力を堪能する
事ができたので、徐々に人気が高まり12月のWGPなどは毎年注目されるように
なってきた。
特にアンディ・フグやピーター・アーツにアーネスト・ホーストなどキャラの立った
選手達も多く、話題には事欠かなかったのだ。
ただし最大の問題がブームで終わるか‘文化’として生き残るか?
石井館長は当時‘K-1の結果が一般の新聞のスポーツ欄に載るようにしたい’
と抱負を語っていたのだが、確かに一般新聞のスポーツ欄に結果が載るように
なれば‘ショーではない本物の格闘技’と世間一般から認知される。
ただし日本発の この競技が国際的な五輪種目のように発展するには避けて通れ
なかったのが審判の国際化。
つまり いくら‘日本人審判が えこひいきをせずに公平に見る’とはいえ日本人が
出る試合を日本人ジャッジが担当していては問題になるだろうし、実際に柔道など
五輪や世界選手権でレベルの低い審判から勝った試合を負けにされた事も多々
あったのだが それをガマンして続けていたからこそ今日の状態になっている。
‘K-1のKはKOのK'とはK-1がメジャーになった頃に盛んに語られたフレーズだ。
ところが真剣勝負になればなるほど見ても面白味のない試合が増えるし、続け
ている間にもレベルが上がったためKOよりも判定の方が増えてきたのだ。
しかもK-1陣営は現在ボクシングの世界戦で行われている‘イーブンラウンドは
作らない’という趣旨のラウンドマストシステムについて否定的だったのだが、外人
ジャッジはK-1でもラウンドマストシステムにしてしまうので必ず差を付けなけれ
ばならなくなる。
ミドル級に至っては完全に魔裟斗におんぶに抱っこ状態だったので魔裟斗の
引退が想像以上に大きなダメージになった感は拭えない。
これが同じ打撃系格闘技のボクシングなら例えば大場政夫が自動車事故で
死んでも具志堅用高や辰吉丈一郎らが引退してもボクシングがダメになる事は
ないが、K-1の場合は一部のスター選手が引き上げると機能しなくなってしまう。
つまり‘文化’のボクシングと‘ブーム’だったK-1の違いだったのだろう。
タチが悪いのはミドル級をOAしていた赤坂TVで、ここは昭和の時代にキック
ボクシングを毎週月曜にOAして人気を誇っていたのだがエースの沢村忠の引退と
同時に火が消えたようになり、いつの間にか放送が打ち切りになってしまっていた。
まさしくK-1ミドル級にとってキックボクシングの現在の姿は‘いつか通った道’と
して認識されているのだ。
‘真剣勝負’を標榜し‘五輪種目入り’を目指していたのなら、間違っても‘KOこそ
全て’などという どこかのヤ○ザ一家と同じような世迷言は言えないはずではない
だろうか。
結局ブームを作るのはTVなどで、K-1は そのTVに まんまと乗せられた形なの
だろう。
総合格闘技やK-1に比べて遥かに目立たないボクシングが100年もの間、世界
中で人気が定着している最大の理由が長年の積み重ねで そういう地道な努力を
絶対に見過ごしてはならないと思うのだ。