池田高校がメジャーになって50年

 3月31日に健大高崎の優勝で終わった今年のセンバツ高校野球
だが、今から50年前の74年は今日4月6日が決勝で先日2年連続準
優勝だった報徳学園が池田に3-1で勝って初優勝を飾っている。

 報徳は住谷正治~東芳久の継投で勝ち進んで優勝したのだが、
今大会の主役はベンチ入り11人で戦って決勝まで勝ち進んだ池田
で‘さわやかイレブン’と呼ばれていた。

 前年秋の四国大会で高知・丸亀商に勝って決勝で新居浜商に敗
れたものの準優勝して乗り込んだ甲子園では開幕戦で函館有斗に
4-2で勝つと2回戦で夏準優勝する防府商に3-1、準々決勝では
中国大会準優勝の倉敷工に延長12回2-1で勝ち準決勝では和歌山
工に2-0で勝って決勝進出したのだ。

 池田といえば蔦文也監督が率いて3年前の71年夏に初出場すると
浜田に5-4で勝ち2回戦で県岐阜商に8-1で逆転負けしていたのだ
が、監督の厳しい指導に退部者が出て73年秋から74年春は11人し
か残らなかったらしい。

 ただ11人で決勝まで勝ち進んだ事で全国区となり夏は予選敗退
も秋の四国大会では翌年の選抜で優勝する高知に準決勝で敗れる
が2年連続出場し、またしても報徳学園に2-0から4-2で逆転負
けして雪辱ならず。

 それから4年の至福の時を経て筋力トレーニングでパワーアップ
した池田は78年秋の四国大会で初戦敗退も高松商に引き分け、再
試合で1-2で敗れるも79年春に甲子園出場し初戦で鶴商学園に5-
0で勝ち準々決勝で東洋大姫路に雨中の壮絶な試合の末7-8で惜敗。

 夏も出場して松商学園に9-2で勝つと中京に5-2、準々決勝で
高知に5-1で勝ち準決勝では牛島和彦ー香川伸行のバッテリーを
擁し選抜準優勝の浪商に2-0で勝ち決勝で箕島から3-4で逆転負
けし春夏連覇を許したが、完全な強豪とファンから認知され82年
夏&83年春を夏春連覇するなど黄金時代を迎えるわけだ。

 その池田が最初に全国区になった大会こそ50年前の選抜だった。

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