夢と消えたビッグファイト!元世界Jミドル級王者・三原正

 今から25年前の今日2月2日は元世界Jミドル級王者・三原
正が初防衛に失敗した日である。
 三原正は輪島功一のジムの後輩で79年4月にプロ入り5戦目
で東洋タイトルを奪取し80年には1位までランクを上げた。
 当時の王者はAカルレというデンマークを本拠地にしている
ウガンダ人で80年9月に敵地に乗り込んで挑戦という事になっ
ていたが、シュガー・レイ・レナードというウェルター級王者が
統一戦の保険としてJミドル級タイトルに興味を示し三原を差し
置いてカルレに挑戦したのだった。
 これは三原にとっては幸運な事でカルレは日本でやっても厳
しい相手なのにも敵地となると望み薄だった。だからレナード
がカルレと統一戦に連勝してくれれば2位のRフラットとの王座
決定戦に出場ができるのだ。
 81年6月にレナードはカルレをストップし9月のウェルター級
統一戦でも逆転勝ちし予定通り王座を返上。三原はレナード対
カルレの前座でヒューストンのリングに立ちKO勝ちして知名度
を上げる。そして11月にフラットの地元であるロチェスターに
乗り込んで4Rにダウンを取り中盤を支配されたが後半追い込ん
で2-0の判定でタイトルを奪取した。
 東洋人にしてはかなりのスピードがあるので‘オリエントエ
キスプレス’というニックネームを付けられた三原はアメリカ
でも高い評価を受け高額のファイトマネーでの世界戦のオファ
ーが次々と舞いこんだ。
 ただタイトル奪取を含めた2試合続けて海外という事でTV局
側から‘初防衛戦は日本で’という要望を受け入れ、2月2日に
プロ入り9戦目の10位・Dムーアとの初防衛戦になった。
 ムーアは8戦全勝だがプロとしてのキャリアは浅いのでまず
勝てるだろうという予想だった。勝つと4月下旬に南アフリカで
防衛戦をこなし、7月頃に1位に上がったカルレと対戦。
勝った場合は11月にレナードとのノンタイトル戦が行われファイ
トマネーは1億前後と噂されていた。
 ところが肝心の初防衛戦で三原は緊張からガチガチになリ全く
いい所なし、弱点のボディを攻めきれず6Rに3度のダウンを喫して
KO負けで初防衛に失敗した。
 ところがこのムーアは4月に南アフリカでの防衛戦に成功した後
カルレをも10RでKOするというとんでもなく強いヤツだったのだ。
 ただムーアも83年に石の拳と言われたRデュランにKO負け、以後
Jミドル級は本場の強豪達が集うとんでもないレベルの高いクラス
になり日本人はおろか東洋人の手の届かないクラスになってしまった。
 因みに三原以後Jミドル級のタイトルに挑戦した日本人は92年12月
に上山仁がアルゼンチンに乗り込んでJバスケすに挑戦したものの
1RでKOされている。
 だから25年前の2月2日に行われた世界Jミドル級タイトルマッチは
日本で行われた最後の世界戦に今のところなっているのだ。
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