“井原マジック”の真実…福岡J1昇格へ指揮官が施した一年間の取り組み
福岡がC大阪とのJ1昇格プレーオフ決勝を1-1で引き分けてJ1
昇格を決めてから1週間が経つ。
前年22チーム中16位に終わっただけでなく松本山雅のJ1昇格を
目の前で見せつけられるという屈辱を味わって迎えた今シーズン
開幕3連敗でスタートしたのだが、就任1年目の井原正巳監督が見
事にチームを立て直してのJ1復帰なのだから いかに監督を含めた
スタッフが大事かだけでなくフロントの力量も試されるというのが
分かる。
来年で福岡が初めてJ1に昇格して20年になるが成績がパッとしな
かったのは無能なフロントに泣かされていたからだ。
96年にJ1昇格した時に若手育成に定評のある清水秀彦を監督に
迎え3年契約を結んだものの、16チーム中15位という順当な結果にも
拘わらずフロントは清水監督を解任という暴挙に出た。
当時全盛だった磐田ですらJ1に昇格した時には苦戦していたのだ
から福岡の苦戦は当然だったのだが、なぜかフロントは‘ここまで
酷いとは思わなかった’と契約を2年残して解任したのだから清水
監督が‘こんな事なら1年契約にしてもらいたかった’と怒ったのは
当然だ。
3年契約なのに1年で解任される成績ではなかったのだから、この
一件で優秀な監督の招聘が不可能になったのは間違いない。
更に00年に昇格以来下位争いをしていた福岡がピッコリ監督の下で
初めて2ndステージで優勝争いをして6位に入り12位と初めて降格争いに
巻き込まれなかったのだが、その年のオフに更なる補強を要請した
ものの資金不足をタテに拒否される。
翌01年に監督の不安は的中しケガ人続出などでJ2に落ちると自分
達の責任は棚に上げて監督のみに責任を押し付ける酷さ。
更に06年にJ1に返り咲いた時にも12節終了時点で1勝5分6敗という
成績でマスコミが‘低迷’と騒いでいたのを真に受けてJ1昇格の立
役者だった松田浩監督を解任して、終わってみれば何とか入れ替え
戦に残ったものの解任した松田監督率いる神戸にアウェーゴールの
差でJ2に降格してしまったのだ。
どんな競技でも監督によって成績は上下するのだが優秀な監督は
無能なフロントが支配するチームには就任しないのが常だ。
野球でもホークスが強くなったのは故・根本陸夫氏が強化部長に
就任してからで氏が亡くなりダイエー末期にフロントが無能揃いに
なると、そのツケが06年から来て優勝から遠ざかるという苦い経験
がある。
プロ競技はフロントの優劣が成績を左右するという事を嫌でも
感じた今回の福岡のJ1昇格だった。