野村スワローズが東京ドームで開幕シリーズを戦うと

 今から30年前の昨日90年4月7日は90年のプロ野球の開幕日で前年
日本一だったジャイアンツは東京ドームで野村克也が監督に復帰し
たスワローズと対戦したのだが、1-3で迎えた8回裏に1アウト1塁
から篠塚和典が打ったライトポール際のファール性の打球を1塁塁審
だった大里晴信がホームランのジャッジ

 当然スワローズサイドは猛抗議をしたものの判定は覆るはずもな
く延長に持ち込まれジャイアンツが14回に押し出しのサヨナラ勝ち
で開幕戦を飾ると、翌2試合目も逆転勝ちし開幕2連戦を連勝で飾り
勢いに乗って独走で9月8日に史上最速優勝を飾ったのだった。

 野村監督は‘開幕戦の篠塚の2ランがなければ独走させなかった’と
悔やむ事になった開幕戦という事になる。

 実はこの年から線審を外した4人制で行うようになったのだが開
幕前に‘ミスジャッジが出なければいいが’と言われており、いきな
り開幕戦で不安は的中したのだった。

 大里氏はコレがもとで2軍落ちし、この年限りで引退する事にな
るわけだから気の毒と言えば気の毒ではあった。

 この頃の東京ドームは開場3年目で外野のポールは白でボールの
色と重なって見分けづらかったし、外野席フェンス際のバーに当た
った打球がインプレーかホームランかどうかでもめたりとトラブル
が多かった。

 もっとも今のようなリクエストによるVTR検証が行われていたら
明らかにファールだろうと思うわけで、何とか言いながら今のリク
エスト制度のありがたみを実感するものだ。

 ちなみに野村監督の‘開幕戦の疑惑の2ランが全て’と言う言葉は
藤田元司監督が率いていた頃のジャイアンツは投手陣を前面に押
し出して戦っていたからか、優勝した81年・83年・89年と全て開
幕ダッシュに成功し独走優勝なのに対し終盤まで競り合った82年
や92年も最後で失速し優勝を逃しているのでまんざら負け惜しみ
でもなかったようだ。

 それにしても野村監督時代のスワローズは90年の開幕戦以外で
も95年の開幕2戦目に2-0とジャイアンツがリードした9回表に完
封寸前だった桑田真澄のカーブが、すっぽ抜けて先頭打者の飯田
哲也の頭に当たり危険球退場になって流れが変わりスワローズが
逆転勝ちすると3試合目も取って勝ち越した後ジャイアンツ戦7連
勝を含め17勝9敗と大きく勝ち越し2年ぶりの日本一に。

 更に97年にも開幕戦でカープから移籍した小早川毅彦が斎藤雅
樹に3打席連続ホームランを放ち6-3で快勝すると、2年前同様に
7連勝を含む19勝7敗で更に大きく勝ち越し3度目の日本一への礎
となった。

 これを見ると野村監督率いるスワローズが東京ドームでジャイ
アンツと対戦すると、何か印象的な事が起きてレギュラーシーズ
ンの流れを決めてしまうケースがよく見られたのだった。

 

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