元関脇・麒麟児が亡くなって分かる価値観


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-bt-tp1-210413-202104130000418

 元関脇・麒麟児が3月1日に多臓器不全で亡くなったというニュー
スが、先日報道された。

 麒麟児といえば回転の早い突っ張りを武器とする押し相撲力士で
一世を風靡し特に富士桜との突っ張り合いは相撲好きの昭和天皇が
身を乗り出して観戦するなど観客の心をわしづかみにする相撲を取
れる力士だった。

 昭和28年生まれという事で北の湖や2代目・若乃花の両横綱関脇、
・栃光に小結・大錦らが有名だが、彼らと同じ花のニッパチ組と言
われており特に麒麟児は感情をむき出しにするところもあって異色
の力士という感じで愛嬌もある事から人気があった。

 今にして思うと取り口が突き押し相撲の最高峰ともいわれていた
一方で‘勢いの乗ると手が付けられないが、一旦リズムが狂うと脆い’
という押し相撲力士の表裏一体を体現したように幕内在籍84場所で
二桁勝利が15回なのに対し負け越しも39回あるのだ。

 殊勲賞と敢闘賞は4回で技能賞も3回と合計11回の三賞を受賞して
いるし、輪島からの2個に北の湖・若乃花・三重ノ海・大乃国の計6
個の金星を挙げるなど大活躍する反面 大負けもするわけだ。

 当然ながらここまで調子の上下が激しいと横綱&大関は厳しく、
最高位は関脇だったというのも頷ける。

 とはいえ麒麟児の事を‘大関になれなかったダメ力士’という声は
聞いた事がなく、昭和天皇も「麒麟児は今度は勝ち越す番だね、下
位に下がったから」と言われていたように下位では勝ち越し上位相
手に負け越すという事を持ち味にしている。

 考えてみれば全員が全員横綱や大関に慣れるわけではなく横綱や
大関になれなくても土俵を賑わす華のある力士の存在は必要なわけ
で、そういった力士達の重要性を最もアピールしてくれたのが麒麟
児だったのかもしれない。

 もっとも先代の麒麟児のように大関に昇進して2代目・大麒麟と
言われる姿を見てみたかった感もあるのだが。

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