雲仙普賢岳大火砕流から30年


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-210603X934

 今から30年前の今日91年6月3日に雲仙普賢岳から大規模火砕
流が発生し、43名もの死者・行方不明者を出す大惨事となった。

 もともと雲仙普賢岳は前年あたりから噴火活動があったりして
いたわけだが91年になると2月に再噴火した後、4月に噴火が拡大
し5月には降り積もった火山灰などによる最初の土石流が発生する
など不穏な雰囲気ではあった。

 さらに溶岩ドームまでが形成され‘これが崩れたら土石流になる
のか’と思ったりしながらニュースを見ていたのだが、店休日だっ
た6月3日に外出先から帰宅すると大規模火砕流が発生し犠牲者が
出たという臨時ニュースがOAされていたのだ。

 ちなみに福岡で働いていた時の後輩の実家が島原で帰省し営業
していたわけだから、見舞いの連絡を取ると避難所に入る必要は
ないものの火山灰が酷く大変だという話を聞いていたし翌年9月
にその後輩の結婚式に出席した時には主賓として出席されていた
鐘ヶ江市長夫人に見舞いの挨拶をしたのを思い出す。

 その鐘ヶ江管一市町は噴火が収まるまではヒゲを剃らないとい
う願掛けでヒゲを伸ばした姿のまま、自ら災害救助活動や国への
陳情に奔走されていたのだが実は6月3日には命拾いをしていたら
しい。

 アンビリバボーあたりで特集されていたのだが6月3日に犠牲者
を出した場所に視察に行くために車に乗っていたのだが、赤信号
に引っかかり信号待ちしている間に持病の腰痛が我慢できなくな
り予定を変更して先に整骨院で治療を受けていたらTVに火砕流の
ニュースが流れていたとの事。

 仮に赤信号に引っかからなくて予定通り視察に行っていたら恐
らく犠牲になっていた可能性が高いのだから、人の運とは紙一重
だと実感するのだった。

 

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