ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
‘格下’相手の初戦は難しい
日本、白星スタート=マレーシアに2―0・サッカー五輪予選(時事通信) - goo ニュース
昨日行われたロンドン五輪サッカーのアジア最終予選で日本は‘格下’と言わ
れたマレーシアを圧倒し2-0で勝ったものの、前・後半1点づつの消化不良の
勝利という報道が目立った。
そういえばフル代表のザック・ジャパンも3次予選の初戦で北朝鮮相手に終了
間際のロスタイムに ようやく1点が入り1-0で勝ったし、ジーコ・ジャパンでも
2次予選の初戦であるオマーン戦や最終予選の初戦の北朝鮮戦でも同じく後半
ロスタイムに決勝点を挙げての勝ちだった。
実は‘格下’と見られる相手との初戦は周りが思うほど楽ではない。
前記した時の日本は全て第1シードで初戦を第4シードの相手とホームで
戦った時に辛勝しているのだが、考えてみれば第1シードの国は
‘ホームだから負けは論外、引き分けもダメ。
最低でも勝ち点3を挙げ、大量点を挙げて勝たないと’
というプレッシャーがあるだろう。
反対に第4シードの国とすれば
‘グループ最強の相手とのアウェー戦だから勝てなくても引き分けなら大満足
だし、負けても最少得点差なら御の字’
と考えるだろう。
そうなればゴール前に人数を集めてガチガチに守るだろうし、仮に先制されても
‘1点差OK’なのだから、よほどの事がない限り攻勢には出ないので大量得点を
取るのは難しくなる。
実際引いた相手を崩すというのは かなりの労力を要するものだし、先制しても
相手が出てこないから強引に追加点を狙いに行ってカウンターから失点すると
勝ち点3が1になるリスクもあるので かなり線引きが難しいところだろう。
むしろ こういう国とはアウェーの対戦の方が‘地元だから勝ちたい’という意識
で向かって来てくれるので楽に戦える傾向が強く、実際09年の最終予選では
オーストラリア戦以外はアウェーで全勝という快挙を演じているのを見ても分かる
だろう。
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高校野球夏の兵庫大会で東洋大姫路は去年までの3年間で僅か1勝しか挙げられていません。08年は佐藤を擁してセンバツ4強にまで進出。優勝した沖縄尚学に終盤までリードする本当に惜しい一戦で’打力をアップできれば夏の全国制覇も有り得る‘。ましてこの夏は兵庫は東西2代表でもあったので「東洋のための西兵庫大会」などと言われたくらい大きなアドバンテージで早くも出場当確ムード。。。しかしその安易な状況に落とし穴があったのか初戦で無名の北条に完封負けする信じがたい敗戦を喫してしまう大波乱。低迷が心配されましたが、今夏は藤田監督のもと強い東洋が復活して甲子園でも8強進出。出れば強い東洋。。。4大会連続8強以上なのは名門のプライドでしょうね
高校ラグビーでも一昔前に大阪工大高が雨中の戦いでペースを掴みきれずボールを滑らして自軍ゴールライン前でノックオンを取られるなどして青森北に敗れたのも序盤戦だったような。山口の大津も大工大を下したことがありました。捨て身で来られるほど(それがハマると)怖いものはないですし、強豪も受け身に回ってやられることは多いですね。95年のセンバツの伊都×帝京とか、81~97年までの横浜高校も格下相手の敗戦で何度評判倒れに終わったことか。。そんな意味で番狂わせの期待も大きい序盤戦のほうが終盤戦よりも注目なのかも知れませんね。
木内さん曰く‘優勝というのは狙ってするもので、
無欲で勝ち続けている間にできるものではない’
これは真実でしょう。
スポーツライターの矢崎氏が98年の横浜のレポを書いた時も、ベスト8ぐらいをピークに持って行くべく
調整していたと記してましたので。
一戦必勝で臨んだチームの優勝確率は低そうです。
だからこそ優勝を狙うチームにとって足元をすくわれかねないリスクがあるようですね。
もっとも優勝を狙うチームにとって優勝できないのなら、初戦敗退でも同じぐらいの覚悟はあるようですね。
智弁和歌山の高嶋監督も’甲子園で優勝できんのやったら和歌山の1回戦で負けた方がマシ‘みたいなことを話していますね。同校は県決勝こそ驚異的な連勝記録を誇っていますが、甲子園優勝から逆算しての選手起用などがハマらず和歌山大会序盤で敗退=甲子園不出場のパターンが多いのだそうです。かつては出るだけの智弁和歌山だったのが、照準はあくまでも全国制覇。。。97年夏のV主将・喜多(元ロッテ)が次期監督との声もありますが、2000年以来の大旗奪還に期待したいですね。
Numberで桑田が江川との対談で‘大阪予選は試合が多いので三振を取るより1球で内野ゴロを打たせるピッチングを心がけた’と言ってましたから、松坂もそういう考えだったのでしょうね。
とはいえ松坂は98年の東神奈川予選ではベスト8まで
投げてないのですから、いかに周りが凄かったか分かりますよ。
ホント智弁の高嶋監督のコメントは的を得てます。
優勝できないのなら初戦敗退という言葉こそリアルな勝負の世界での名言ですよ。
だから智弁の予選敗退は早い段階に起きてますからね。
84・85年のPLも絶対安泰というムードでもなかったと思います。大阪は当時も今もノーシード制でなので(府高野連は頭が堅すぎる~)、春季大会の成績など全く夏の戦いのプラスにならないのです。ですから初戦でいきなりPL×上宮とか近大付のガチンコ激突の可能性もあるわけで、それも1回戦からだと8試合勝たないと甲子園切符は手に出来ませんからね。そんな情勢もあって桑田は省エネ投法に徹したのかも知れません。松坂横浜と同様にバックのメンバーもツワモノ揃いでしたから総合力ではやはりPLが大阪の中心ではありましたけどね。甲子園でも84年は取手二の5試合に対してPLは6試合。翌年は逆にPL5試合で宇部商は6試合だったのも結果的に勝敗を左右したのかな?とも思えてきます。
その85年PLと98年横浜はどちらが強いか。。。去年の興南や今年の日大三も試合内容のインパクトは大きかったですけどね。横浜は秋の神奈川から最後の国体まで公式戦50?連勝以上でしたっけ。一発勝負の高校野球において勝ち続ける、まして全国一とも言われる神奈川のライバル校はレベルも当然高いでしょうしね。先行逃げ切りがほとんどでしょうけど、リードを許しても相手がその威圧感から崩れてしまうパターンも夏のPL、明徳戦でありましたからね。前後左右どこから攻めても難攻不落。。。もう双葉山クラスですよ。大阪人としては悔しいですが、この98年横浜が戦後最強(戦前は和歌山中か中京商か?)と認めざるを得ませんね。
智弁和歌山の高嶋監督は初采配の奈良智弁時代で既に8強、4強の実績を挙げてますからね。ですから甲子園の上位進出も初戦敗退もさして感覚的に変わらないのだと思います。ニューカマーの監督とは次元が違うと言うか。。。00年春決勝、毎日放送森本アナウンサーの実況が耳に残っているのが相模筑川の試合開始第一球での語り。。。’過去二度は準優勝。あの原・津末を持ってしても優勝できなかった東海大相模に対して、初出場の昭和60年は初戦敗退だったものの以後は3度ともすべて選抜は決勝進出の智弁和歌山高校‥‘。解説の横浜・渡辺監督も’本当に最近は出れば必ず勝ち上がっているイメージですが改めて凄いですね‘と驚嘆していました。
広商の低迷は商業校というのがやはり大きいと思いますが、精神鍛練・送りバントなどの広商野球がバックボーンにあるのでしょうね。それにいかにも伝統で昭和野球を継承されそうなユニフォーム。。。今の球児は見た目もスマートなカッコ良さも高校の選択肢に入れますし、甲子園を目指しつつも思い切ってノビノビと野球をやりたいと言うのが本心ではないでしょうか。横浜やPL、鹿実、日大三、仙台育英。。。個人的には風格もあって憧れるユニフォームですね。常葉菊川(今夏の東大阪大柏原はパクリ?)のヤンキース仕様にしたり、浦和学院のようなオールジャパン縦縞(今春も期待外れでしたが)などにも時代の流れが伺えます。
えっ、バンビ坂本は東邦の監督候補だったんですか?ちょっと性格的に私は違うと思いますよ。それにしても名門東邦でいきなり背番号1ですから彼は投手として非凡な才能があったのでしょうね。のちの水谷完も少し騒がれましたが今どうしているのやら。。。山田喜久夫は上宮との決勝、初回だったか種田をインコース真っ直ぐで空振り三振に斬ったシーンが印象的。解説の尾藤さんも’上手く攻めますね~‘とキクの投球を絶賛していました。
Numberは私の愛読書ですし、スポーツ好きのバイブルですよ。
これを読めば あらゆる競技に詳しくなれます。
そのNumberによれば桑田は大阪大会は決勝が一番楽だった、それは決勝に来れば相手がヘロヘロだからと
言ってましたね。
もっとも桑田・清原のPLと松坂の横浜は ほぼ互角でしょう。
98年の夏の予選ではこの年が記念大会で神奈川から
2校出られたというのも大きかったようですし。
00年春の決勝の解説は渡辺さんですか。
94年春に智弁から横浜は完敗してますので、トラウマがあったでしょうかね。
広島商の低迷は時代錯誤なスタイルを改めようとしないという事でしょう。
改めようとするとOBがうるさいようですから、如水館の迫田さんのように移動先でノビノビやらせて結果を残しているケースはいくらでもありますね。
そうですね。予選にしろ甲子園にしろ「決勝」というのはたいてい名門(強豪)校が新鋭校(格下)に勝つパターンが多いですね。和歌山での智弁和歌山がまさにそうですし、夏の広商、中京、横浜、報徳、箕島、天理などは甲子園決勝では驚異的な強さです。決勝は総力戦もいとわないので、そうなれば控え選手の厚いチームがどうしても有利になるのではないでしょうか。81年春決勝のPL、9回裏代打で同点三塁打の佐藤公宏なんかはそんな典型です。三塁ヘッドスライディングした際、毎日放送の三宅アナウンサーは’凄い代打の二年生が会心の同点スリーベース~!PLあの60回の夏の大会を思い出します。それにしても尾藤さん、こんな選手がベンチに残ってたんですね‘。そして尾藤さんは’さすがに層が厚いですね。印旛の佐藤君の投げた球はそんなに甘いボールじゃないんです。外角低め、よく踏む込んでシャープに打ち返しましたね。見事なバッティングです。佐藤君、中村監督の信頼に応えましたね~‘と若く歯切れの良い声で解説していました。。。
そうです。智弁和歌山の94年春ブレイクは横浜を粉砕したことで一気に弾みがつきましたね。思えば前年の上宮もそうでした。もっとも横浜は出場すれど勝てない’甲子園病‘ が治らない時代ではありましたけどね。ともに常連・常勝のイメージなのに渡辺×高嶋の名将対決はその1度きりなのも改めて意外です。ちなみにベイの筒香は和歌山出身ながら横浜で甲子園出場、特大の一発を放ちましたよね。参加校の少ない和歌山から大激戦区の神奈川、それも名門横浜への越境入学という心意気は素晴らしい。大打者へと歩んでほしいものです。
広商は昭和の初期から最終の63年まで甲子園の歴史に名前を刻み続けた曰く付きの古豪だけに数多いるOBの’広商スタイル‘へのこだわりは当然強いでしょうね。そういえば如水館の迫田監督、伝統の広島野球を織り交ぜながらも今風な戦い方を今夏にみせたような気がします。我が大阪、柏原高校も老かいな?采配で料理しましたからね。広商は94年春、澤田のチームは強打で大型の印象も受けたのですが完全移行へは至りませんでしたね(笑)。。。ああうるわしき厳島~♪82年夏ナイターの比叡山戦は伝統の力を感じさせたものでした。終盤のホームランが効きましたよね。
週間ベースボールは昔は必ず読んでましたけど、今や専門誌だけに内容が保守的になってしまってます。
特に豊田のコラムなど昔は面白かったのに今や‘オレ達の頃はよかった’状態ですからね。
決勝で勝つには余力があるか、勢いに乗っているかのどちらかでないと勝てないですね。
94年の横浜は前年に続いて東の横綱状態でしたから
まさか智弁和歌山に負けるとは思ってませんでした。
あそこから智弁の実力がホンモノだと考えるようになりましたね。
まさしくターニングポイントでしょう。
広島商も甲子園で勝った時は小技だけでなく長打も打てていたのですけど、マスゴミが小技ばかりアピールするので どうしても小技に拘泥する感じでしょうか。
だって82年の興南戦は2安打勝利ですけど、いずれも
2ベースでしたからね。
94年春の智弁和歌山は鵬翔を下したあとは横浜、宇和島東、PL、常総と強豪を次々と破っての優勝でしたね。宇和島戦は9回土壇場に5点差を追い付く驚異の粘りが見せ、その勢いがPL戦の序盤にも止まりませんでしたね。井口、中本らの強打と笠木→松野の継投が上手くハマりましたが、その夏と翌夏は甲子園を逃しているのは意外ですよね。95年は和歌山は田辺が初出場(最初で最後)。かつての選抜覇者、静岡の韮山との対戦は妙に新鮮な顔合わせでしたね
横浜高校は京都勢に強いです。96年夏の北嵯峨、98年夏決勝の京都成章、00年夏の鳥羽、03年春の平安、04年夏の京都外大西とすべて勝利。ノーヒットノーランの京都成章以外は京都勢も善戦した印象ですが、横浜の威圧感ってやはりあるのでしょうね。あと思い付くところで06年春にも京都外大西は東海大相模に敗れてますから神奈川勢そのものが苦手なのかも知れません
広商はやはり73年春の足攻めで江川を倒したり、夏決勝の静岡戦でのサヨナラスクイズなどの’試合巧者‘ぶりがあまりにも有名ですからね。高校野球界にも定まったキャッチコピーがあり、甲子園大会の歴史を重んじるべくマスゴミはそれを宣伝文句にファンに訴え掛けて商売のネタにするのです。強打広商や広商の剛腕では駄目で、佃のイメージの軟投・巧投、ダイナミックではなく、精神野球の賜のファインプレーとする’掟‘があるのですね。銚子商も巧打、軽打ではなく強打の黒潮打線の文字は外せませんから。。。今後もそれが続くのなら、気持的に疲れてきますよね、こーじさん‥☆
週刊ベースボールは高校野球特集はいいのですけど
最近プロ野球記事が妙に空辣なのが多いのでガッカリ
します。
むしろNumberよりも専門的な記事が多いはずなのですけどね。
94年春は智弁和歌山-宇和島東がターニングポイントでしょうね。
この大会の優勝候補筆頭が宇和島東でしたけど、ベスト8で敗れると夏も初戦で北海から逆転負け。
コレ以降 優勝候補に名前が挙がる事はなかったですよね。
しかも宇和島東を率いていた上甲監督の済美が08年に初戦で対戦して完封負けしてますから、94年春の逆転負けが未だに響いている感じですね。