子どもの日に穂積秀一を偲ぶ

 今日5月5日は子どもの日の祭日だが子どもの日開催のボクシング
世界戦は、今から40年前の83年に静岡で行われたWBAフライ級タイ
トルマッチでアルゼンチンのサントス・ラシアルに3位の穂積秀一が
挑戦したものの2EKO負けを喫している。

 試合は168cmと長身の穂積が155cmの王者をいかに捌くかという
のが焦点で実際1Rは穂積のジャブが冴え王者の接近を阻む展開で、
上々の滑り出しだったが2Rに不用意に左フックを貰ってダウンし
そのまま一方的な展開になってしまい2RKO負けで初挑戦に失敗す
る形になったのだ。

 当時のラシアルの評価は81年3月に奪取したタイトルを初防衛戦
で失い、82年5月に返り咲いて3度防衛しているものの十分チャン
スありの予想だった。

 穂積秀一といえば帝拳ジム所属で世界王者のまま自動車事故で亡
くなった大場政夫以来、世界王者が誕生してなかった時代に登場し
たホープで身長も大場政夫と同じ168cmのフライ級。

 Jフライ級でデビューし具志堅用高10回目の防衛戦の相手ティト・
アベラや後のWBC:Jフライ級王者の友利正に勝つと、フライ級に上
げ東洋太平洋王者・楊弘珠や日本王者の玉城和昌に挑戦して敗れる
も船木一良に勝って日本王者になり初防衛に成功した後に世界挑戦
していたのだ。

 ラシアルに敗れた後も石井幸喜や風来ゆうとに打越芳幸、竹下哲
美らのホープとの対戦に勝ち残って86年4月にWBA王者イラリオ・
サパタに挑戦するも判定負けでタイトル奪取ならず。

 その後ソウルでの再起2戦目で敗れて引退し17年1月に亡くなって
いた事が判明したのだが、最も世界に近づいていたのが40年前のラ
シアル戦だったと思う。

 そのラシアルはフライ級タイトルを9度防衛して返上し、Sフライ
級に上げると渡辺二郎からタイトルを奪ったヒルベルト・ローマン
からタイトルを奪取するなど名王者だった。

 2度目に挑戦したサパタもWBC:Jフライ級タイトルを2度獲得し
通算10度の防衛に成功し、フライ級に上げても5度の防衛に成功し
ているのだから挑戦した王者にも恵まれず。

 今のように4団体あった時代なら十分世界を取れたのにと、今
さらながらに思うわけだ。

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