ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
倫理観のない者は日本のスポーツ界ではダメ
今から30年前の85年にジャイアンツは前年限りで退団したレジー・
スミスの代わりにスクリューボーラーの左腕キース・カムストックを
獲得したのだが、当初は後にオークランドのエースとなるデイブ・
スチュワートを狙っていた。
スチュワートは84年までLAドジャースやテキサスで投げており
2桁勝てるかどうかという状態だったが、将来有望という事で目を付
けられたようだ。
ところがスチュワートに買春疑惑が持ち上がり王貞治監督は‘プロ
なのだから活躍できれば素行が多少悪くても’というスタンスで獲得を
希望したものの‘そこまでして勝ちたいか'‘球界の紳士たれという看
板が泣く’などという非難の集中砲火を受け遂に獲得を断念していた。
それから2年後の87年にオークランドに移籍していたスチュワートは
初めて20勝を挙げると、そこから何と90年まで4年連続20勝した
だけでなくオークランドの3年連続リーグ優勝&89年のWシリーズ
優勝にエースとして貢献したのだった。
スチュワートの代わりに獲得したカムストックは85年こそ8勝を
挙げたものの翌86年はルイス・サンチェがストッパーとして入団した
ため外国人枠の関係で2試合の登板に留まり退団となり、一部のメ
ディアは‘逃した魚は大きかった'とスチュワートがブレイクした事を
扱っていたが ほとんどのメディアはジャイアンツが獲得しようとした
事など忘れたかのような報道だった。
これを見ると日本のスポーツ界は選手に実力だけでなく倫理性も
求めるわけで普段の素行が悪いと例え活躍しても叩かれるというの
が分かるし、実際に伊良部秀輝など それなりに活躍していたものの
マウンドでのツバ吐きなどでの態度の悪さが俎上に上がっていたの
を思い出す。
だからハビエル・アギーレ日本代表監督は八百長疑惑が出てから
一気に風当たりが強まったし、アジア杯が事実上最後の大会という
流れになったのは日本ならではだろう。
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アギーレがスペインでは何ら問題はない的なコメントをしていたように、欧米ではプロは結果さえ残せればOKというスタンスがよく分かります。
ちなみに野茂が伊良部と97年のオフに某雑誌の対談で
‘オマエさんがアメリカで叩かれるのは勝てないからでツバを吐くのは問題ではない、仮に20勝0敗という数字を残せたらマウンドでツバを吐こうがゲロを吐こうが、小便をしようがマスコミは問題にしない’と語っていたのを思い出します。
86年のカムストックは2試合しか登板してませんから、
その貴重な1試合を観戦したのですね。
ライトはとりあえず76年&77年のリーグ連覇には貢献してますし、76年のG5では山田から2ランを放ってますから酷い投手ではなかったですよ。
まぁクルーガーが最も酷かったですけど。
ちなみに伊良部のツバ吐きの頃にボルチモアのロベルト・アロマーがツバ吐きで叩かれた事がありました。
結局 独走は短期決戦前ではいい事ばかりではないと
いう事でしょう。
ただ77年のシリーズ完敗はレギュラーシーズンで堀内ー加藤や小林ー新浦など豪華リレーばかりやっていた
反動が出たというのが大きかったようですね。
しかも史上最強の5番打者・柳田が逆シリーズ男になってましたし。
76年にギリギリで優勝したジャイアンツは77年は勝てる試合にはローテから一番遠い投手をリリーフさせていた感じでした。
だからこそぶっちぎれたのですが、シリーズでもコレをやって失敗。
例えばG1で先発し途中降板した小林がG3から3試合連続で登板してますし、G4など新浦を9回も投げさせておけば的な感じでしたからね。
ちなみに内向的な柳田は長嶋の‘史上最強の5番’には
閉口していたようで、そのマイナス思考が長嶋から嫌われて80年にはブレーブスにトレードされたようでしたね。
それを考えると柳田と中畑は対照的ですね。
やはり監督の好みというのも反映されますから、それに合った選手がどうしても優遇されますよね。
柳田のブレーブスでの姿は当然ながら記憶になく、長嶋監督が解任されたためか1年でジャイアンツに復帰しましたけどね。
昔の投手の勝ち星が多いのはリリーフも兼ねていたという要素も忘れてはいけないでしょうね。
意外に中畑清は気が小さい小心者のようで、実際に王が中畑をチームリーダーという話には否定的でした。
だからむしろジャイアンツ内での人望は篠塚や原の方が上だったようですね。
もっとも小心者という弱点をあえてひょうきんキャラの仮面を被って見せなかった中畑はプロとして凄いとは思います。