| 満州帝国放送 |
<ヽ`д´> つ|ガラッ ハァハァ
<ヽ`д´> 「…お前ら 知ってたか?!
宮地神道の異文化受容・国際化の原点は 常磐師にまで遡るんだよ!!
これを見てくれ!!!!!!」
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<ヽ`д´> つ
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/55707/2/28074_%E8%AB%96%E6%96%87.pdf
(4P)
●第3 の問題として、いわゆる「宮地神仙道」の問題がある。
「宮地神仙道」とは、1948 に清水宗徳という人物が設立した神仙道本部という新興宗教団体で
提唱した思想である。
神仙道本部は、宮地再来(ミヤチ ヨリキ)を教祖、宮地嚴夫を二代目教主として設定し、
これにファンタジーを交えて立教したものであった。
無論、在世時の宮地嚴夫は、「宗教にて之を云へば。一家の同胞にして。
彼此抱く所の信仰を異にし。姉妹室を争ひて宗廟を傾くる」
「我宗旨我党派有る事を知りて、実は我国家有る事を忘れたもので有ります」などと述べて、
特定の信仰に偏る宗教が国家を傾けるとして危険視していた。
また、宮地再来においても、非宗教として扱われている神社の神官が宗教を信仰するのはよくないとして
建白書を提出するほどの一徹な宗教嫌いであった。
このような人物を新興宗教団体の教祖、教主として設定すること自体、
いかに史実を無視した不適当な行為であるのかが理解できよう。
この神仙道本部発信の情報を鵜呑みにし
(22P)
●2度目は1908 年9 月29 日の講演「神仙の存在に就て」の草稿にある。
これは、宮地神社に保管されているもので「神仙談」というタイトルになっている。
(39P)
●常磐にとっての学問の目的とは、
「神随の大道を明らめ拡むる羽翼とすべし」、「神国の神民たる義務をつくし道に功を立つ」
ということであった事がわかる。
その目的のためには、「古今内外の事情」を知る必要があると考えていた。
神官であった彼が、西洋砲術を学んだ動機もここにあったと考えられる。
彼の異文化受容の基準は、これであったといえよう。
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|・) 「你の母は売春婦で 毛主席のソーセージを歓喜して
猪である你が生まれて "異文化受容"を叫ぶか?
無駄口を止めないか!!!!!!!!!」
<ヽ`д´>
【宮地神仙道からの回答】
◎まず 宮地神仙道という体系がまとめられ
戦後に 第三代継承者に就任されたのは威夫先生であるので
水位・厳夫師の時代背景を持ち出して
宮地神仙道を否定する事には意味がない。
しかも
22Pでは 「宮地神社」というものがあると証言されている。
もし水位・厳夫師が「宗教嫌い・特定信仰への偏重を避けた」というのであれば
「自分を祀る神社の創建」を希望するハズがなく
そのような神社こそ 何の継承もなく 水位・厳夫師の遺志に反して建てられたものとなる。
◎常磐師個人が砲術を学ばれた事に 「国外の新しい知識や情報を得る」意図など無かったハズである。
宮地における「異文化受容・国際化」の歴史的根拠を創り出す為に 常磐師の人格を書き換えようとする事は
震撼的冒涜である。
<ヽ`д´> 「…あああ 俺はさ
これから昼飯を食いに ケンタッキーに行くんだけど
腹が減っているからじゃない、
異文化受容の為に行くんだ!!
じゃあな!」
|・)
<ヽ`д´> タッ!
(大 物 主)
( `m´)つ 「…我も昼食は ケンタッキーフライドチキンにする。」
|・)
(大 物 主)
|ミ サッ (`m´ ) 「全身に衣をつけないか!!!!!!!!」