宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

続・年齢について/ニート

2020年08月30日 | 日常の記録
前項に書いた「3度目の17歳」とか「50歳をいとおしむ」とか、読み返してみると「うへぁ」という気恥ずかしさが・・・イタイ、ような気もする。
「3度目の17歳」の思い付きには、最初「ちょっと、これ、広告業界にパクられちゃうんじゃないの~。著作権フリーで使っていただいてもよくってよ」と鼻高々だったりもしたんだけど(^^;
しかし、字面だけみると、成熟しているべき50代女性が17歳の若さに憑依しているかのようで怖い。即却下だな。
そうじゃなくてー。17歳が成人への中途段階であるように、34歳は中年の、51歳は老年への中途にあるという点で共通項がある、ということでー と説明するとくどくなる。

「50歳」について
「50歳は、25歳の倍美しい」という言葉が、ずっと心に残っていたのに、当事者となった年には失念していた。
これは、中山庸子さんの著書にあった言葉として、早川茉莉さんがご自身のウェブサイトで紹介していたもの。
「倍美しくする義務がある、とも言えるかも・・・」と今ふと思った。

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話変わって
酷暑の空を見上げながら、外出予定の午後の時刻にはまだ暑さのピークが過ぎていないことを思ったとき、ふと「ニートな午後3時」という歌のタイトルが頭に浮かぶ。
たぶん、「ニート」の言葉から派生して感じられる「気だるさ」が、その時の状況にあっていたんだと思うけど、何か違う。このニートは違う意味だったはず。
歌詞検索してみると、果たして、この歌詞のニートは「NEAT」であった。
遠い記憶を呼び起こすと、この「きちんとした」という意味での「ニート」、女性誌などの見出しでよく使われていた時代があった、と思う。この歌がきっかけで流行ったのか、逆に流行りの言葉を歌に取り入れたのかは分からないけど。
ニートって?と辞書で調べた記憶もある。
「Not in Education, Employment or Training」という意味での「NEET」という言葉の登場は1999年なのだそうだ。(ウィキペディアによると)。
いつのまにか、ニートといえばこちらの意味になってしまった。

私は「きちんとした」という意味での「ニート」という言葉に愛着がある、ということに今回気づいた。
自分がきちんとしていないからこその憧れ、なのだった。
「ニートな午後3時」、You Tube で聴いてみたら、ほとんど聞き覚えがないことに逆に驚く。
(同じ歌手の松原みきさんでは「真夜中の虹」のほうが聴いた覚えがあった)
楽曲発表は1981年、資生堂の春のキャンペーンソングだったそう。
(同年カネボウのキャンペーンソングだった矢野顕子さんの「春咲小紅」は、リアルタイムでもちゃんと聞き覚えがあるんだけどなー。)
でもタイトルは印象に残ったのだろう、今にいたるまで覚えている。
歌詞を見ると、80年代初頭の颯爽と格好いい女性像。
ネイティブスピーカーではないので、Neatの使い方はこれでいいのかなぁとちょっとよく分からなかったりもするのだけど、表したいことは分かる。
当時12歳の私にとって、この歌が描く世界は、憧れ、というのとも違うのだけど、懐かしいというか、遠くでキラキラしていたアレは、そうそうこういうものだった、と今にして分かる。
そして「きちんとした」という意味での「ニート」という言葉も、当時の空気を思い出すキラキラしたもののひとつだったのだった。

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