宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

分身はいない

2017年03月01日 | 音楽
(3/4記)

特別な思い入れはなかったんだけれど、なぜか去年から個人的に波が来ていたこともあり、
2月24日放送の小沢健二出演回『ミュージックステーション』を観た。

いい曲だなーと思って後日「流動体について」CDを買った。

ビジュアル的には学術・文筆系の人の歳の取り方だなーと思い、
(ちょっとコラムニストの泉麻人さんを思い出す)
本人はプロデュースに回って、他の人に歌わせればよかったのでは、
と、最初はちらと思ったのだけど、
若者の歌じゃないんだよねー。
今現在のオザケンだからこその歌詞世界で、本人からは切り離せない。

書くのは野暮なようだけど、
人としてどう生きるべきかとか、世の中をよくするために自分に何ができるのかとか、
そういう倫理的なことを
日常の、具体的な生活から離れないようにして、考え続けているのだな、などと。

世の中に対する「祈り」が込められてる感じが、
そこにぐっとくる人と、カチンとくる人に分かれるんじゃないかなと思った。
人のために祈る余裕があるというのは恵まれた者の特権ともいえるわけで、
ノブレスオブリージュって、下に見られたくない人からは反発をくらうよね。

--------
そんな流れで、オザケンの大学時代のゼミの先生でもあったという柴田元幸さんのエッセイ本を久々にひっぱり出す。
文章はもちろんだけれど、イラストのきたむらさとしさん描くところの「柴田君」が大好きだったのだった。
今回久々に見直して、ああっやっぱり好きだー個人的にはきたむらさとしさんが描くキャラクターの最高傑作!猫よりもうさぎよりも愛らしい「柴田君」の姿に悶絶(?)

オザケンにも「柴田君」のような、オザケン的なものを結晶化した分身がいればいいのにな、と思ったけど、よくよく考えるとやっぱり分身でも駄目で、この曲には本人の今の姿と声しかない、と思う。難しいなー。
(と、すいません、熱烈支持の理由がいまだよく分からなかったりするもので、一般受けするためにもっとなんとかならないかなとつい考えてしまう)

(全然関係ないんだけれど、今回検索して、柴田さんがすでに東大を退官されていたことが、オザケンのビジュアルより断然ショックだった・・・いやー「柴田君」イメージだったもので・・・月日の流れを実感するというか)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿