厳選韓国情報及び保守速報の公明党の記事が気になったので少し。
①韓国は新しい国、民族変わっている
良く見かけますが、俗説と思います。新羅(ウィキペディア)から韓国は繋がっているはずです。勿論、国号は変わっていますが、日本も倭・ヤマトと名乗っていました。連続性を否定する人はいません。日本は天皇家がずっといます。そこを強調したら、確かに日本だけが一貫しているということはできますが、通常、王朝の交代があっても、民族の交代が無ければ、違う国とまでは言いません。殷を中国と認めない人がまずほとんどいないのと同じことです。
証拠もあります。古代朝鮮語(ウィキペディア)は新羅語ですが、学問的に朝鮮語の連続性を否定する人はまずいないと思います。そう簡単に民族が交代することはありません。少なくともアジアにおいてはそうです。古代に南朝鮮に住んでいたのは韓族で(馬韓は違う民族とも言います)、寧ろ韓国という国名は民族の発祥を示す由緒正しいものと言えます。高句麗(満州・北朝鮮)は別民族とされます。ただし、百済や高句麗に関する言語資料はほぼないそうです。
②文化を伝えた
韓民族(高句麗を含まない)よりヤマト民族の方が昔から強かったと思います。ただ、文化は若干怪しいところがあります。現存する最古の歴史書三国史記は1145年完成ですから、それだけ見れば、日本書紀(720年完成)の方が400年早いのですが、三国史記の元になった文献があります。三国史記は4世紀頃から史実性があるそうですから、日本とそんなに変わりません。文献が残ったことから、日本の方が文化性があるようには見えます。が、多分王朝交代したから、前王朝時代の文献を処分しただけなのでしょう。日本も皇室が続いていなければ、同じことをした可能性はあります。
確実に朝鮮が日本に伝えたのは仏教です(通り道ですが)。
仏教公伝(ウィキペディア)
衛氏朝鮮(ウィキペディア)がありますから、朝鮮半島の方が歴史が古いとも言えます。ただし、建国した衛満は中国人(燕人)です。構成する民族などは不明でしょう。東アジアにおいて明らかに古い中国に隣接していたことは、文明を早くにもたらしたことは明らかです。
③中国の民族交代
元(ウィキペディア)だけが中国でないと言えるのではないでしょうか?
>元は政治制度や政治運営の特徴においてはモンゴル帝国に受け継がれた遊牧国家特有の性格が強く、一方で行政制度や経済運営の特徴は南宋の仕組みをほぼそのまま継承している。用語上でモンゴル帝国が伝統的な中国王朝の類型に変化したものであるというような誤解を避けるために、遊牧民の国を指すウルスという語を用いて特に大元ウルスと呼ぶべきであるとする意見もある。
支配者層が用いたのはモンゴル語です。モンゴルは国として今でも残っていますよね?
清(ウィキペディア)も異民族王朝ですが、「康熙・雍正・乾隆の三世はいずれも類稀な文人でもある」とされています。清後、満州は事実上「東北地方」になってしまいました。満州国の臨時国勢調査(1940年)で民族構成を調べたところ、満州人 94.6%の内、漢族 90.2%、満州族 6.2%、モンゴル族 2.5%でした。明の時代に満州に住んでいたのは女真(後の清を構成する民族)ですから、相当急速に漢民族に吸収されたのではないでしょうか?
五胡十六国時代(ウィキペディア)も相当異民族が移動してきましたが、全て吸収していると思います。まぁ、漢民族の方が文化高いですからね。モンゴルぐらいつっぱらないと吸収されます。ヨーロッパで言えば、ローマにゲルマンが吸収されたフランスと同じようなものだと思います。フランス語はイタリア語・スペイン語と近縁で、ローマの後裔は明らかです。王家はゲルマン民族のフランク人(ウィキペディア)でしたが。
言いたいことがある人がいるかもしれませんが、筆者には甲骨文字(ウィキペディア)が解読できただけでも、殷からの民族的繋がりは明らかと思います。中国で一番古い文明は殷(夏は証明できません)と言えますから、殷から後に民族移動で断絶してしまえば、甲骨文字は読めなくなってしまいます。古代エジプトと現代エジプト(アラブ)は民族的に断絶していますが、ロゼッタ・ストーン(ウィキペディア)があることで、古代エジプト語が分かりました。古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字が並んだ碑文があったんですね。こういうのがないと、中々「断絶した言語」の解読は難しい。インダス文字は未だに解読できていません(コンピュータを導入してから解読の足がかりができたそうですが)。
たまに古代中国人と現代中国人は違う民族と言う人をネットでみかけるので、気になっていた訳です。そういう人はそう思わない人を歴史を知らない認定しがちですが、定説がそうそう崩れることはありません。民族移動で中国が強い影響を受けたのも事実でしょうが、一度築かれた文明はそうそう揺らぐものではありません。「世界を制した」近代文明もそうそう揺らぐことはないでしょう。民族もそう簡単には交代しないと思います。
④日本人の遺伝子
北方系でしょう。華僑でない東南アジア人より、中国人・朝鮮人に似ていることは明らかです。学者でも縄文人は南方系と言いたがる人がいますが、ボートでやってきた人が大陸とつながっていた時期(最終氷期:ウィキペディア)に日本に来た人達を駆逐してしまったとでも言うのでしょうか?逆に最終氷期の前に日本に住んでいた人達はさすがに残らなかったかもしれません。いずれにせよ、その辺は謎ですし、あまり考えても無駄でしょう。筆者にはボートでやってきた南方人がいるとして、日本に適応できたと思いません。環境(生息する動植物)が違い過ぎるからです。あまりにも古い証明困難の時代の「定説」は疑問があることもあります。縄文人も弥生人もどちらも北方系が正解だと思います。アジアを南北に分けるなら、そもそも日本は北方です。北(北海道)まわりでないからと言えばそうですが、南(沖縄)まわりでもないでしょう。オセアニアですが、古い時代に大洋を移動しまくったポリネシア人(ウィキペディア)にはロマンがあります。ですが、日本にポリネシア人が来たという証拠はありません。ポリネシア人はアメリカ大陸もオーストラリアも征服していません。先に人がいたら、中々難しいのでしょう。ただし、マダガスカルまでは行っているようですから(マダガスカル語:ウィキペディア)、フザケた奴らです(褒めてます)。
⑤最後に
韓国・中国の民族交代の言説が気になって書きました。筆者は必要ないと思うんですがねぇ・・・。筆者自身が韓国・中国を何とも思っていませんから。無理に見下してどうするんだろうかと思う訳です。民族移動の話だけでなく、その他全てのことに関して、筆者の方が知ってるなということでも何とも思っていません。筆者の方が知らないことも誤解を恐れず言えば何とも思っていません。
朝鮮人は続いているよと安易に書くと朝鮮人認定されるでしょ。中国人も「かばったら」左でしょう。メンドークサイし損なだけですから言わないでおいてるだけなんです。何となく気が向いたから書いただけで、特に意味はありません。また、自分の認識と違うから「訂正」してまわろうとも思いません。この辺の教養的なことにも意味はあると思いますが、訂正してまわる費用対効果は低いと思います。
①韓国は新しい国、民族変わっている
良く見かけますが、俗説と思います。新羅(ウィキペディア)から韓国は繋がっているはずです。勿論、国号は変わっていますが、日本も倭・ヤマトと名乗っていました。連続性を否定する人はいません。日本は天皇家がずっといます。そこを強調したら、確かに日本だけが一貫しているということはできますが、通常、王朝の交代があっても、民族の交代が無ければ、違う国とまでは言いません。殷を中国と認めない人がまずほとんどいないのと同じことです。
証拠もあります。古代朝鮮語(ウィキペディア)は新羅語ですが、学問的に朝鮮語の連続性を否定する人はまずいないと思います。そう簡単に民族が交代することはありません。少なくともアジアにおいてはそうです。古代に南朝鮮に住んでいたのは韓族で(馬韓は違う民族とも言います)、寧ろ韓国という国名は民族の発祥を示す由緒正しいものと言えます。高句麗(満州・北朝鮮)は別民族とされます。ただし、百済や高句麗に関する言語資料はほぼないそうです。
②文化を伝えた
韓民族(高句麗を含まない)よりヤマト民族の方が昔から強かったと思います。ただ、文化は若干怪しいところがあります。現存する最古の歴史書三国史記は1145年完成ですから、それだけ見れば、日本書紀(720年完成)の方が400年早いのですが、三国史記の元になった文献があります。三国史記は4世紀頃から史実性があるそうですから、日本とそんなに変わりません。文献が残ったことから、日本の方が文化性があるようには見えます。が、多分王朝交代したから、前王朝時代の文献を処分しただけなのでしょう。日本も皇室が続いていなければ、同じことをした可能性はあります。
確実に朝鮮が日本に伝えたのは仏教です(通り道ですが)。
仏教公伝(ウィキペディア)
衛氏朝鮮(ウィキペディア)がありますから、朝鮮半島の方が歴史が古いとも言えます。ただし、建国した衛満は中国人(燕人)です。構成する民族などは不明でしょう。東アジアにおいて明らかに古い中国に隣接していたことは、文明を早くにもたらしたことは明らかです。
③中国の民族交代
元(ウィキペディア)だけが中国でないと言えるのではないでしょうか?
>元は政治制度や政治運営の特徴においてはモンゴル帝国に受け継がれた遊牧国家特有の性格が強く、一方で行政制度や経済運営の特徴は南宋の仕組みをほぼそのまま継承している。用語上でモンゴル帝国が伝統的な中国王朝の類型に変化したものであるというような誤解を避けるために、遊牧民の国を指すウルスという語を用いて特に大元ウルスと呼ぶべきであるとする意見もある。
支配者層が用いたのはモンゴル語です。モンゴルは国として今でも残っていますよね?
清(ウィキペディア)も異民族王朝ですが、「康熙・雍正・乾隆の三世はいずれも類稀な文人でもある」とされています。清後、満州は事実上「東北地方」になってしまいました。満州国の臨時国勢調査(1940年)で民族構成を調べたところ、満州人 94.6%の内、漢族 90.2%、満州族 6.2%、モンゴル族 2.5%でした。明の時代に満州に住んでいたのは女真(後の清を構成する民族)ですから、相当急速に漢民族に吸収されたのではないでしょうか?
五胡十六国時代(ウィキペディア)も相当異民族が移動してきましたが、全て吸収していると思います。まぁ、漢民族の方が文化高いですからね。モンゴルぐらいつっぱらないと吸収されます。ヨーロッパで言えば、ローマにゲルマンが吸収されたフランスと同じようなものだと思います。フランス語はイタリア語・スペイン語と近縁で、ローマの後裔は明らかです。王家はゲルマン民族のフランク人(ウィキペディア)でしたが。
言いたいことがある人がいるかもしれませんが、筆者には甲骨文字(ウィキペディア)が解読できただけでも、殷からの民族的繋がりは明らかと思います。中国で一番古い文明は殷(夏は証明できません)と言えますから、殷から後に民族移動で断絶してしまえば、甲骨文字は読めなくなってしまいます。古代エジプトと現代エジプト(アラブ)は民族的に断絶していますが、ロゼッタ・ストーン(ウィキペディア)があることで、古代エジプト語が分かりました。古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字が並んだ碑文があったんですね。こういうのがないと、中々「断絶した言語」の解読は難しい。インダス文字は未だに解読できていません(コンピュータを導入してから解読の足がかりができたそうですが)。
たまに古代中国人と現代中国人は違う民族と言う人をネットでみかけるので、気になっていた訳です。そういう人はそう思わない人を歴史を知らない認定しがちですが、定説がそうそう崩れることはありません。民族移動で中国が強い影響を受けたのも事実でしょうが、一度築かれた文明はそうそう揺らぐものではありません。「世界を制した」近代文明もそうそう揺らぐことはないでしょう。民族もそう簡単には交代しないと思います。
④日本人の遺伝子
北方系でしょう。華僑でない東南アジア人より、中国人・朝鮮人に似ていることは明らかです。学者でも縄文人は南方系と言いたがる人がいますが、ボートでやってきた人が大陸とつながっていた時期(最終氷期:ウィキペディア)に日本に来た人達を駆逐してしまったとでも言うのでしょうか?逆に最終氷期の前に日本に住んでいた人達はさすがに残らなかったかもしれません。いずれにせよ、その辺は謎ですし、あまり考えても無駄でしょう。筆者にはボートでやってきた南方人がいるとして、日本に適応できたと思いません。環境(生息する動植物)が違い過ぎるからです。あまりにも古い証明困難の時代の「定説」は疑問があることもあります。縄文人も弥生人もどちらも北方系が正解だと思います。アジアを南北に分けるなら、そもそも日本は北方です。北(北海道)まわりでないからと言えばそうですが、南(沖縄)まわりでもないでしょう。オセアニアですが、古い時代に大洋を移動しまくったポリネシア人(ウィキペディア)にはロマンがあります。ですが、日本にポリネシア人が来たという証拠はありません。ポリネシア人はアメリカ大陸もオーストラリアも征服していません。先に人がいたら、中々難しいのでしょう。ただし、マダガスカルまでは行っているようですから(マダガスカル語:ウィキペディア)、フザケた奴らです(褒めてます)。
⑤最後に
韓国・中国の民族交代の言説が気になって書きました。筆者は必要ないと思うんですがねぇ・・・。筆者自身が韓国・中国を何とも思っていませんから。無理に見下してどうするんだろうかと思う訳です。民族移動の話だけでなく、その他全てのことに関して、筆者の方が知ってるなということでも何とも思っていません。筆者の方が知らないことも誤解を恐れず言えば何とも思っていません。
朝鮮人は続いているよと安易に書くと朝鮮人認定されるでしょ。中国人も「かばったら」左でしょう。メンドークサイし損なだけですから言わないでおいてるだけなんです。何となく気が向いたから書いただけで、特に意味はありません。また、自分の認識と違うから「訂正」してまわろうとも思いません。この辺の教養的なことにも意味はあると思いますが、訂正してまわる費用対効果は低いと思います。