一葉一楽

寺社百景

西大寺 ー 興隆正法・利益有情の場

2012-03-16 13:33:41 | 寺院

創建の幸謙天皇、中興の叡尊の名が、西大寺の歴史には欠かせない。もっとも創建時の面影は東塔の跡だけであろうか。叡尊が西大寺に入った時は、「荒廃先年に過ぎ、言語の及ぶ所にあらず」の状態であった。物理的にも精神的にもである(細川涼一訳注「感身学正記」)。

               

               東塔跡と本堂

 叡尊の再興は、四王院正面の礼盤上で最勝王経を転読したとは言え、創建時の西大寺の再興ということではない。あくまで戒律復活の場の確保であったようだ。しかし「大和名所図会」挿絵は叡尊再興の伽藍ではない。

               

               四王堂

裳腰を大きく張り出した天平風の四王堂が延宝2年(1674年)の造営であるのをはじめとして、本堂は文化元年(1804年)に仮堂を廃しての造営、愛染堂は移築と、真言律宗の総本山としての体裁を保ってきたようである。それは元禄2年(1689年)の仮堂(?)の修理棟札にあるように、西大寺の末寺全体での支援、そして多くの大工棟梁の力によるところが大きい。形を意識しているのは四王堂のみで、あとは人を多く収容できる場を念頭においているかの建物で、叡尊の思想が生き続けているかのようである。(奈良六大寺大観 「西大寺」)。

            

           本堂                   愛染堂

一寸場違いを思わせるのは鐘楼、摂津多田院からの移築とのこと。多田院は叡尊とも関係のある寺院であったが、明治になって多田神社となった。鐘楼は多分その時に移築されたのでは。叡尊はここでも生きている。

                     

                     鐘楼

(注)2010年8月撮影

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